詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

破棄された詩のための注釈22

2020-09-25 16:23:56 | 破棄された詩のための注釈
破棄された詩のための注釈22
                        谷内修三2020年09月25日

 絵のなかの、座っていた男が、絵の外へ出て行った。「時間になってしまった」ということばと、椅子が残った。
 椅子は、みんな家へ帰っていく、と絵の外の世界を思った。通りにはすでに街灯がついているだろう。下を通りすぎると、ふいに、影が自分を追い越していくのを目撃してしまう。あの気分だな。座るひとを失った椅子は考えた。
 「何を考えている?」
 絵のなかの、開いた窓が聞いてきた。椅子は考えたことを隠すためのことばを探したがみつからなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロン・ハワード監督「パヴァロッティ 太陽のテノール」(★★★)

2020-09-25 08:51:05 | 映画
ロン・ハワード監督「パヴァロッティ 太陽のテノール」(★★★)

監督 ロン・ハワード 出演 ルチアーノ・パバロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、ボノ

 俗に三大テノールという。ルチアーノ・パバロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス。私は音楽に詳しいわけではない。オペラは見たことがない。だから、いい加減に書くのだが、この三人は、私の感覚ではどうみても「同等」ではない。だから「三大」というのは奇妙な感じがする。(では、だれが三大かと言われたら、こたえようがないのだが。)
 まずホセ・カレーラスの声がピンと来ない。プラシド・ドミンゴは声よりも顔が目立つ。顔で人気が出たんだろうなあ、と思う。ルチアーノ・パバロッティは美声もあるが、何よりも「大声」という感じがする。そこが、非常に魅力的だ。こんな大声を出すことはできない。ホセ・カレーラスは完全に見劣りがする。
 で、再び、なぜ「三大テノール」か。この映画では、その秘密が明かされる。ホセ・カレーラスが白血病で入院した。彼を励まし、退院したのをきっかけに「三大テノール」として、一種の「応援コンサート」をやったのだ。これが成功し、「三大テノール」が誕生した。ホセ・カレーラスが見劣りがしたのは、単に声が小さい、体が小さいだけではなく、病み上がりという問題があったのかもしれない。
 つかわれている音源は古いものもあり、音質的には問題があるのかもしれないが、それでもパバロッティは飛び抜けて魅力的である。声が大きくて、まっすぐという印象が非常に強い。こんなふうに大声が出れば、私は音痴だが、音痴であっても歌うのは楽しくなるだろうと思う。
 声について、ボノがおもしろいことを言っている。パバロッティがオペラに復帰したとき、全盛期の声とあまりにも違う、と悪評だった。しかし、ボノは「つかいこんだ声の魅力がある」という。それを証明するように、プラシド・ドミンゴの指揮で、死んでゆく男かが歌うシーンがある。その声が、非常に切実である。若いときの、まだまだ大声が出せるというような感じではなく、限界を知って、それを受け入れる声の不思議な「なつかしさ」のようなものがある。
 ああ、そうなのか、と納得する。
 オペラともパバロッティとも関係ないのだが、「声」で思い出すのは、美空ひばりの「津軽のふるさと」である。少女時代の音源がCDとして発売されている。クリアな音ではないのだが、私のこの古い音源が非常に気に入っている。おとなになってから(?)の「津軽のふるさと」も何度か聞いたが「なつかしさ」が違う。少女なのに、大人以上に「なつかしさ」を知っている。一生に一度だけ体験する「ほんとうのなつかしさ」。その「なつかしさ」は、どこかでパバロッティの「なつかしさ」に似ている。それは「代表作」のひとつではあっても、「最高傑作/絶対作(?)」ではない。しかし、「これしかない」というものを内に抱え込んでいる。思わずこころが惹かれ、動くのである。
 ひばりは音符が読めない、と言われた。パバロッティも「どうして譜面どおりに歌わないのか」と批判されたとき「音符が読めないんだ」と応えたという逸話がある。(映画には出てこなかった。)そのことと関係するかどうかはわからないが、パバロッティがジュリアードで教えたとき、女性に「君の場合は、演奏よりちょっと速く歌った方が魅力が出る」というようなことを言う。「楽譜」として存在する音よりも、自分の「肉体」のなかにある音を解放する、その力にまかせるということだろう。こういうエピソードを聞くと、ああ、パバロッティはただただ歌うことが好きだったんだ、自分の「肉体」の声にしたがって歌っていたのだ、ということがわかる。自分を解放している。だから、あんなに伸びやかなのだ。
                 (キノシネマ天神1、2020年09月24日)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする