詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

山田裕彦『囁きの小人』

2022-05-05 10:54:36 | 詩集

山田裕彦『囁きの小人』(思潮社、2022年04月30日発行)

 山田裕彦『囁きの小人』に「さよならタヴァーリシ」という詩がある。その書き出し。

寝つけない夜半
ほつほつと禿頭に降りかかる
忘れ去られた言葉

 山田は「忘れ去られた言葉」と書いている。このことばがこの詩集を象徴しているように思えた。「忘れ去られた」とはいうものの、「思い出せない」わけではない。つまり、いまはつかわなくなったことばを「忘れ去られた言葉」と山田は呼んでいるのである。
 書き出しの「寝つけない夜半」にも、その匂いがある。「夜半」ということば、はたして、今の若者がつかうか。たとえば、最果タヒは「夜半」ということばを書くだろうか、と思ったりする。
 山田の書いていることばの「意味」はわかる。しかし、そのことばを読んだ瞬間に、あ、これは「過去」だ、と思ってしまう。しかもそれは、「思い出せない」わけではない。たぶん、「思い出さない」過去なのだ。
 言いなおすと。
 山田の書いていることは理解できるが、私は「いま」、こういうことを「思い出さない」ということである。
 もちろん私が「思い出している」過去を山田が書く必要はない。山田は山田の「必然」にしたがって「忘れ去られた言葉」を「いま」に呼び出し、そこで生きているのだが、私はなんとなく遠いものを見るような気持ちになってしまう。
 「ほつほつ」という、わかったようでわからないことば(音)に対してさえ。

かるい灰のごとき挨拶
「タヴァーリシ」
名も知らぬ哀しいカナリアたち
遠くの方でつめたい稲妻が光っている

 音で言えば、この「タヴァーリシ」は、その最たるものかもしれない。この音を聞いたことがある若者はいないだろう。少なくとも、私は最果タヒはこのことばを聞いたことがないと思う。このことばを聞いたことがあるのは、たぶん、まだソ連がソ連だったことを知っている人間である。それは映画のなかで、突然、聞こえてきたりする。呼びかけ、「挨拶」のことばだったと思う。「意味」は知らない。仲間であることを確認するような響きがあったと思う。
 と言っても……。
 私はテキトウなことを書いているので「タヴァーリシ」がほんとうにソ連に関係しているか、ロシア語なのか、「挨拶」に関係しているかは知らないのだが、山田の書いている「挨拶」ということばに誘われて、ふと、映画のなかに響いていた音、何回か繰り返された音を思い出しているのである。
 すべての音が、あの時代(ソ連がソ連であった時代)に「世間」にあふれていた音につながる。「かるい灰のごとき」という比喩や、「名も知らぬ哀しいカナリア」「つめたい稲妻」の、ことばの組み合わせにも。1960年代、1960年代の、「現代詩の音」が聞こえてくる。「かるい」とか「哀しい」とか「つめたい」は、必要不可欠なものかというとそうでもなく、むしろ余剰(余分)なことばに近いが、だからこそその「余剰」が重要だった。「余剰」にこそ、「個人」が含まれるからである。「個」は「論理/意味」をはみ出していく何かである。何か「個人」であることをつけくわえたい。そういう欲望(本能)が、こうした修辞を動かしていた。それが1960年代、1960年代であり、それをさらに象徴するのが、最初に引用した「ほつほつ」というわけのわからない音である。誰もがつかうことばではなく、ある詩のなかで「発明」された音。「意味」は読んだ人が考えるしかない音。
 なぜ、こんなことが必要だったのかなあ。なぜ、こういう音/ことばが一時代を突き動かしたのだろうか。

