詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

青柳俊哉「水面」、池田清子「慣れ」、徳永孝「振亜さん」

2020-09-03 19:32:59 | 現代詩講座
青柳俊哉「水面」、池田清子「慣れ」、徳永孝「振亜さん」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年08月31日)

水面 青柳俊哉

窓からさしこむ柔らかい光の中を
木綿(もめん)の花のような女の手から
注がれるひとすじのミルクの滴(したた)りは

乳牛(ちちうし)の身体にとけている
土や草花の アルミニウムの
濃密な白である

滴(しずく)を待ち受けている
蜂蜜色のパンと テーブルの
青いクロスの静謐(せいひつ)な朝の水面は

女のきめ細やかな手の深みと
それをとらえて動かない時の
無限の硬さを支える

 起承転結が効果的にことばを統一している。 
 朝の食卓の準備。一連目、二連目(起、承)は明るい感じがつたわってくる。「木綿の花」は「白」、そして柔らかい。それがミルクの白へと自然につながっていく。「木綿」から「ミルク」を経て、二連目の「白」までのあいだに、ことばが自在に動いている。特に二連目の「土や草花の アルミニウムの」のアルミニウムが意識を刺戟してくる。草の中に(土の中に)含まれるわずかなアルミニウムが乳牛に吸収され、それが牛乳の色に反映する。ふつうは意識しない自然の大きな動きが隠れている。
 このあと三連目で大きく動く。主語の「朝の水面」は最後になってやっと登場する。倒置法。「朝の水面」は「比喩」なのだが、その比喩までのことばの動きが、とてもおもしろい。「滴を待ち受けている」だけでは何かわからない。わからないのだけれど、そこに書かれていることばはすべてわかる。これは、次にきっと何か新しいことが書かれる、知らなかったことが明かされるという期待感を誘う。
 それまで存在していた色は「白」だけだったが、突然違った色「蜂蜜色(黄金色、黄色)」があらわれる。その「補色」ではないが、対比生の強い「青」が引き出され、その「青」が「水(面)」へと動いていくときの色彩感覚が美しい。
 そして、この「水面」という比喩をバネにして、詩はさらにことばの運動でしか成立しない世界へと進んでゆく。ミルクは注がれている(上から下へ落ちている)のだが、青柳はこれを逆にとらえる。水面がミルクの垂直(?)の状態を支えている。さらにはミルクを注ぐ女そのものを支えている。テーブルクロスの青(水面)が世界を支えている。均衡をつくりだしている、と言い直せばいいのか。
 ミルクが注がれるとき、そこには「時間」の動きがあるのだが、ミルクが注がれるのではなく、いまある世界を「水面(青いテーブルクロス)」が支えていているととらえるとき、「時間」は止まる。静止した時間を「無限の硬質」と青柳は言い直していることになる。
 「青」に注目して、そこから世界を再構築していることになる。その意図がタイトルにも端的にあらわれている。
 この作品について、青柳は、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を題材にして書いたと説明した。一連目は、絵の全体をとらえたものである。「青」はフェルメール特有のもの。ラピスラズリを精製してつくられる。二連目の「アルミニウム」ということばは、そういうものとも響き合っていると読むべきだったのだろうと思う。この作品ではテーブルクロスだけではなくミルクを注ぐ女のエプロンにもつかわれている。



慣れ  池田清子

慣れることにしましょう

身体の不具合に
つい愚痴りたくなる心根に
淋しさに

慣れることにしましょう

幸せの恥にも慣れましょう

のんきに
自由に
生きてることに慣れましょう

 この詩も「起承転結」を踏まえている。
 そして、その「転」の中心にある「幸せの恥」がとても効果的だ。感想を語り合ったときも、そのことばに感想が集中した。
 「非情に意外性がある」「この詩のキイワード」
 でも、「わからない」という意見は出なかった。
 つまり、言い直そうとすると、どう言い直せばいいのか、どこまで説明すればいいのかわからないが、「幸せの恥」というものがあることを、誰もが知っている。
 それは、「こんなに幸せでいいのか」とか「幸せすぎて、負い目を感じる」ということかもしれない。そういう思いを「恥」というひとことに結晶させている。ときどき、「あんなにはしゃいで、恥ずかしくないのかね」ということばを聞く。自分の幸せしか考えないのは自己中心的だ、という考え方が、私たちの「肉体」にしみついていて、それが「恥」ということばに反応してしまうのだ。同時に、自分が幸せではしゃぎすぎたこととかも思い出してしまう。そして、どうして幸せであることを我慢しなければいけないのかなあ、と思ったりする。
 「あんなにはしゃいで恥ずかしくないのかねえ」
 「いいじゃないか、幸せなときに、はしゃいだって」
 これは「開き直り」かもしれない。
 しかし、こういう「肯定」が必要なのだ。人間は自分を「肯定」できないなら生きている意味もない。この開き直り(?)の肯定が「起承転結」の「結」である。だれもが納得できる「結」だと思う。
 詩を読んだ最後に、いつもの私の意地悪な質問。
 後半の「慣れましょう」を別なことばで言い直すと何になる?
 「満足しましょう」「生き方をしましょう」「ひろげましょう」「喜びましょう」などなど。私は、少し堅苦しいことばだけれど「共有しましょう」をつけくわえたい。
 詩は、ことば(感情/思想)を共有するもの。他人が書いたことばなのだけれど、そのことば「私にちょうだい」と言って自分のものにしてしまうこと。そうやって、自分を少しずつ大きくしていくことが詩を読む楽しさ。

 講座のあと、池田から「二連目の二行目は、最初『心の弱さに』としていたのだが、どっちがいいだろう」と聞かれた。好みの問題があると思う。「心の弱さ」の方がすっきりしているし、リズム的にも読みやすいかもしれない。しかし、「つい愚痴りたくなる心根に」の方が「一筋縄ではいかない(?)」深みがあり、おもしろい。このちょっと複雑な、しかし、わかる、という感じが「幸せの恥」という屈折したことばととてもよく響き合っているのと思う。私は「つい愚痴りたくなる心根に」の方が好きである。



振亜(ツェンヤ)さん

ソファにすわって
テーブルのむこうとこちら
彼女は読書
ぼくはパソコン
いつもの日曜日

ちょっとあきてきた
でも彼女は本に没頭
じゃましちゃわるいかな?

そっと横にすわり
肩をよせる

だれが来たのかな?

Little bear!

さみしかったの? Little bear
あたまをワシャワシャ
ほほを両手でつつみこみ
目を見つめる
そしてハグ

 この作品も「起承転結」が明確な作品。
 後半に「Little bear 」が突然出てくる。ほんとうの熊? まさか。ぬいぐるみ? 受講生に、少し戸惑いが見られた。
 それで、こんなふうに質問してみた。
 一連目の「主語」はだれ? だれが、このことばを書いている? というか、だれの重いが書かれている?
 「ぼく」
 二連目はどうかな? 「じゃましちゃわるいかな?」と思っているは、だれ?
 「ぼく」
 三連目は?
 「ぼく。ぼくが彼女の横にすわり/肩をよせる」
 では四連目は、だれのことば? 彼女が言ったのかなあ。
 「いや、ぼく」
 次の「Little bear!」は? ぼくが言ったのかな? 彼女が言ったのかな? 
 「彼女」
 そうだね、ここで「主語」が交代し、そうてることで「会話」が生まれている。
 恋人がいる。ひとりが背後から近づき目隠しをする。「だれだ?」「あ、〇〇ちゃん」というやりとりに似ている。
 「だれだ(だれが来たのかな?)」と聞くときには、どう答えてくれるかがわかっている。
 では最終連は、だれのことばだろう。だれの行為だろう。
 「さみしかったの? Little bear 」はもちろん「彼女」。「あたまをワシャワシャ」も「彼女」だろう。あとも「彼女」が自然だが(ぼくであってもかまわない)、さいごの「ハグ」はどうだろうか。ここは「ぼく」「彼女」の区別がない。「ハグ」は二人がいて成立することだから。
 最初は別々だった二人(離れていた二人)が「ハグ」という形で一体になる。そして詩は終わる。
 これは一種のドラマのようにつくられている詩である。
 「ぼく」のことを「Little bear 」と呼ぶ「彼女」。そういう「呼ばれ方」を受け入れている「ぼく」。ここから二人の関係(親密度)もわかる楽しい詩だ。
 この詩は、起承転結の「転」の、

だれが来たのかな?

Little bear!

 を、だれのセリフ、そのときの声の調子をどう読み取るかによって、「意味」がまったく違ったものにもなる。
 彼女が、わかっているくせに「だれが来たのかな?」と冷たく言うときもある。それに対して「ぼく」が「Little bear!(わかっているくせに)」と怒って言うときもあるだろう。
 でも、そうすると「さみしかったの?」という問いかけが成り立ちにくい。「彼女」が「ぼく」の気持ちに気づいて、邪険に反応したことを反省し「さみしかったの?」とやさしくことばをかけなおしている、と読むには、「情報」が不足しすぎている。長いドラマならそういうこともあるだろうけれど、この詩の場合は単純に、幸福な恋人の一日ととらえる方が幸せな気持ちになれるはず。





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よみがえる恐怖

2020-09-03 16:50:06 | 自民党憲法改正草案を読む
 2016年07月の「参院選」の1週間前の日曜日。私は新聞社の仕事をしていた。その日は「参院選の当落予測」を報道する紙面をつくっていた。ふつう、こういうとき新聞社は「活気」がある。しかし、その日は違った。静まり返っている。だれも「世論調査」の「数字」を気にしていない。自民党が圧勝することはわかりきっている、だれが当選し、誰が落選するか、「予測」してみる必要もない、という感じだった。
 そして、その「予測される結果」に対して、だれも何も言わない。「批判」も「肯定」もしない。「残念」とも「よかった」ともいわない。静かに受け入れている。それ以後、衆院選でも同じような状況がつづいた。まるで、私だけが「脚本」を手渡されずに、現実という「芝居」に投げ込まれている感じ。みんな「結末」を知って、それにあわせて機械のように動いている。アドリブがないのはもちろんだが、ほんの小さな言い回しのミスさえないという感じの静かな雰囲気。

 いま、私は年金生活で新聞社ではどんな雰囲気で人が働いているか知ることもできないのだが、紙面や何かから感じられる「奇妙な絶対的静かさ」(予測される結果に対する批判のなさ)は、16年の夏以上だ。
 いまは、参院選(あるいは衆院選)ではなく、安倍の「病気辞任」後の「総裁選」前なのだが。
 その「総裁選」の「予測」ははやばやと報道されて、「予測」を超えて、事実になってしまっている。

 それにしても、おそろしい。
 安倍が「辞任会見」語ったことを要約すれば、「コロナ対策にかける金を減らし、その分を敵基地攻撃にまわす(ミサイルを買う)」。
 あの日、なぜ出席していた記者が問い詰めなかったのか、私は疑問に思いつづけている。
 その後の、読売新聞の「敵基地攻撃構想」の「特ダネ」、各社の後追い(28日の「辞任会見」で言っているのに、なぜ、「31日にわかった」のような「後追い」の書き方をするのかわからないが)、さらに菅総理への自民党の一致団結ぶりを見ていると、なんだか読売新聞だけが安倍の片棒担ぎをしているのではなく、あらゆるマスコミが片棒担ぎに連携しているとしか思えない。
 「事実」は「シナリオどおり」に動いている。知らないのは、私だけ。
 ほかの読者(国民)は、どれだけ知っているのだろう。いわゆる「識者」たちは、何を知っていて、何を隠しているのか。
 私にはあらゆることが「隠されている」としか思えない。
 「コロナ対策にかける金を減らし、その分を敵基地攻撃にまわす(ミサイルを買う)」という政策を、「問題はありません」「その指摘はあたりません」「あなたの質問に答える場ではありません」と言い続けた菅が、行政の長となって推し進めるのである。「コロナに感染しても軽症なら治療費は自己負担。仕事を休んでも、それは予防対策をとらなかった自己責任。政府には関係ありません」と国民は切り捨てられるのだろう。

 みんな、こわくないのか。
 こわくない人がいるということが、また、こわい。
 私はもともと病弱で、いまは年金生活である。言い換えると、余命がそんなにあるわけではない。どうせ死ぬのだとわかっているが、こわいなあ。死も、この世の中の動きも。







*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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情報操作の仕方(読売新聞の場合)

2020-09-03 08:36:08 | 自民党憲法改正草案を読む
情報操作の仕方(読売新聞の場合)
   自民党憲法改正草案を読む/番外388(情報の読み方)

 2020年09月03日の読売新聞(西部版・14版)は菅の自民党総裁選出馬の記事でいっぱい。1面の見出し。

菅氏、安倍路線を「継承」/自民党総裁選 出馬正式表明/感染防止と経済活動を両立

 私は「記者会見」を見ていないし、その際、記者がどれだけ踏み込んで質問しているのかも知らないのだが、読んだ瞬間に「情報操作の仕方があくどい」と感じた。
 緊急の「課題」として「感染防止と経済活動を両立」をあげているのは、たしかに「安倍路線」の継承である。
 しかし、安倍が「辞任会見」で主張したのはコロナ対策だけか。そうではない。こう言っている。https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0828kaiken.html

 コロナ対策と並んで一時の空白も許されないのが、我が国を取り巻く厳しい安全保障環境への対応であります。北朝鮮は弾道ミサイル能力を大きく向上させています。これに対し、迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことができるのか。一昨日の国家安全保障会議では、現下の厳しい安全保障環境を踏まえ、ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を協議いたしました。今後速やかに与党調整に入り、その具体化を進めます。
 以上、2つのことを国民の皆様に御報告させていただいた上で、私自身の健康上の問題についてお話をさせていただきたいと思います。

 そして30日の読売新聞の「特ダネ」以降、方々で「迎撃だけではだめだ、敵基地を先制攻撃する必要がある」という安倍の主張にもとづく「安全保障政策」が問題になっている。
 この問題を菅は、どう「継承」するのか。そのまま推進するということだろう。そのことが、紙面のどこを見ても書いてない。書いているのは「普天間基地」のことだけである。
 これは、どういうことか。
 これ以上踏み込むと、安倍とアメリカの「密約」がばれるからだ。私は河井問題で安倍が逮捕されるのを避けるために、アメリカに「ミサイルを買うから助けて」と安倍が泣きつき、アメリカは「安倍はまだまだつかいがってがある(すぐに金を出す)から助けてやろう」と手を回したのだと思う。田中角栄逮捕のときも、本当かどうか知らないが、立花隆の告発(金脈列島)が引き金のように見えるが、裏でアメリカが動いたといわれる。立花の情報なら新聞記者はみんな知っていた。知っていて書かなかった。田中はベトナム戦争への自衛隊派兵要請を拒否したから、アメリカから「切り捨てられた」と一部で言われている。そのアメリカの「情報操作能力」(日本の捜査機関にどれだけ情報を提供し、それによって何をするか)ということを頼りにしたのだと思う。
 こんなふうに「泣きついてくる人間」は操作しやすい。石破は「泣きつき型」の人間ではないように見える。防衛についても、タカ派だが、かならずしもアメリカの思惑どおりには動かないだろうと思う。自分の方針を打ち出すと思う。そういう人間ではなく、いつでもアメリカの言いなりになって「金をばらまく人間」をアメリカは求めているのだ。
 沖縄から基地を撤退させると「公約」していた鳩山が首相になったとき、鳩山がつまずいたのが、「日米委員会」であった。首相の決断より上に「日米委員会」がある。日本はアメリカの属国から脱けだせない状態がつづいている。「日米委員会」の「決定」にしたがいながら、日本の政治(アメリカの世界戦略)を動かしている。鳩山が感じたのは「首相の限界」だったのだ。
 安倍はどうか。安倍の「主義主張」はたったひとつ。「ぼくちゃん、何も悪いことをしていない。ぼくちゃん、金をばらまき、みんなからありがとう。安倍ちゃん、大好きといわれたい」。これだけなのだ。逮捕されたら、ストレスで病気が悪化して、それこそたいへんかもしれない。いま泣きつかないでどうする。それで「敵基地を攻撃できるミサイルを買うからなんとかして」と間接的にアピールしたのが「辞任会見」である。その「間接的アピール」が新聞などで報道されなかったために、大慌てで読売新聞に「リーク」し「特ダネ」を書かせた。他者が追いかけ、安倍の訴え(約束)が嘘ではないことがわかり、アメリカは安倍逮捕回避に動いた。
 そういうことが自民党内で明確になった。まだまだ安倍の時代なのだ。だから、あっという間に、菅総裁で一致したのだ。
 菅総裁は、単に菅総裁ではなく、石破つぶし、岸田つぶしでもある。石破や岸田が総裁になれば、安倍は復活できない。安倍を復活させるためには、石破、岸田をつぶす必要がある。それには菅で団結するしかないのだ。

