青柳俊哉「水面」、池田清子「慣れ」、徳永孝「振亜さん」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年08月31日)
起承転結が効果的にことばを統一している。
朝の食卓の準備。一連目、二連目(起、承)は明るい感じがつたわってくる。「木綿の花」は「白」、そして柔らかい。それがミルクの白へと自然につながっていく。「木綿」から「ミルク」を経て、二連目の「白」までのあいだに、ことばが自在に動いている。特に二連目の「土や草花の アルミニウムの」のアルミニウムが意識を刺戟してくる。草の中に(土の中に)含まれるわずかなアルミニウムが乳牛に吸収され、それが牛乳の色に反映する。ふつうは意識しない自然の大きな動きが隠れている。
このあと三連目で大きく動く。主語の「朝の水面」は最後になってやっと登場する。倒置法。「朝の水面」は「比喩」なのだが、その比喩までのことばの動きが、とてもおもしろい。「滴を待ち受けている」だけでは何かわからない。わからないのだけれど、そこに書かれていることばはすべてわかる。これは、次にきっと何か新しいことが書かれる、知らなかったことが明かされるという期待感を誘う。
それまで存在していた色は「白」だけだったが、突然違った色「蜂蜜色(黄金色、黄色)」があらわれる。その「補色」ではないが、対比生の強い「青」が引き出され、その「青」が「水(面)」へと動いていくときの色彩感覚が美しい。
そして、この「水面」という比喩をバネにして、詩はさらにことばの運動でしか成立しない世界へと進んでゆく。ミルクは注がれている(上から下へ落ちている)のだが、青柳はこれを逆にとらえる。水面がミルクの垂直(?)の状態を支えている。さらにはミルクを注ぐ女そのものを支えている。テーブルクロスの青(水面)が世界を支えている。均衡をつくりだしている、と言い直せばいいのか。
ミルクが注がれるとき、そこには「時間」の動きがあるのだが、ミルクが注がれるのではなく、いまある世界を「水面(青いテーブルクロス)」が支えていているととらえるとき、「時間」は止まる。静止した時間を「無限の硬質」と青柳は言い直していることになる。
「青」に注目して、そこから世界を再構築していることになる。その意図がタイトルにも端的にあらわれている。
この作品について、青柳は、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を題材にして書いたと説明した。一連目は、絵の全体をとらえたものである。「青」はフェルメール特有のもの。ラピスラズリを精製してつくられる。二連目の「アルミニウム」ということばは、そういうものとも響き合っていると読むべきだったのだろうと思う。この作品ではテーブルクロスだけではなくミルクを注ぐ女のエプロンにもつかわれている。
*
この詩も「起承転結」を踏まえている。
そして、その「転」の中心にある「幸せの恥」がとても効果的だ。感想を語り合ったときも、そのことばに感想が集中した。
「非情に意外性がある」「この詩のキイワード」
でも、「わからない」という意見は出なかった。
つまり、言い直そうとすると、どう言い直せばいいのか、どこまで説明すればいいのかわからないが、「幸せの恥」というものがあることを、誰もが知っている。
それは、「こんなに幸せでいいのか」とか「幸せすぎて、負い目を感じる」ということかもしれない。そういう思いを「恥」というひとことに結晶させている。ときどき、「あんなにはしゃいで、恥ずかしくないのかね」ということばを聞く。自分の幸せしか考えないのは自己中心的だ、という考え方が、私たちの「肉体」にしみついていて、それが「恥」ということばに反応してしまうのだ。同時に、自分が幸せではしゃぎすぎたこととかも思い出してしまう。そして、どうして幸せであることを我慢しなければいけないのかなあ、と思ったりする。
「あんなにはしゃいで恥ずかしくないのかねえ」
「いいじゃないか、幸せなときに、はしゃいだって」
これは「開き直り」かもしれない。
しかし、こういう「肯定」が必要なのだ。人間は自分を「肯定」できないなら生きている意味もない。この開き直り(?)の肯定が「起承転結」の「結」である。だれもが納得できる「結」だと思う。
詩を読んだ最後に、いつもの私の意地悪な質問。
後半の「慣れましょう」を別なことばで言い直すと何になる?
