詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇164)Obra, Joaquín Llorens

2022-05-08 16:32:44 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

La danza salvaje de los delfines.
La música vibrante se extiende entre el mar y el cielo.
Va más allá del horizonte.
Esta obra me hace mucha ilusión.
Tengo ganas de decir que el arte es el poder de crear ilusiones.

イルカの乱舞。
海と空の間に、躍動感あふれる音楽が広がる。
それは水平線を超えていく。
そんな錯覚を与えてくれる。
芸術は、錯覚を引き起こす力である、と言ってみたくなる。

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石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)

2022-05-08 10:10:36 | 詩集

石毛拓郎『ガリバーの牛に』(10)(紫陽社、2022年06月01日発行)

 10篇目「渚のダダ」。渥美湾で発生した赤潮のために馬鹿貝が大量に死んだ。その報告書(杉浦明平)を読んだことが、この詩のきっかけになっている。(と、前書きに書いてある。)赤潮を逃れようとして、棲んでいた海からジャンプする。だが、どこまで跳べるのか。どこまで跳べば赤潮を脱出できるのか。

いちばん遠くまで飛んだ 馬鹿貝は
未知との遭遇の絶滅 という今世紀末に
ドキュメント「場替えのなぎさもん集団自殺」という屑の叙事詩に描かれ
町会議場で その滑稽さを 嫌というほど示してくれた

 1960年6月15日深更に、伊良湖一万の友は堤防を越えました。
 1990年6月15日早朝に、伊勢湾渥美十万の友も岸辺で息絶えました。

ベロを出し 二枚の羽を広げたままの集団自殺
渚者は おのれの棲家をすて 外地を墳墓にした
「馬鹿なやつら!」と 明平さんは泣き笑いした

 馬鹿貝に「集団自殺」という意識はないだろう。しかし、人間から見れば「集団自殺」のようにも見える。(馬鹿貝ではないが、富山湾では、春先に浜辺で焚火をするとホタルイカがその明かりに誘われて、浜辺へ跳び上がってくる。これを富山の人間は「身投げ」と呼んでいる。人間は海に身を投げ自殺するが、ホタルイカは浜辺に身投げする。それも「集団自殺」かもしれない。)
 この詩でおもしろいのは、その「集団自殺」の描写の仕方である。一方で「屑」「滑稽」「馬鹿なやつら!」と書き、その「馬鹿者(馬鹿貝)」を他方で「友」と呼んでいる。「友」だからこそ「馬鹿」と呼ぶのである。心底、馬鹿貝のことを思っているから「馬鹿」というのである。「馬鹿な友」と。
 この矛盾した感情が「泣き笑いした」という動詞のなかに動いている。「泣く」と「笑う」は矛盾した行動である。こうした矛盾したことばの結びつきを「撞着語」という。「冷たい太陽」とか「燃える氷」とか。そこには、「泣いた」だけでは言いあらわもない何か、「笑った」だけでも言いあらわせない何かがある。
 あえて言えば。
 「共感」かもしれない。だれでも、そういう「馬鹿なこと」ことをするのだ。切羽詰まったとき、できることはかぎられている。自分にできることをする。その結果がどうなるか、わからない。生きたいという本能(欲望)が、何をすればいいかという「理性」を突き破って動く。
 それは死を招くときもある。「集団自殺」につながることもある。それは「間違い」かもしれない。しかし、「間違い」を選ばざるを得ない状況というものもあるのである。
 石毛が書いてること、杉浦明平が書いたこと、そのことばを「寓意」ととれば「寓意」である。その姿に「人間」の姿を重ねれば、たとえば魯迅が描く「狂人」の姿にも重なる。
 そして、ここからである。
 先に書いたこととつながるのだが、その「常軌を逸した行動」をどうとらえるか。「馬鹿」ととらえるか。「馬鹿」ととらえながらも、それを拒否するのではなく、「友」として近づいていくか。受け入れるか。受け入れながら、どうやってことばを組み立てなおすか。
 石毛が問いかけてくるのは、いつもそういう問題である。世の中には、いろいろな「滑稽な」動きがある。その「滑稽」のなかに、何を見るか。

かれらの跳ぶすがたを 見たことがあるかい
渚のざらついた 砂肌
塩垂れた皮膚から 実を剥ぐときの屈辱の鳴咽
ギシギシと泣きながら
及ぶ限りの距離を 跳ぶのだ
陸海空の前線に棲みつづける
かれら 渚者の矜持は
その潮の緒の満ち引きに いまも!

 「及ぶ限り」は力の及ぶ限りだろう。その「及ぶ限り」と「矜持」、さらにその対極にある「屈辱」ということば。これを結びつけるのが石毛の「思想」(肉体)なのである。「ギシギシと泣きながら」と書くとき、泣いているのは馬鹿貝だけではない。杉浦明平が泣いているし、石毛も泣いている。
 「1960年6月15日深更」「1990年6月15日早朝」というふたつの日付に注目すれば、石毛が馬鹿貝の行動を書いているだけではなく、その行動の背景、赤潮を生み出す(防げない)人間の生き方、社会のあり方への告発も読み取ることができる。
 この詩には、どこか最盛期のやくざ映画(屑映画)を見るような感じもあって、その「ざらついた」感じが、私は、好きだなあ。

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