嵩文彦「生活」(「麓」14、2020年08月31日発行)
人は誰でも旅をする。機能読んだ白井知子は、もっぱら中央アジア、中近東などユーラシア大陸を旅して、人に会っている。
嵩文彦「生活」は違った「旅」をする。「生活」という詩。
書き出しの三行。風が花をそよがせて走り抜けていくのではない。風を置いてきぼりにして花が走り抜けている。動かないものが動き、動くものが動かない。そこからはじまる「旅」があるのだ。つまり、知らなかった何かとの「出会い」、一期一会の変化が。
花は風に酔うか。酔わないだろう。風も花に酔ったりはしないだろう。花に酔うのは人間である。「酔う」という動詞のなかには「人間くさい」なにかがある。それが「視野のしわしわ」ということばにも「散っていく」にも反映しているだろう。花が「散る」からといって、花を書いていると思ってはならない。
いや、花を書いているんだけれど、花と書いているからといって花についてだけ書いているのではない。「意味」というのは、ほかのことばとの関係のなかで決まってくる。辞書をたよりに定義するのではなく、「意味の揺れ」のなかで、揺れることでしかつかみとれない意味があるということを知るのが、たぶん、詩を初めとする「文学」の楽しいところだろう。
脱線したが。
私の脱線以上に、嵩は脱線してゆく。花といえば……。
これは何か。
なんでもない。ただ、遠くからバスがやってくることを書いている。バスを待ちながらすることがないから鼻くそをほじっているのだろう。こういうことは、誰でもする。森鴎外にも、タイトルを忘れたが鼻くそをほじることを書いた文章がある。日本人だけではなく、外国人(ドイツ人だろうなあ)も鼻くそをほじる。なぜそんなことを書くのかわからないが、そういうことを書いた瞬間に、「他人」が「私」になるのである。あるいは「私」が「他人」になるのかもしれない。出会いというのは、どっちがどっちといえない。いっしょにやってくる。
そうか、鼻汁が鼻くそにかたまるように、知らないうちに(時間をかけて)、黄色いバスが徐々に大きくなってくる。それを鼻くそと思った瞬間に、バスは「肉体」そのものになる。
「バスの旅」は「まち」までの旅。まあ、日常かもしれないが、ほら「鼻くそ」と「バス」の関係も発見したし、それから椅子の役割も発見した。こんなことはなかなかできない。
椅子はバス停の待合室の椅子かな? そんなしゃれたものがあるかな? それともバスの座席かな? 「バスはなかなかおおきくなってこない」を時間軸として考えれば、バス停の椅子だけれど、そんな時間軸なんか、意味がないね。風をそよがせ、花が走る世界だから、なんでも「逆転」する。
椅子の役割自体が逆転している。椅子が、自分の役割に、すわっている。人はすわらないのだ。
いろいろな「逆転」は、さらに起きる。
バスは来た。そして、バスに乗った。バスのエンジンは、後ろについている。だからいちばん後ろの席(椅子)にすわったりすると、耳の後ろから音が聞こえるような感じがする。すわれたから、背中の荷物も降ろすことができたのだろう。
バスが来るまで、荷物を背負いながら、「バスはきませんね」などと話していたつづきを、バスのなかでもしている。知っている人? 知らない人かなあ。「雲州」「石州」と土地の名前が違うから、近所の人ではないね。もしかしたら知らない人同士。そこで、ふたりは何を発見したか。人間は、おなじもの、ということを発見したのだ。バスを待っているときは、「バスはきませんね」と言い合うのだ。
こういうとき嵩はどこにいるのだろうか。
白井の詩のように「私」は出てこない。すべての「もの」と「ひと」のなかに溶け込んでいる。「生活」というものは、まあ、そういうことかもしれない。そこでの「発見」は大きいのか、小さいのか。そういうことは関係がない。大も小もない。きょうのバスの乗客は三人だったな、ということも、「生活」のなかの「発見」である。
私は、私の田舎(ふるさと)のバスを思い出したりした。バスの便数も少なければ、乗る人も少ないから、何人乗っているかは、その日の事件(発見)ということもあるのだ。
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人は誰でも旅をする。機能読んだ白井知子は、もっぱら中央アジア、中近東などユーラシア大陸を旅して、人に会っている。
嵩文彦「生活」は違った「旅」をする。「生活」という詩。
風をそよがせて
花は長くもみじかくも
走りぬけていく
書き出しの三行。風が花をそよがせて走り抜けていくのではない。風を置いてきぼりにして花が走り抜けている。動かないものが動き、動くものが動かない。そこからはじまる「旅」があるのだ。つまり、知らなかった何かとの「出会い」、一期一会の変化が。
花びらはどんな花びらも
酔っていたり
酔おうとしていたり
真面目に風を見ようとし
雲のゆくえを視野のしわしわにのせ
息を散らして散ってもいく
花は風に酔うか。酔わないだろう。風も花に酔ったりはしないだろう。花に酔うのは人間である。「酔う」という動詞のなかには「人間くさい」なにかがある。それが「視野のしわしわ」ということばにも「散っていく」にも反映しているだろう。花が「散る」からといって、花を書いていると思ってはならない。
いや、花を書いているんだけれど、花と書いているからといって花についてだけ書いているのではない。「意味」というのは、ほかのことばとの関係のなかで決まってくる。辞書をたよりに定義するのではなく、「意味の揺れ」のなかで、揺れることでしかつかみとれない意味があるということを知るのが、たぶん、詩を初めとする「文学」の楽しいところだろう。
脱線したが。
私の脱線以上に、嵩は脱線してゆく。花といえば……。
人の鼻の穴は
黒くて深いけれど
鼻くそはたまらないくらい
乾いて小さくバスがやってくる
少しづつ黄色くかたまりになってくる
これは何か。
なんでもない。ただ、遠くからバスがやってくることを書いている。バスを待ちながらすることがないから鼻くそをほじっているのだろう。こういうことは、誰でもする。森鴎外にも、タイトルを忘れたが鼻くそをほじることを書いた文章がある。日本人だけではなく、外国人(ドイツ人だろうなあ)も鼻くそをほじる。なぜそんなことを書くのかわからないが、そういうことを書いた瞬間に、「他人」が「私」になるのである。あるいは「私」が「他人」になるのかもしれない。出会いというのは、どっちがどっちといえない。いっしょにやってくる。
そうか、鼻汁が鼻くそにかたまるように、知らないうちに(時間をかけて)、黄色いバスが徐々に大きくなってくる。それを鼻くそと思った瞬間に、バスは「肉体」そのものになる。
くるよ くるよ まちへゆくよ
バスはうたってくる
ゆるくゆるくうたってくる
椅子はじっと無口のままにいる
雨風のみがいたたしかな椅子
椅子はいつもその役割にうつくしくすわる
バスはなかなかおおきくなってこない
「バスの旅」は「まち」までの旅。まあ、日常かもしれないが、ほら「鼻くそ」と「バス」の関係も発見したし、それから椅子の役割も発見した。こんなことはなかなかできない。
椅子はバス停の待合室の椅子かな? そんなしゃれたものがあるかな? それともバスの座席かな? 「バスはなかなかおおきくなってこない」を時間軸として考えれば、バス停の椅子だけれど、そんな時間軸なんか、意味がないね。風をそよがせ、花が走る世界だから、なんでも「逆転」する。
椅子の役割自体が逆転している。椅子が、自分の役割に、すわっている。人はすわらないのだ。
いろいろな「逆転」は、さらに起きる。
いつのまにか音の荷をおろしたバスは
耳たぶの後ろを遠回りにうごいている
バスの床の思いにおいを背負わずにすんだ
雲州の人
石州の人
たまたまのひとりがふたり
おしゃべりをしている
バスは来た。そして、バスに乗った。バスのエンジンは、後ろについている。だからいちばん後ろの席(椅子)にすわったりすると、耳の後ろから音が聞こえるような感じがする。すわれたから、背中の荷物も降ろすことができたのだろう。
バスが来るまで、荷物を背負いながら、「バスはきませんね」などと話していたつづきを、バスのなかでもしている。知っている人? 知らない人かなあ。「雲州」「石州」と土地の名前が違うから、近所の人ではないね。もしかしたら知らない人同士。そこで、ふたりは何を発見したか。人間は、おなじもの、ということを発見したのだ。バスを待っているときは、「バスはきませんね」と言い合うのだ。
こういうとき嵩はどこにいるのだろうか。
白井の詩のように「私」は出てこない。すべての「もの」と「ひと」のなかに溶け込んでいる。「生活」というものは、まあ、そういうことかもしれない。そこでの「発見」は大きいのか、小さいのか。そういうことは関係がない。大も小もない。きょうのバスの乗客は三人だったな、ということも、「生活」のなかの「発見」である。
ふたりはなつかしいくらしにいる
ふたりはさんにんになっている
私は、私の田舎(ふるさと)のバスを思い出したりした。バスの便数も少なければ、乗る人も少ないから、何人乗っているかは、その日の事件(発見)ということもあるのだ。
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講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
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