「満足しましょう」「生き方をしましょう」「ひろげましょう」「喜びましょう」などなど。私は、少し堅苦しいことばだけれど「共有しましょう」をつけくわえたい。
詩は、ことば(感情/思想)を共有するもの。他人が書いたことばなのだけれど、そのことば「私にちょうだい」と言って自分のものにしてしまうこと。そうやって、自分を少しずつ大きくしていくことが詩を読む楽しさ。
講座のあと、池田から「二連目の二行目は、最初『心の弱さに』としていたのだが、どっちがいいだろう」と聞かれた。好みの問題があると思う。「心の弱さ」の方がすっきりしているし、リズム的にも読みやすいかもしれない。しかし、「つい愚痴りたくなる心根に」の方が「一筋縄ではいかない(?)」深みがあり、おもしろい。このちょっと複雑な、しかし、わかる、という感じが「幸せの恥」という屈折したことばととてもよく響き合っているのと思う。私は「つい愚痴りたくなる心根に」の方が好きである。
*
この作品も「起承転結」が明確な作品。
後半に「Little bear 」が突然出てくる。ほんとうの熊? まさか。ぬいぐるみ? 受講生に、少し戸惑いが見られた。
それで、こんなふうに質問してみた。
一連目の「主語」はだれ? だれが、このことばを書いている? というか、だれの重いが書かれている?
「ぼく」
二連目はどうかな? 「じゃましちゃわるいかな?」と思っているは、だれ?
「ぼく」
三連目は?
「ぼく。ぼくが彼女の横にすわり/肩をよせる」
では四連目は、だれのことば? 彼女が言ったのかなあ。
「いや、ぼく」
次の「Little bear!」は? ぼくが言ったのかな? 彼女が言ったのかな?
「彼女」
そうだね、ここで「主語」が交代し、そうてることで「会話」が生まれている。
恋人がいる。ひとりが背後から近づき目隠しをする。「だれだ?」「あ、〇〇ちゃん」というやりとりに似ている。
「だれだ(だれが来たのかな?)」と聞くときには、どう答えてくれるかがわかっている。
では最終連は、だれのことばだろう。だれの行為だろう。
「さみしかったの? Little bear 」はもちろん「彼女」。「あたまをワシャワシャ」も「彼女」だろう。あとも「彼女」が自然だが(ぼくであってもかまわない)、さいごの「ハグ」はどうだろうか。ここは「ぼく」「彼女」の区別がない。「ハグ」は二人がいて成立することだから。
最初は別々だった二人(離れていた二人)が「ハグ」という形で一体になる。そして詩は終わる。
これは一種のドラマのようにつくられている詩である。
「ぼく」のことを「Little bear 」と呼ぶ「彼女」。そういう「呼ばれ方」を受け入れている「ぼく」。ここから二人の関係(親密度)もわかる楽しい詩だ。
この詩は、起承転結の「転」の、
を、だれのセリフ、そのときの声の調子をどう読み取るかによって、「意味」がまったく違ったものにもなる。
彼女が、わかっているくせに「だれが来たのかな?」と冷たく言うときもある。それに対して「ぼく」が「Little bear!(わかっているくせに)」と怒って言うときもあるだろう。
でも、そうすると「さみしかったの?」という問いかけが成り立ちにくい。「彼女」が「ぼく」の気持ちに気づいて、邪険に反応したことを反省し「さみしかったの?」とやさしくことばをかけなおしている、と読むには、「情報」が不足しすぎている。長いドラマならそういうこともあるだろうけれど、この詩の場合は単純に、幸福な恋人の一日ととらえる方が幸せな気持ちになれるはず。
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水面 青柳俊哉
窓からさしこむ柔らかい光の中を
木綿(もめん)の花のような女の手から
注がれるひとすじのミルクの滴(したた)りは
乳牛(ちちうし)の身体にとけている
土や草花の アルミニウムの
濃密な白である
滴(しずく)を待ち受けている
蜂蜜色のパンと テーブルの
青いクロスの静謐(せいひつ)な朝の水面は
女のきめ細やかな手の深みと
それをとらえて動かない時の
無限の硬さを支える
起承転結が効果的にことばを統一している。
朝の食卓の準備。一連目、二連目(起、承)は明るい感じがつたわってくる。「木綿の花」は「白」、そして柔らかい。それがミルクの白へと自然につながっていく。「木綿」から「ミルク」を経て、二連目の「白」までのあいだに、ことばが自在に動いている。特に二連目の「土や草花の アルミニウムの」のアルミニウムが意識を刺戟してくる。草の中に(土の中に)含まれるわずかなアルミニウムが乳牛に吸収され、それが牛乳の色に反映する。ふつうは意識しない自然の大きな動きが隠れている。
このあと三連目で大きく動く。主語の「朝の水面」は最後になってやっと登場する。倒置法。「朝の水面」は「比喩」なのだが、その比喩までのことばの動きが、とてもおもしろい。「滴を待ち受けている」だけでは何かわからない。わからないのだけれど、そこに書かれていることばはすべてわかる。これは、次にきっと何か新しいことが書かれる、知らなかったことが明かされるという期待感を誘う。
それまで存在していた色は「白」だけだったが、突然違った色「蜂蜜色(黄金色、黄色)」があらわれる。その「補色」ではないが、対比生の強い「青」が引き出され、その「青」が「水(面)」へと動いていくときの色彩感覚が美しい。
そして、この「水面」という比喩をバネにして、詩はさらにことばの運動でしか成立しない世界へと進んでゆく。ミルクは注がれている(上から下へ落ちている)のだが、青柳はこれを逆にとらえる。水面がミルクの垂直(?)の状態を支えている。さらにはミルクを注ぐ女そのものを支えている。テーブルクロスの青(水面)が世界を支えている。均衡をつくりだしている、と言い直せばいいのか。
ミルクが注がれるとき、そこには「時間」の動きがあるのだが、ミルクが注がれるのではなく、いまある世界を「水面(青いテーブルクロス)」が支えていているととらえるとき、「時間」は止まる。静止した時間を「無限の硬質」と青柳は言い直していることになる。
「青」に注目して、そこから世界を再構築していることになる。その意図がタイトルにも端的にあらわれている。
この作品について、青柳は、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を題材にして書いたと説明した。一連目は、絵の全体をとらえたものである。「青」はフェルメール特有のもの。ラピスラズリを精製してつくられる。二連目の「アルミニウム」ということばは、そういうものとも響き合っていると読むべきだったのだろうと思う。この作品ではテーブルクロスだけではなくミルクを注ぐ女のエプロンにもつかわれている。
*
慣れ 池田清子
慣れることにしましょう
身体の不具合に
つい愚痴りたくなる心根に
淋しさに
慣れることにしましょう
幸せの恥にも慣れましょう
のんきに
自由に
生きてることに慣れましょう
この詩も「起承転結」を踏まえている。
そして、その「転」の中心にある「幸せの恥」がとても効果的だ。感想を語り合ったときも、そのことばに感想が集中した。
「非情に意外性がある」「この詩のキイワード」
でも、「わからない」という意見は出なかった。
つまり、言い直そうとすると、どう言い直せばいいのか、どこまで説明すればいいのかわからないが、「幸せの恥」というものがあることを、誰もが知っている。
それは、「こんなに幸せでいいのか」とか「幸せすぎて、負い目を感じる」ということかもしれない。そういう思いを「恥」というひとことに結晶させている。ときどき、「あんなにはしゃいで、恥ずかしくないのかね」ということばを聞く。自分の幸せしか考えないのは自己中心的だ、という考え方が、私たちの「肉体」にしみついていて、それが「恥」ということばに反応してしまうのだ。同時に、自分が幸せではしゃぎすぎたこととかも思い出してしまう。そして、どうして幸せであることを我慢しなければいけないのかなあ、と思ったりする。
「あんなにはしゃいで恥ずかしくないのかねえ」
「いいじゃないか、幸せなときに、はしゃいだって」
これは「開き直り」かもしれない。
しかし、こういう「肯定」が必要なのだ。人間は自分を「肯定」できないなら生きている意味もない。この開き直り(?)の肯定が「起承転結」の「結」である。だれもが納得できる「結」だと思う。
詩を読んだ最後に、いつもの私の意地悪な質問。
後半の「慣れましょう」を別なことばで言い直すと何になる?
