谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(19)
(事実が)
事実が
物語となって
終わる
後に
黙りこむ
人と
卓上の
果実
解釈を
許さない
存在を
時に
任せて
眠る
*
セザンヌの静物画を思い出す。「解釈」は画家からの働きかけではなく、存在が画家に働きかけてくるときに生まれる。セザンヌは静物を「解釈」したのではなく、「解釈された」。これが、私の「物語」だ。
*
(言葉が落としたもの)
言葉が
落としたものを
詩は拾う
草むら
横断歩道
プラネタリウム
動物園で
言葉の
落としもの
燃える
ゴミ
炎を
上げずに
くすぶっている
*
「言葉が落としたもの」と「言葉の落としもの」は、似ているけれど違う。その違いが、「燃える」「燃えない」の違いを生む。「燃えるゴミ」はほんとうは燃えていない。怨念のようなものが、残っている。
*
(記憶にないのに)
記憶にないのに
思い出す
その道をあなたは
去って行った
山々は
不機嫌で
池は
静まりかえっていた
何ひとつ
拒めない世界の
哀しみ
渇くわけを
心は
知らない
*
「思い出す」を「知っている」と読み替えてみる。「記憶にないのに知っている」。私個人の体験ではなく、人間が共有する体験だからだ。「いのち」が共有することだからだ。いのちには、拒めないことひとつがある。