石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)(紫陽社、2022年06月01日発行)
10篇目「渚のダダ」。渥美湾で発生した赤潮のために馬鹿貝が大量に死んだ。その報告書(杉浦明平)を読んだことが、この詩のきっかけになっている。(と、前書きに書いてある。)赤潮を逃れようとして、棲んでいた海からジャンプする。だが、どこまで跳べるのか。どこまで跳べば赤潮を脱出できるのか。
いちばん遠くまで飛んだ 馬鹿貝は
未知との遭遇の絶滅 という今世紀末に
ドキュメント「場替えのなぎさもん集団自殺」という屑の叙事詩に描かれ
町会議場で その滑稽さを 嫌というほど示してくれた
1960年6月15日深更に、伊良湖一万の友は堤防を越えました。
1990年6月15日早朝に、伊勢湾渥美十万の友も岸辺で息絶えました。
ベロを出し 二枚の羽を広げたままの集団自殺
渚者は おのれの棲家をすて 外地を墳墓にした
「馬鹿なやつら!」と 明平さんは泣き笑いした
馬鹿貝に「集団自殺」という意識はないだろう。しかし、人間から見れば「集団自殺」のようにも見える。(馬鹿貝ではないが、富山湾では、春先に浜辺で焚火をするとホタルイカがその明かりに誘われて、浜辺へ跳び上がってくる。これを富山の人間は「身投げ」と呼んでいる。人間は海に身を投げ自殺するが、ホタルイカは浜辺に身投げする。それも「集団自殺」かもしれない。)
この詩でおもしろいのは、その「集団自殺」の描写の仕方である。一方で「屑」「滑稽」「馬鹿なやつら!」と書き、その「馬鹿者(馬鹿貝)」を他方で「友」と呼んでいる。「友」だからこそ「馬鹿」と呼ぶのである。心底、馬鹿貝のことを思っているから「馬鹿」というのである。「馬鹿な友」と。
この矛盾した感情が「泣き笑いした」という動詞のなかに動いている。「泣く」と「笑う」は矛盾した行動である。こうした矛盾したことばの結びつきを「撞着語」という。「冷たい太陽」とか「燃える氷」とか。そこには、「泣いた」だけでは言いあらわもない何か、「笑った」だけでも言いあらわせない何かがある。
あえて言えば。
「共感」かもしれない。だれでも、そういう「馬鹿なこと」ことをするのだ。切羽詰まったとき、できることはかぎられている。自分にできることをする。その結果がどうなるか、わからない。生きたいという本能(欲望)が、何をすればいいかという「理性」を突き破って動く。
それは死を招くときもある。「集団自殺」につながることもある。それは「間違い」かもしれない。しかし、「間違い」を選ばざるを得ない状況というものもあるのである。
石毛が書いてること、杉浦明平が書いたこと、そのことばを「寓意」ととれば「寓意」である。その姿に「人間」の姿を重ねれば、たとえば魯迅が描く「狂人」の姿にも重なる。
そして、ここからである。
先に書いたこととつながるのだが、その「常軌を逸した行動」をどうとらえるか。「馬鹿」ととらえるか。「馬鹿」ととらえながらも、それを拒否するのではなく、「友」として近づいていくか。受け入れるか。受け入れながら、どうやってことばを組み立てなおすか。
石毛が問いかけてくるのは、いつもそういう問題である。世の中には、いろいろな「滑稽な」動きがある。その「滑稽」のなかに、何を見るか。
かれらの跳ぶすがたを 見たことがあるかい
渚のざらついた 砂肌
塩垂れた皮膚から 実を剥ぐときの屈辱の鳴咽
ギシギシと泣きながら
及ぶ限りの距離を 跳ぶのだ
陸海空の前線に棲みつづける
かれら 渚者の矜持は
その潮の緒の満ち引きに いまも!
「及ぶ限り」は力の及ぶ限りだろう。その「及ぶ限り」と「矜持」、さらにその対極にある「屈辱」ということば。これを結びつけるのが石毛の「思想」(肉体)なのである。「ギシギシと泣きながら」と書くとき、泣いているのは馬鹿貝だけではない。杉浦明平が泣いているし、石毛も泣いている。
「1960年6月15日深更」「1990年6月15日早朝」というふたつの日付に注目すれば、石毛が馬鹿貝の行動を書いているだけではなく、その行動の背景、赤潮を生み出す(防げない)人間の生き方、社会のあり方への告発も読み取ることができる。
この詩には、どこか最盛期のやくざ映画(屑映画)を見るような感じもあって、その「ざらついた」感じが、私は、好きだなあ。