松浦寿輝「人外詩篇 9」(「現代詩手帖」2020年09月号)
松浦寿輝「人外詩篇 9」を読み始めてすぐに、奇妙な行に出会う。
「いくつも」「たくさん」「無数」の違いは何?
これだけではわからない。わからないけれど、読んで瞬間に、はっとする。
「いくつも」だけでは言えないことがあると松浦は感じている。その感じている「切実さ」が、「いくつもの音/たくさんの音/無数の音」という非論理的な性急なことばの積み重ねのなかにあらわれている。
これは「沈黙」の定義であって、「いくつもの音」(とりえあず、このことばでひとまとめにしておく)ではない。世界には「いくつもの音」が存在するが、自分の行為、思考とは関係ないものを排除しているので「沈黙」が存在するように錯覚する。
この松浦の定義は、「沈黙」の定義であると同時に、人間存在の定義である。人間は自分の行為、思考を中心にして世界をとらえている。それは「音/沈黙」についてもいえる。もし、「意識を空白にして/ただ耳をすま」せば、世界はどんなふうにあらわれてくるか。
「音」は「響き」と言い直され、「響き」が存在するとき、そこには「自分以外のものの行為(動詞)」が存在する。地面を「はう」、足の「動き(これは動詞派生の名詞)」「そよいですれあう」「息をひそめる」「漏らす」「ささやき(ささやく)」。そこには必ず「主語」がある。そして、その「主語」とは「わたし」ではない。「わたし」以外のものだ。そこにはもちろん「人間」もふくまれる。
ここでは、松浦は、いわば「他者」を発見している。
「沈黙」は自分で作り出したもの。しかし、「沈黙」は自己定義によって生まれてくるものであって、「世界」に自然に存在しているわけではない。「自己定義」をやめてしまう(意識を空白にする)と、それまで意識が排除していた「もの」が世界としてあらわれてくる。
そして、その「あらわれ」には「響き」が伴っている。
「響き」と「音」は、どうちがうのか。「他者」の動きが意識されるとき、「音」は「響き」になるのか。「響き」とは「他者の認識」なのか。
もっと明確な「他者」を出現させ、詩は、転調する。
「ことばが通じ合わない」のに、そのひとの「ことば(響き)」が「ことばが通じ合わないのはいいな」と聞こえたのはなぜか。「ことば」が「つぶやく」という動詞で定義されていることと関係するだろう。「つぶやく」のはひとに聞かせるためではない。ふつうは、言うつもりもなくて「声」が出てしまうのが「つぶやき」。話す(語る)ときとつぶやくときは、「響き」がちがう。行為と思考(意識)が違う。
松浦は、ここでは「音」とは違うものとして、「響き」を定義しなおしている、ということになる。
これを、さらに言い直す。
「響き」は「わたしの心につたわってくる」ものである。しかも、「直接」つたわってくる。「音」は「耳」をとおって聞こえてくる。しかし、「響き」は「直接」こころにつたわってくる。しかも、それは「響き(聴覚でとらえたもの)」ではなく「ほほえみ(視覚でとらえたもの)」として。
感覚の越境がある。
「直接」とは、この「越境」のことである。
そして、この越境を促すのが行為(ほほえむ)ある。そこには「ことば」は存在しない。「ことば」をともなわないことを「直接」と言っていることがわかる。
この詩の最初の方で、「自分の行為、思考」ということばが出てきた。「意識」ということばで言い直されているが、つまり「自意識」というものがある。「自意識」を「空白」にすると、「他者」がそれまでとは違った仕方で見えてくる。しかし、このときも「自意識」を中心に「自己/他者」の区別が存在する。
その「境界」が消える瞬間がある。
この瞬間を、何と呼ぶことができるか。
「沈黙」と言い直されている。「いくつもの音/たくさんの音/無数の音」は、「ことば」を経由して、また「沈黙」ということばに帰るしかない。
これは、矛盾か。
矛盾かもしれない。しかし、そういう矛盾でしか語れないものが、詩なのである。
「沈黙」を定義しようとして、定義はできなかったが、「もっとも上質な沈黙」を発見するまでを松浦は描いている。
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松浦寿輝「人外詩篇 9」を読み始めてすぐに、奇妙な行に出会う。
しかし沈黙にもじつは
いくつもの音
たくさんの音
無数の音がみなぎっている と
「いくつも」「たくさん」「無数」の違いは何?