「満足しましょう」「生き方をしましょう」「ひろげましょう」「喜びましょう」などなど。私は、少し堅苦しいことばだけれど「共有しましょう」をつけくわえたい。
詩は、ことば(感情/思想)を共有するもの。他人が書いたことばなのだけれど、そのことば「私にちょうだい」と言って自分のものにしてしまうこと。そうやって、自分を少しずつ大きくしていくことが詩を読む楽しさ。
講座のあと、池田から「二連目の二行目は、最初『心の弱さに』としていたのだが、どっちがいいだろう」と聞かれた。好みの問題があると思う。「心の弱さ」の方がすっきりしているし、リズム的にも読みやすいかもしれない。しかし、「つい愚痴りたくなる心根に」の方が「一筋縄ではいかない(?)」深みがあり、おもしろい。このちょっと複雑な、しかし、わかる、という感じが「幸せの恥」という屈折したことばととてもよく響き合っているのと思う。私は「つい愚痴りたくなる心根に」の方が好きである。
*
振亜(ツェンヤ)さん
ソファにすわって
テーブルのむこうとこちら
彼女は読書
ぼくはパソコン
いつもの日曜日
ちょっとあきてきた
でも彼女は本に没頭
じゃましちゃわるいかな?
そっと横にすわり
肩をよせる
だれが来たのかな?
Little bear!
さみしかったの? Little bear
あたまをワシャワシャ
ほほを両手でつつみこみ
目を見つめる
そしてハグ
この作品も「起承転結」が明確な作品。
後半に「Little bear 」が突然出てくる。ほんとうの熊? まさか。ぬいぐるみ? 受講生に、少し戸惑いが見られた。
それで、こんなふうに質問してみた。
一連目の「主語」はだれ? だれが、このことばを書いている? というか、だれの重いが書かれている?
「ぼく」
二連目はどうかな? 「じゃましちゃわるいかな?」と思っているは、だれ?
「ぼく」
三連目は?
「ぼく。ぼくが彼女の横にすわり/肩をよせる」
では四連目は、だれのことば? 彼女が言ったのかなあ。
「いや、ぼく」
次の「Little bear!」は? ぼくが言ったのかな? 彼女が言ったのかな?
「彼女」
そうだね、ここで「主語」が交代し、そうてることで「会話」が生まれている。
恋人がいる。ひとりが背後から近づき目隠しをする。「だれだ?」「あ、〇〇ちゃん」というやりとりに似ている。
「だれだ(だれが来たのかな?)」と聞くときには、どう答えてくれるかがわかっている。
では最終連は、だれのことばだろう。だれの行為だろう。
「さみしかったの? Little bear 」はもちろん「彼女」。「あたまをワシャワシャ」も「彼女」だろう。あとも「彼女」が自然だが(ぼくであってもかまわない)、さいごの「ハグ」はどうだろうか。ここは「ぼく」「彼女」の区別がない。「ハグ」は二人がいて成立することだから。
最初は別々だった二人(離れていた二人)が「ハグ」という形で一体になる。そして詩は終わる。
これは一種のドラマのようにつくられている詩である。
「ぼく」のことを「Little bear 」と呼ぶ「彼女」。そういう「呼ばれ方」を受け入れている「ぼく」。ここから二人の関係(親密度)もわかる楽しい詩だ。
この詩は、起承転結の「転」の、
だれが来たのかな?
Little bear!
を、だれのセリフ、そのときの声の調子をどう読み取るかによって、「意味」がまったく違ったものにもなる。
彼女が、わかっているくせに「だれが来たのかな?」と冷たく言うときもある。それに対して「ぼく」が「Little bear!(わかっているくせに)」と怒って言うときもあるだろう。
でも、そうすると「さみしかったの?」という問いかけが成り立ちにくい。「彼女」が「ぼく」の気持ちに気づいて、邪険に反応したことを反省し「さみしかったの?」とやさしくことばをかけなおしている、と読むには、「情報」が不足しすぎている。長いドラマならそういうこともあるだろうけれど、この詩の場合は単純に、幸福な恋人の一日ととらえる方が幸せな気持ちになれるはず。
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少なくとも月1篇は送信してください。
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