詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」

2020-09-20 17:58:08 | 詩(雑誌・同人誌)
白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」(「幻竜」31、2020年05月30日発行)

 白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」はタイトル通り、ヴォルガ河を旅行したときのことを書いている。
 その書き出し。

秋の夕ぐれから寝いってしまい
真夜中のヴォルガ河
船室への電話で呼びだされた レストランへ
左舷 窓際の一卓 そこだけ ほのかに灯がともっていた

 なんでもない書き出しに見える。そして、実際なんでもないのかもしれないが、ここには不思議なリズムがある。すべてが唐突なのだ。そしてその唐突が自然だ。意識が動いた順にそのままことばになっている。あるいは意識が動く前に「もの」があらわれ、それを意識がことばにしていくのだが、その「あらわれ」から「ことば」になるまでのリズムに嘘がない。自然な力がこもっている。学校教科書の「正しい散文」(てにをは、のととのった文章)にしてしまうと消えてしまう自然な意識の流れがある。
 古い表現になるが「意識の流れ」を書いているとさえ言える。「もの」(存在)と拮抗しながら、意識がより明確になり、それが「もの」(存在)に強い輪郭を与え、「もの」(存在)そのものが意識になってしまうような感じ。
 と、抽象的に書いたのでは、何も書いたことにならないかもしれない。
 白井が「呼び出された」テーブルでは、何が起きるのか。ひとり、男が遅れてやってくる。

アルスカヤさんが囁く
ウリヤノフスクで下船して あの男が生家を訪ねたでしょう
ベートーヴェンの「熱情」を好んだ男だわ
古い鍵盤 生家のピアノを
かれの最愛のママが弾いている
聴こえてくるでしょうと わたしに

小柄の老人がやってくる
狷介でも どこか 焦燥感につつまれているような覚束ない歩きよう
革命の魔物にとりつかれたのが
この男だったのか
ウラジーミル・レーニン
男は咳きこみ 腰かけるのをためらっている
郷愁にかられた職業革命家の横顔

 「わたしに」の位置が非常におもしろい。「アルスカヤさん」のささやき声にしたがって(ことばにしたがって)、白井は昼の小旅行で見た家を思い出す。記憶を思い出す。それを聞いた「わたし」は、そのときそこにいなかった男を、いまここで思い出す。ことばの「主体」が「アルスカヤさん」から「わたし」に交代して、「わたし」が男を描写しなおす。
 それを、さらに「副船長」が言い直す。それが次の連。

副船長 吐きすてるようにして
この男が屍体を見たのは 生涯に わずか 三人
父親と妹 妻の母親
夥しくも流された血は 彼にとっては紙の上のことだった
〈おれたちは 時代に選ばれてしまった〉
〈おれたちは 選ぶことはできなかった〉

 ことばが存在になり、存在がことばを強化して、意識を生みなおす。そのことばを聞くとき、白井は単に副船長のことばを聞いているだけではない。副船長の「人生(肉体)」を共有する。
 白井だけでは動かすことのできない「精神」が、そのとき動くのだ。
 この緊張感が、白井のことばを統一する。

斜かいによぎる
そこはかとなく 精霊がしのびよる 精霊の殺気だ
霊魂ごと刺しつらぬかれようとも
わたしは 心の秘境 辛苦の声を聴きたい ロシアを大地とする無名の民の
切に会いたい人を予覚させるためだったのか
招かれたのは
真夜中 一卓の晩餐へ
遠すぎた人 名もない人にこそ出会うよう
かれらの嗄れ声はちぎれながらも
混迷の霧 岸辺の草 この船上にも漂っている 紛れこむのは
わたしだ
ヴォルガ河 古くからの羊水

 遅れてやってきたのは(招かれたのは)レーニンだったのか。そうではなく、「アルスカヤさん」「副船長」、そのひとたちと連なる「名もない人」こそ遅れてやってきて、「わたし」を肉体の内部から作り替えていく。出会った人の力で、白井は生まれ変わる。
 「羊水」はそういうできごとの象徴である。
 生まれ変わるために、白井は旅をする。









**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」8月号を発売中です。
162ページ、2000円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168079876



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Estoy loco por espana(番外篇91) Javier Messia ETHOS

2020-09-20 15:23:34 | estoy loco por espana


Javier Messia ETHOS

Hay cinco a’reas.
Unas manchas espeluznante invade la tranquilidad. ..
?’Que’ es esto?
Los no identificados invaden desde la izquierda, pero se pueden ver rastros similares a la derecha.
Ha habido intrusiones espeluznantes en el pasado.