これだけではわからない。わからないけれど、読んで瞬間に、はっとする。
「いくつも」だけでは言えないことがあると松浦は感じている。その感じている「切実さ」が、「いくつもの音/たくさんの音/無数の音」という非論理的な性急なことばの積み重ねのなかにあらわれている。
わたしは知っていた
じぶんの行為にも思考にも無関係な音を
ふだんはただ 意識がそとに
排除しているだけなのだ
これは「沈黙」の定義であって、「いくつもの音」(とりえあず、このことばでひとまとめにしておく)ではない。世界には「いくつもの音」が存在するが、自分の行為、思考とは関係ないものを排除しているので「沈黙」が存在するように錯覚する。
この松浦の定義は、「沈黙」の定義であると同時に、人間存在の定義である。人間は自分の行為、思考を中心にして世界をとらえている。それは「音/沈黙」についてもいえる。もし、「意識を空白にして/ただ耳をすま」せば、世界はどんなふうにあらわれてくるか。
刃物を研ぐように 耳を研ぎすます
そんなうすい とてもうすい刃でなければ
真芯にあてられない繊細な響きがある
地面をはう虫の足の動き
微風にそよいですれあう葉と葉
屋内で息をひそめているヒトたちが漏らす
かすかなささやき
「音」は「響き」と言い直され、「響き」が存在するとき、そこには「自分以外のものの行為(動詞)」が存在する。地面を「はう」、足の「動き(これは動詞派生の名詞)」「そよいですれあう」「息をひそめる」「漏らす」「ささやき(ささやく)」。そこには必ず「主語」がある。そして、その「主語」とは「わたし」ではない。「わたし」以外のものだ。そこにはもちろん「人間」もふくまれる。
ここでは、松浦は、いわば「他者」を発見している。
「沈黙」は自分で作り出したもの。しかし、「沈黙」は自己定義によって生まれてくるものであって、「世界」に自然に存在しているわけではない。「自己定義」をやめてしまう(意識を空白にする)と、それまで意識が排除していた「もの」が世界としてあらわれてくる。
そして、その「あらわれ」には「響き」が伴っている。
「響き」と「音」は、どうちがうのか。「他者」の動きが意識されるとき、「音」は「響き」になるのか。「響き」とは「他者の認識」なのか。
もっと明確な「他者」を出現させ、詩は、転調する。
目をあけると 男とも女ともつかないきみが
立ちどまってわたしを見つめていた
しばらく見つめたあと
ことばが通じ合わないのはいいな とだけ
きみはひくいことばでつぶやいて
あとはだまってほほえんでいた
「ことばが通じ合わない」のに、そのひとの「ことば(響き)」が「ことばが通じ合わないのはいいな」と聞こえたのはなぜか。「ことば」が「つぶやく」という動詞で定義されていることと関係するだろう。「つぶやく」のはひとに聞かせるためではない。ふつうは、言うつもりもなくて「声」が出てしまうのが「つぶやき」。話す(語る)ときとつぶやくときは、「響き」がちがう。行為と思考(意識)が違う。
松浦は、ここでは「音」とは違うものとして、「響き」を定義しなおしている、ということになる。
これを、さらに言い直す。
きみの顔は軒下の影のなかに入っていたが
ほほえみは直接わたしの心につたわってきた
「響き」は「わたしの心につたわってくる」ものである。しかも、「直接」つたわってくる。「音」は「耳」をとおって聞こえてくる。しかし、「響き」は「直接」こころにつたわってくる。しかも、それは「響き(聴覚でとらえたもの)」ではなく「ほほえみ(視覚でとらえたもの)」として。
感覚の越境がある。
「直接」とは、この「越境」のことである。
そして、この越境を促すのが行為(ほほえむ)ある。そこには「ことば」は存在しない。「ことば」をともなわないことを「直接」と言っていることがわかる。
この詩の最初の方で、「自分の行為、思考」ということばが出てきた。「意識」ということばで言い直されているが、つまり「自意識」というものがある。「自意識」を「空白」にすると、「他者」がそれまでとは違った仕方で見えてくる。しかし、このときも「自意識」を中心に「自己/他者」の区別が存在する。
その「境界」が消える瞬間がある。
この瞬間を、何と呼ぶことができるか。
きみの足もとに 月光にうすぼんやりと
うかびあがっているあじさいの花
もし沈黙にいくつもの種類があるとすれば
ほほえみがつたえてくる沈黙は
そのもっとも上質な種類のものだ
「沈黙」と言い直されている。「いくつもの音/たくさんの音/無数の音」は、「ことば」を経由して、また「沈黙」ということばに帰るしかない。
これは、矛盾か。
矛盾かもしれない。しかし、そういう矛盾でしか語れないものが、詩なのである。
「沈黙」を定義しようとして、定義はできなかったが、「もっとも上質な沈黙」を発見するまでを松浦は描いている。
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毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
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