 私の書いていることは「憶測」にすぎないが。
 なぜそんな「憶測」をするかというと、「敵基地を攻撃するシステム」問題について、菅はどう考えているのか。その「路線」を継承するのかどうか、どこにも書いていないからである。
 アメリカと安倍の「密約」がないのなら、「辞任会見」でわざわざ語り、また、その後急浮上してきた問題について触れないのは、不自然としかいえない。「感染防止と経済活動の両立」はもう使い古された「キャッチコピー」である。しかも、その「両立」というのは「国民の自己責任」のように言われている。国の政策が悪いのではなく、ひとりひとりの行動に問題がある、と。そういう「自己責任論」を展開するために、最初に利用されたのが「夜の街」という考えである。「批判できる対象」を見つけ出し、それを「排除」する。「差別」を持ち込むことで、国民を団結させる。権力の力で差別を確立し、国民を差別する側で団結させ、「悪いのはあいつらだ」と叫ばせることで鬱憤晴らしに手を貸す。
 これはすぐわかるように、「北朝鮮は敵だ。北朝鮮は日本へ侵略してくる」と主張し、国民を不安にさせ、団結させる手口に似ている。その手口で防衛費を増やす。つまり、アメリカへ武器の代金を支払う。武器の「爆買い」。安倍は、それをいつでもやってくれる。安倍がいるかぎりアメリカの軍需産業は不況知らずなのだ。
 このアメリカからの武器の「爆買い」を菅は継承するのか、どうなのか。そのことについては、ひとことも書いていない。
 「情報操作」には2種類ある。ひとつは「書く」こと。30日の「特ダネ」のように。もうひとつは「書かないこと」。知らせないこと。きょうの読売新聞は「書かない」を選択している。
 そして、念入りにも。
 4面には菅の総裁選出馬に関係して、細田・麻生・竹下の3派閥が共同会見を開いたと報じている。このニュースは、この会見に二階が出席していないと伝えることで、自民党内で「主導権争い」が起きていると言うのだが、「狙い」は、そんなことではない。自民党内の「主導権(権力争い)」など、国民には直接関係がない。そういう「なまぐさい」ものへの好奇心を刺戟することで、「菅総裁」そのものを決定事項にすると同時に、「適地攻撃ミサイル」のことも忘れさせようとしているのだ。「ほら、こんなふうに自民党内で争うが起きている。おもしろいでしょ? 知らないでしょ?」というわけだ。これは「書く」ことで、国民の関心を「適地攻撃ミサイル」からそらさせるという作戦なのである。
 「書く」と「書かない」を巧みにつかいわけている。










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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
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#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



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