石毛拓郎『ガリバーの牛に』(18)(紫陽社、2022年06月01日発行)
18篇目「夢か、」。
この詩は不思議な「構成」。「夢か、」という行を冒頭にして、五連でできている。一、二、四、五連目には「父」ということばがある。ただし、四連目の「父」は林芙美子の父であって、石毛の父ではない。だから、ほかの連の父だって、石毛の父ではないのかもしれないが。
一方、三連目には、そこに書かれている人物が詩人・黒田三郎であると後注で明記されている。「口惜しさのあまり、火の玉を、威勢よく吐き出していた」ような黒田は、石毛にとって父のような存在だったのか、と私はなんとなく思うのである。意識せずにはいられなかった、ということだけは確かである。
では、父とは、どういう存在なのか。
下総台地のふもとを、汽車が走っている。
それに乗って、水郷佐原を廻れば、
----黙っていてもヨ、千葉サ、着ぐど。
どこか、あどけない眼で
----横浜サ、行ぐならば、乗り換えろ!
父の慣れた東京指南など、わたしは素通りした。
尾道の親不孝通りで、林芙美子の父が
----汽車に乗っていきゃア、東京まで、沈黙っちょっても行けるんぞ。
娘は、心配顔で訊く
----東京から先の方は行けんか?
父は、東京行きを制するように
----夷(エビス)の住んどるけに、女子供はいけぬ。
父とは、子の知らないどこかを知っていて、そこへ行く方法を知っている。つまり「道先案内人」である。それだけではなく、そのとき「方向」を示すのだ。行ってはいけないということも言うのである。それを子供が守るのかどうかは別問題だが。
石毛は、黒田の詩から、そういう「方向性」を学んだのかもしれない。教えられたと感じているのかもしれない。つまり、ひそかに、黒田を「ことばの父」と思っているのかもしれない。
で。
この父なのだが。父のことばなのだが。
最終連では、ちょっと違う感じで動いている。
わたしは、アキアカネの群れを、指さしたが、
----秩父と下総は、地下で繋がってから
銚子の犬吠埼に、秩父の地層が露出しているんだとよ。
ここは、秩父おろしも吹くんだっぺ。
父は、「どうだ!」とばかりに
自転車の荷台に
わたしを、きつく縛りつけた。
ひとは汽車に乗って、たとえば東京へ行く。それが人間の旅。ところが、最終連の父は、そんな「移動」に意味があるとは思っていない。土地、地層は繋がっている。それは「地下」にあるだけではなく、ときには表に「地層」を露出させ、そのつながりを知らせる。「土地/地層」にはそういう力がある。
これは、たとえば「東京」を目指さなくても生きて行ける、東京で生きているのと同じことができる、という意味になるかもしれない。
石毛は、そういう「ことばの地層の運動」のようなものを黒田から引き継ごうとしているのか。人間の口惜しさを火の玉にして吐き出すことばの運動を引き継ごうとしているのか。
私の感想は、あれこれ交錯するのだが、二、四連めの「移動」が「汽車」だったのに、最終連では「自転車」であることもおもしろいと思う。最終連の父は、汽車に乗ってどこかへ行こうとは思っていない。行くのは自転車で行ける範囲で十分だ。そんなことをしなくたって、「地層」はつづいているのだ。ここにいて、「地層」に働きかけ、それをあちこちに露出させればいい、と言っているようである。
「どうだ!」というのは、おれはこうやって生きる、おまえにこういう生き方ができるか、と問いかけているようでもある。これは、たいへん強い父である。子供の「反感/反抗」を誘って、子供を試している。
ここから、一連目に戻る。
夢か、
古くさい自転車の荷台から、降ろされ
笑って、見物していた。
横浜「野毛山動物園」の、晩春のゴリラ--。
父のすがたは、畜舎に影を消していて
餌のお礼に
ゴリラは、おのが糞を投げてよこした。
かれの、みごとな制球を
わたしは、にやりと笑えなかった。
父は、求められれば(求めに応じることができれば)、子供をどこへでもつれていく。好きなことをさせる。ゴリラに餌をやりたい。やればいいさ。その結果、何が起きるか。それは餌をやりたいと言った子供が自分の「肉体」で覚えればいいことである。
父とは、いつでも「にやりと笑う」存在かもしれない。
そして、子供とはいつでも「父の指南」を無視する存在だろう。
そして、そこには、やはり「地層」のようなものが、どこかでつながっているのかもしれない。
そして、互いに「どうだ!」と言い合うのが、父と子かもしれない。
さて。
石毛は、黒田に対して、どんなふうに「どうだ!」と言い返しているのか。黒田の詩をあまり読んだことがない私にはわからないが、どこかで「どうだ!」と言い返したくて石毛は詩を書いているんだろうなあ、と思い、私はなんとなくうれしい。
何と言えばいいのか。
石毛は、「父としての詩」を書いている。こんな詩を書く人は、いまは、いない。