小川三郎「バス」(「モーアシビ」39、2020年08月30日発行)
小川三郎「バス」。
故障して
動かなくなったバスが
大通りに停まっている。
バスの中には乗客が
ぎゅうぎゅう詰めになっている。
はやくみんな降りなさいと
警察官に言われても
誰もバスを降りてこない。
乗客同士身体を寄せ合い
文庫本に目を落としたり
じっと宙を見つめたり
眠ったふりをしている。
バスはついさっき故障したのに
車体は錆びつき
タイヤの空気は抜け
窓は曇ってツタが絡まり
型式まで古くなっている。
あり得ることと、あり得ないことが同時に書かれている。フィクションなのだが、現実であってもいいとも思える。
なぜだろうか。
ことばのリズムに無理がないからだ。「間」がいいのだ。「間」の説明はむずかしいが、この小川の詩では「先を急がない」ということ。
バスが故障して止まる。これは、あり得る。そのバスが満員、というのもあり得る。しかし、そこへ警官がやってきて「みんな降りなさい」とは言うことは現実としてはあり得ないだろう。こういう「あり得ない」という状況へことばが動いていってしまったとき、おうおうにしてことばは急ぎ始める。「あり得ない」を「あり得る」ものとして「証明」しようとする。「論理的」であることを説明しようとことばが急ぎ始める。
ところが、ここで小川は立ち止まる。いや、引き返す。「文庫本に目を落としたり/じっと宙を見つめたり/眠ったふりをしている。」は故障して立ち往生しているバスの乗客の姿ではない。いまどき文庫本を読んでいる客はいない。スマートホンを見ている客ならいる。引き返し方が、ちょっと「古くさい」のである。
で、その「古くさい」リズムのまま、バスそのものまで古くなっていく。三連目には、「型式まで古くなっている。」と「古い」ということばまで、しっかり出てくる。リズムをことばで補強している。
「動かなくなったバス」そのもののように、ことばは動かない。先へ先へと動くのをやめて、「止まる」を選んで、それをリズムそのものにしてしまう。絶対に急がない。突然生まれた「間」を「間」のままにして放置している。
これを何というか。
社会的常識を持っていただきたいと
警察官は乗客を諭すが
反応する乗客はひとりもいない。
バスが再び走り出すのを
我慢強く待っている。
「我慢(する)」という。ここに書かれているのは「我慢」の「間」であり、「我慢」のリズムである。警官は「我慢」するとき、「我慢」の内部で動く反抗のようなものである。これがあるから「我慢」になる。警官のことばがなければ「我慢」は生まれない。内部に抵抗があるから「間」が強くなる。
小川は、もともと「間(リズム)」が非常に正確な詩人だ。この詩では、その秘密を「我慢」ということばで明かしているとも言える。
誰も指摘してくれないので、じれてしまった?
まあ、そんなことはないだろうけれど。
「社会的常識を持っていただきたい」ということばの出し方(間の破り方)がとてもおもしろく、私は笑いだしてしまったが、この詩では、そういう「話術」を広げて見せたということだろう。
乗客が願うことは
ただひとつだけ。
どんなに時代が変わったところで
そのことだけは変わらない。
他人はそれを責めたてるけれど
一度バスに乗ってしまえば
誰もが同じことを願う。
やがて
バスゆっくり発車する。
つぶれたタイヤがいびつに滑るが
客は晴れ晴れとした顔をしている。
警察官はため息をついてあきらめ
パトカーに戻り無線を取る。
人々は視線を逸らして
勤め先や学校へ急ぐ。
バスは斜めに傾きながら
交差点を左に曲がる。
信号機は顔色を変えず
ひとつ向こうの通りを見ている。
いいなあ、この感じ。
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