詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋秀明「春泥」

2020-09-24 10:39:30 | 詩(雑誌・同人誌)
高橋秀明「春泥」(「イリプスⅡ」31、2020年07月10日発行)

 高橋秀明「春泥」は、ちょっと「古くさい」文体である。なぜ、こんな面倒くさい文体を選んだのか。

礼和二年如月四日。錦町脳神経外科入院中の父九十五歳は、看護師長の「夏ま
で持つかどうか」の言葉に押され、北国では例年になく早い春泥の好日、療養
病床転院の運びとなった。

 「療養病床」は「稲穂町」にある。「錦町」から「稲穂町」へ転院する。そのことを思いながら、

                                  私
たちは本当はどこにいるのか。そして錦町とは何か。また転院先の稲穂町とは
何か。

 ということを考える。「文体」も古くさいが、考えていることも、まあ、かなり古い。「私たちは本当はどこにいるのか」という問題は大事であるけれど、なんとなく、いまの「流行」の考えではない。「流行」ではないから、古いというのは乱暴な言い方だけれど。
 だから、なんとなく、おもしろくない。読み進むのが。
 だが、突然、大展開する。

「人と土地との交渉がすなわち地名である以上は、その数量は必ずしも面積と
は比例せず、そこに生死した人の数に伴なうのが当然ではあるが、それにした
ところで実に驚くべき地名の量である」から、たった一、二の地名に関わる小
人の数も更に驚くべき大量であり、父は北辺の都市・小樽の栄耀に浴し、衰勢
に流され、今は--錦がどこに、稲穂の実りがどこにあるかも窺い知れぬ空し
い地名が囲う寂びれた四季に囚われ、そして死する時期を待つばかりである。
 
 「人と土地との交渉」からはじまる文章が、柳田国男『地名の研究』からの引用だと高橋は注釈で書いている。
 柳田の文体が高橋の文体を呼び寄せている。そのために、こういう文体になったのだとわかるのだが、これが何ともいえずおもしろい。柳田に呼び寄せられながら、ことばの交渉がはじまり、交渉に従って「文体」が変化していく。
 地名に、そこに住んだ人の暮らしそのものが反映している。だから地名の数が驚くほどある。同じように、文体には、ことばを書いた人の暮らし(思想/肉体)そのものが反映しているから、文体の種類も驚くほど多い、と言い直すことができる。
 それは、それぞれが「選び取る」ものである。
 と、書いて、それから「何を」ということを考えると、ちょっとむずかしくなる。
 「地名」を? 「文体」を? 「暮らし」? 「肉体」? 「思想」?
 これは、区別ができない。それは「一体」になって動く。
あ、ことばが論理にならずに、無軌道に暴走しているなあ。
言い直そう。柳田の書いたものは患者が「転院」することについて書いてものではない。でも、その文章を読んで(思い出して)、高橋は「転院」を地名の問題としてとらえなおし、そこからことばを動かす。「転院」と「地名」の関係を考える。
 つまり、というのはかなり強引な言い方なのだが、病院の都合で(?)、ひとりの人間を「こっち」の病院から「あっち」の病院へ転院させるというのは、とても乱暴なことなのではないか。それは、「思想」そのものを変えるようなものなのだ。「肉体」そのものを変えてしまうようなものなのだ。「場所」が変われば「地名」が変わる。「地名」が変われば、人と人の交渉が違ってくる。
 この展開(といっても、私が「誤読」したものであって、高橋は違うことを考えているかもしれない、という前提をつけないといけないかも……)には「飛躍」(断絶と強引な接続)があって、それがどうなっているか、これを説明するのはむずかしい。ほんとうにむずかしい。
 どんなときでも、人は人と交渉し、その瞬間からその人はすでに以前のひとではなくなる。(きのう読んだ伊藤の詩を思い出してほしい。ユウくんのに見えるものが伊藤には見えない、と実感した瞬間、伊藤は生まれ変わっている。)それは、病気で入院している父もそうだし、その父のために病院へ通っている高橋もそうだろう。そのとき、その瞬間に、生まれ変わり、引き継がれていく「肉体/思想」が「わたしの本当」というものだろう。それが、病院の都合で、強引に変更させられてしまう。もちろん、それも「一期一会」の出会い、と呼ぶことはできるかもしれないが、何かおかしいだろう。なぜ、いま、また転院しなければならないのか。「錦町」「稲穂町」は地名であるが、単に「地名」ではなく、それ自体が「別の肉体」なのだ。
 このなんとも説明のむずかしいものにぶつかって、高橋は、どうことばを動かすか。

                         錦が笑わせる。稲穂が
笑わせる。今はどこに錦が。どこに稲穂の実りがあるか。糞みたい町の糞みた
い父と糞の息子が地名の空をぬらるむ如月の転院。誰に向けることもできず、
けして誰か他者に向けてはならぬと信じる激しい怒りが私を掴み私を離さない。

 「怒り」と高橋は書く。「怒り」は「肉体」である。「思想」である。そして、そこには必ず「誰か/他者」がいる。「人との交渉」は「土地との交渉」である。人の発見、人が生きいている土地の発見。そこにある「地名」。
 「わたしの本当」は「地名」のなかにある。「地名」が違うだけで、病院に入院していることに違いはない、という具合には言えないのだ。地名から離れてしまうのは、土地からも人からも離れてしまうことであり、「私が私でなくなる」ということなのだ。看護師長がいやな人間だとしても、錦町に入院していたときの「父」は稲穂町に転院してしまえば、また「新しい人間」として強制的に生まれ変わらせられる。

 これは高橋がひとりで考えたことか。柳田のことばに触発されて考えたことか。触発されて考えるというのは、ひとりで考えるということか。あるいは他人と一緒に考えることになるのか。もし、一緒に考えるということならば、それは、どういうことなのか。常に、誰かが手助けしてくれるのか。そうではないだろう。触発されたとしても、誰かに頼るのではなく、誰かの肉体(ことば/思想)に触た瞬間に自分のなかで動き出すものを頼りに突き進めるしかない。
 高橋は、柳田の『地名の研究』のことば(思想/肉体)に触れて、ことばを動かした。その高橋のことは(思想/肉体)は、柳田のことばを正確に引き継ぎ発展させたものか。そうではないかもしれない。でも、そういうことの方が「交渉」であり、「生まれ変わり」である。柳田がこう言っていると引用し、自分のことば(思想/肉体)を飾ってみてもはじまらない。読んで、そのあとどう考えたか、どうことばを動かしたかが問題なのである。
 私は最初、高橋の文体を「古くさい」と書いた。しかし、最後は「古くさい」を突き破っている。「糞みたい」ということばを積み重ね、「怒り」を爆発させている。つまり、「文体」そのものも「生まれ変わっている」。
 こういう変化を、詩、と呼びたい。



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