詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「現代詩手帖」12月号(4)

2021-12-08 17:21:19 | 詩(雑誌・同人誌)

「現代詩手帖」12月号(4)(思潮社)

小林坩堝「HOMEBODY」

--おれを歴史にしてくれるなよ

 という行が何度か繰り返される。気障だね。この気障は、こうまとめられる。

誰にも発見されない為に
わたしたちはここに来たのではなかったか
愛に似た血まみれのさよなら
あらかじめ行き倒れている明日めがけて
進む無数の足音に
おのが歩みを重ねながら
徹底的に孤立しろ

 「わたしたち」か。久々だなあ。「わたし」ではなく「わたしたち」、それなのに「孤立」。この矛盾は、なんといえばいいのか、私には1960年代を思わせる。それは私の青春ではない。私の幼年期だ。幼年期というのは不思議なもので、「ことば」が「世界」から切り離されている。「ことばの肉体」が確立されていないからだ。「アンポ、ハンタイ」ということばをまねながら、子ども同士が電車ごっこをするみたいに「アンポごっこ(デモごっこ)」をやってみても、それは「お医者さんごっこ」よりもわけのわからない世界だ。お医者さんごっこの方が、私の暮らしていた田舎では、わからないながらも「肉体のことば」と「ことばの肉体」が交錯する。「ちゃんぺ」という女性性器をあらわすことばを口にすれば、大人たちの顔色(肉体のことば)が変わる。それは、何か、まだ知らない何かが世界にあることを「肉体」に教えてくれる。田舎だったせいか、私があまりに無知だったせいか知らないが、「アンポごっこ」が「肉体」として見えてきたのは、それから何年もあとのことだった。あのころは「時代」の動きがゆっくりしていたから「アカシアの雨に打たれて」なんて、いつまでも歌っていた。
 くだくだと書いたが。
 清水昶の時代を思い出すのは、私だけだろうか。清水昶は、私が詩を書き始めたころは、大スターだった。ほんとうは、もっと大スターがいたのだろうけれど、売り出し中の方が、初心者の私には大スターに見えた。そういう「ズレ」も思い出した。

藤田晴夫「さざ波」

気がつくと水鏡に
あなたの顔が映っている
空にあなたがいるわけもなく
あなたは
水から浮かびあがってくる
待ちかねた春だから
そんなことがあってもいい

 「待ちかねた春だから/そんなことがあってもいい」が静かだ。とくに「そんなことがあってもいい」がとても静かだ。
 この二行がない方がイメージが鮮烈になるかもしれないが、それでは「ことばの詩」になってしまう。「肉体」が追放されてしまう。「ことばの暴走」をおさえているのがいいなあ。
 もちろん小林の「おれを歴史にしてくれるなよ」のように、ことばが暴走するのも楽しいけれどね。でも、暴走させるのなら、50年以上も前の世界を連想させない別次元へ暴走させてほしい。
 あ、藤田の詩の感想ではなくなってしまうなあ。

水下暢也「小さく光ってなるべく光って」

薄ずむほどに積った  雪の心地を踏んで
ゆえしらぬ音の荒ぶ  その寄せ返りが
ぬきあしさしあしの間合から
一拍外れて  聞こえてきた

 「ゆえしらぬ音の荒ぶ」。このことばを受けて「一拍外れて」と呼応する、この「ことばの肉体」には思わず、ほーっと声が漏れてしまうが、水下はこういうことばをどこで肉体化してきたのだろうか。
 そのことが気にかかる。

赤司琴梨「羽化する声」

成虫の肉体よ、共振しろ
強く、強く、強く、く、く
やわらかな翅音よ、響き続けろ
もっと、もっとだ、だ、だ、だ
「こ、こ、こ、と、り、で、す」「こ、こ、こ、と、り、で、す」

 「肉体」と「共振」。「ことばの肉体」と「肉体のことば」。つなぐのは「肉体」であって、「ことば」ではない。「つなぐ」と私は書いてしまうが、赤司の書いているように「共振」が正しいのだろうと思う。離れながら「振動」が「共有」される。
 

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