それから不意に
「われわれ」といいかけて
「わたくし」と言い直す

 「われわれ」。このことばから、ひとつの時代を思い出す人がどれだけいるかわからないが、私は思い出す。あちこちで「われわれは」という声が響いていた。それは「タヴァーリシ」とは何か逆のものをあらわしていた。「タヴァーリシ」と呼びかけられた人、呼びかけた人は「一人」であるけれど「一人」ではない。その人の背後に、何か、集団のようなものが感じられた。「われわれは」という声は集団をあらわしているのだが、集団を結びつける強いものが感じられない。結びついていないものを結びつけるために「われわれわ」ということばがあったのか。しかし、そもそも「われわれ」という表現を成り立たせるための「個人(ひとり/私)」というものが、あのときほんとうに存在していたのか。個人の存在。「われわれ」という呼びかけがきっかけになり、個人という存在になろうとしていたのかもしれない。「われわれ」であるけれど、「個人」になりたい。その奇妙な運動として動いていたのが「かるい」「哀しい」「つめたい」という感情、感覚であり、既成のことばを超えたいという思いが「ほつほつ」にあったかもしれない。
 「われわれ」ではなく「わたしく」を主張するために。

若気の至りって淋しいね
言ってみただけさ
属性のない真っ白な人称
他意は無し
精一杯の
誤訳
 
 それが「若気の至り」というのなら、確かにそうなのかもしれないが。
 でも、どっちが? 「タヴァーリシ」ということばにあこがれ、「われわわれ」という存在にあこがれたこと? それとも「われわれ」と言ってしまったこと? 「われわれ」も「タヴァーリシ」も、「自己」を隠した生き方だったかもしれない。「わたくし」と言えない青春の愚かさと不安。その反動としての、強がり。
 ここには、それにつづく「敗北」を「抒情」にかえていく、あの時代の、いやあな雰囲気がある。「淋しい」ということばがそれを端的にあらわしている。「淋しい」によって、「われわれ」の殻(枠)を破り、「われわれ」ではない外部の「個人(の感情)」にもつながっていこうとする動き、あるいは「われわれ」の内部へ、「われわれ」をつくりだしている「個人」の内部(感情)へつながっていこうとする動き。
 「内部」には「個」があり、「個」とは感情であると、強引に整理すると、私がいま書いたことが、奇妙に交錯するのがわかると思う。
 この奇妙な交錯を、山田は「誤訳」と呼んでいると思う。
 「タヴァーリシ」をなんと訳すか。「われわれ」と訳すか、「わたくし」と訳すか。「われわれ」であり、「わたくし」をあらわすのに、どんなことばがあるか。そんな挨拶をされたいか、されたくないか。ふと、私は、アメリカ英語の「ブラザー」を思い出すのである。アフリカ系の友人が集まり、「ブラザー」と呼ぶ。アフリカ系ではない人間から「ブラザー」と呼びかけられて、「おまえなんか、ブラザーじゃない、豚野郎」という顔をする。「ブラザー」には暗黙の了解がある。緊密な関係があるという了解がある。それに近いことばは……。不意に「同士」ということばを思い出した。
 「タヴァーリシ」は「同士」だったかもしれない。出会ったときに「やあ、同士」。「同士諸君」という呼びかけがあった時代もあるだろう。1960年代、1960年代は「同士諸君」とは言わずに「われわれは」と叫んだ。
 そういうことを、とりとめもなく思った。

 山田の詩は、何も1960年代、1960年代をテーマにして書いているというわけではないのだが、どこか、あの時代のことばの動きをひきずっている。それを「若気の至りって淋しいね」とくくって差し出しているとは言わないが、何か、あの時代の「情緒」を「忘れ去られた言葉」として記録している感じがする。
 「遠雷」にこういう部分がある。

(いつもまちがうのはわたしの口だ
言葉を失った後にやってくるのもまた言葉

 そうなのだが、山田のことばは、「忘れ去られた言葉」を破壊して、新しいことばをつくり出すというよりは、「忘れ去られた言葉」の痕跡をたどりなおし、それを遺しておこうとするような感じがする。「ことばの記録/ことばの記憶」を遺しておく感じ。
 「まちがう」「誤訳」を「わたし」と結びつけ、ただ「遺しておく」のではなく、もう一度育てようとしているのかもしれないが。
 この行為が「淋しい」ではなく、ほかのことば(感情)になって動き出すかどうか。私には「淋しい」が優先しているように感じられる。
 私はいつものように「誤読」する。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする