詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(21)

2021-12-29 12:43:43 | 詩集

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(21)

(昨日は)

昨日は昨日
今日にならない
今日は
知らぬ間に明日

手足と
心は
日めくりに
従い

陽を浴びる
草木を
妬む

氷山は
遠い
遺跡も

 「遺跡も」のあとのことばは? 「従う」か「妬む」か。しっくりこない。「遠い」が落ち着く。自分から「遠い」存在は、どうやって時間を過ごしているのか。「遠い」のは「昨日」か「明日」か。

 

 

 

 

(いつでもどこでも)

いつでも
どこでも
誰でも
同じ

死は

生は

人に
満ちて
なお

自ずから
然る

 「なお」。なぜ、谷川は「なお」と書いたのか。「なお」と書かずにいられなかったのはなぜか。谷川のことばには、どこか、谷川自身の孤独を信じきっていない感じがある。他者にゆだねたいのちがある。

 

 

 

 

(無限に抱かれて)

無限に抱かれて
1はいる
始まりと終わりを
懐胎して

ヒトは
1で生まれ
1で死ぬ

雑音から
生まれた
自分の旋律を
独奏して

(ヒトは皆
体に音楽を
秘めているのだ)


 「雑音」とは他者の音。他者と出会うとき、自分自身の音が目覚める。1が存在するとき、すでに無限が存在し、無限が1であることを覚醒させる。そのとき音楽、無限とわたりあうための沈黙という音が生まれる。

 

 

 

 

 

(知ラナイノニ)

知ラナイノニ
分カッテル
気ガ
シテル


答エテルカラ
モウ
問ワナイ


キレイ
空モ

小サイケド
イルヨ

 「イル」ことは「分カル」。「知ル/知ラナイ」を超えた意識のありかただ。言い換えれば「分カル」には意味がない。「知ル」(知識)は他者と共有できるが「分カル」は共有できない。「僕」と同じように。

 

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