Ahora, en 2020, las manchas espeluznantes parecen un virus corona : covid 19.

" manchas espeluznante ", escribi’. Sin embargo, se ve hermoso por alguna razo’n.
Azul que mantiene su belleza frente a la suciedad invasora. Y el cambio de azul.
Hay un equilibrio misterioso.

Si esta mancha fuera del color dorado que Javier habi’a usado hasta ahora, no habri’a sido molesto. Simplemente se vei’a hermoso.

Pero la belleza no es el u’nico arte.
Tambie’n es un arte despertar ansiedad y hacer visible lo que ahora no puedes ver.

Si no es 2020, puedo ver diferente.
A menos que fuera 2020, Javier podri’a haber usado un color diferente.

Las obras e impresiones conviven con los tiempos.

五つに区切られた領域がある。
その静謐を犯すように侵入してくる不気味な汚れ。
これはなんだろうか。
正体不明のものは左から侵入してくるが、右側には類似の痕跡が見える。
不気味な侵入は、過去にもあったのだ。

2020年のいま、コロナウィルスの象徴のように思える。

「不気味な汚れ」と私は書いた。しかし、なぜか美しくも見える。
侵入してくる汚れに対抗して、なおかつ美しさを保ち続ける青。そして、青の変化。
不思議なバランスがある。

もしこの汚れが金色だったら、これまで見てきたハビエルの作品と同じように不安を与えることはなかっただろう。ただ美しいものに見えただろう。

だが、美しいだけが芸術ではないだろう。
不安を呼び起こすもの、いま見えないものを見えるようにそそのかすのも芸術だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国人材?(だんだん頭に来るぞ!)

2020-09-20 09:09:15 | 自民党憲法改正草案を読む
外国人材?(だんだん頭に来るぞ!)
   自民党憲法改正草案を読む/番外397(情報の読み方)

 2020年09月20日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップ。

金融 外国人材増へ税軽減/政府・与党検討 法人税や相続税/「英語で手続き」対応

 見出しを読んで考え込んでしまった。何のことだろう。しばらく考えて、もしかするとこれは「金融機関」に限った対策のこと? と思った。それも地方にある銀行などのことではなく、東京にある金持ち相手の資産運用に関する「金融機関」のことだろうなあ。
 前文には、こう書いてあった。

 政府・与党は、日本の国際金融センターとしての地位向上に向け、外資系金融機関や海外の金融人材の受け入れ拡大につながる制度を検討する。法人税や相続税の負担軽減、事業の許認可手続きでの英語対応の強化などが柱となる。菅首相は金融の専門人材の受け入れ拡大に意欲を示しており、必要な環境整備を急ぐ。

 ネットでは【独自】のマークがついている。「特ダネ」か。でも、私のような年金生活者になんの関係があるのだろうか。どうしてこんなニュースが1面のトップなのか。
 外国人の金持ちが日本で金儲けをする。その法人税や相続税を軽減して、それで日本がどうかわる?

 資産運用会社が業績に連動して支払う役員報酬は、金額のぶれが大きいなどの理由で、日本では損金算入できないケースがある。その場合、課税対象の利益を減らせず、法人税の負担が大きくなる。

 こんなことは、企業が考えればいい問題ではないのか。どこだって「損金」が出る可能性を抱えているだろう。それを承知で「商売」というものがあるのではないのか。というようなことは、きっと、素人考えで、もっと複雑な構造なのだといわれそうだが。
 その素人の私が読んでいて、どうしてもわからないのが、見出しの最後の部分。

「英語で手続き」対応

 だいたい日本で金儲けをしようとやってくる外国人相手に、法人税や相続税の「英語で手続き対応」って、変じゃない? もし日本人が、外国で金儲けをしようと考えて外国へゆく。そのとき、その国のことばを覚えていくというのは「常識」なんじゃないだろうか。何を話しているかわからない国へ行って「金融」の仕事をする? そんなのは、だまされにゆくようなものじゃないか。
 それに「外国人」というのは「英語」だけを話すわけじゃないだろう。まあ、これも「国債金融人なら英語が常識」ということなのかもしれないけれど、素人の私には、あ、そうですか、としか言えないが。
 いちばん驚いたのは。
 見出しにはとっていないのだが、その「外国人支援」の「生活の利便性向上」という項目。まるで「隠しごと」のように書かれている。

海外で雇っていたヘルパーなどの在日資格取得の要件緩和

 何これ? 外国人が、外国で雇用していたヘルパー(どんなヘルパー?)をそのまま日本につれてこられるよう(日本で引き続き働けるよう)、資格取得を緩和するというのだけれど、そんなことまでする必要がある? どうしてもヘルパーが必要なら日本人を雇えばいいだろう。わざわざ外国からつれてくる必要はないだろう。というか、専用のヘルパーをつれてこられるように、ヘルパーの資格取得を緩和する、なんて、どう考えても奇妙。
 よほどの金持ちの「外国人人材」が「専用のヘルパーがいないと生活がスムーズに行かない(だから日本にゆきたくない)」と苦情を漏らしたりしたんだろうなあ。そうでもないかぎり、誰も思いつかないだろう。
 なんというか。
 政府が「外国人の金融のエキスパートが日本に来るようにしよう」と計画を考えた段階で、専用ヘルパーをつれてくること、その専用ヘルパーの在日資格取得の問題まで頭が回るというのは、よほど想像力がないとできない。いままで、こんな細部にまで想像力をはりめぐらせた「政策」があっただろうか。

 それにねえ。

 いま日本が抱える問題は、「金融人材」や「外国人が外国で雇っていたヘルパー」ではないだろう。
 日本では、いろんなことろで「人手不足」。「ヘルパー」でいえば、介護現場ではいつも人手不足。そして、そのために「英語圏ではない外国(ベトナム、フィリピン、タイ)」から「介護師」としての「人材」を受け入れるために、いろいろな対策をとっていないか。そして、その対策のひとつに、日本に長く滞在し働き続けるのを拒むために、一定の日本語能力を要求するというものがあるのではないか。一定期間に日本語のレベルが達しないなら、研修だけで母国へ追い返す。一定期間で日本の資格がとれないなら母国へ追い返す、という「使い捨て政策」をとっていないか。
 別の角度からも問題点が見えてくる。
 そうやって日本で働いてくれる東南アジアの人たちの、日本での暮らしはどうなっているか。家族をいっしょにつれてくるための条件は? その家族に子供がいるときの教育の問題は? 相続税ではなく、そのひとたちの社会保障はどうなっている?
 大事なのは、一握りの(ほかの職場で求められている人数に比べればはるかに少ないと思う)金融外国人ではなく、もっと低所得の外国人の待遇の問題だろう。相続税などは無関係の人たちだろう。

 記者が「私はこんな情報を手に入れた」と喜んで記事を書くのも、また、その誰から教えられた(リークされた)かわからない「特ダネ」を自慢するのも、それはそれで「正直さ」があふれていて笑いだしてしまうが、笑ったあとで悲しくなる。もっと日本の現実そのものをみてほしい。きっとこの記事をリークされた記者は、自分には記事をリークしてくれる「政府・与党」関係者がいるということが自慢だし、また、こういう記事を書くことでその人との「接触」をいっそう強めていくのだろうと思う。「おかげさまで、特ダネを1面のトップに掲載できました」と言う具合にね。「また、特ダネ書かせてくださいね」と言うわけだ。

 えっ、日本語もできないのに、日本で金融の仕事ができるんですか? えっ、外国で雇っていたヘルパーをそのまま日本につれてくることができるんですか? しかし、ヘルパー付きの暮らしってすごいなあ。そんなひとの税金の心配をどうしてしなければいけないのだろう。
 そんなふうに思わないとしたら、この特ダネを「リークされた」記者は、よほど一般の暮らしとはかけはなれた生活をしているね。
 ばかげた政策以上に、何の疑問も持たない記者の姿勢に、私は頭に来てしまった。
 「疑問」を持てよ。
 なぜ、一部の特定の人間だけが優遇されるのか。日々の暮らしで一生懸命の人が、なぜ、報われないのか。










*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする