詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三木清「人生論ノート」から「希望について」

2023-02-12 22:39:30 | 考える日記

  希望を、人生(生きること、いのち)、偶然と必然と関連づけながら、三木清は考えを進めていく。人間存在とはどんなものなのか、考えていく。「哲学」だから、ふつうのことばとは違う、というか、ふつうの「定義」ではないところへ踏み込んで行く。
 一読したあと、一段落ずつ読んでいくのだが、最初に出てくる「偶然」「必然」のほかに、私たちが日常的につかうことばで「然」を含むことばがある。
 それは何? 私は18歳のイタリア人に聞く。
 「自然」。
 その「自然」とは、どんなものだろう。そんなふうに話を向けると、
 途中に「間」ということばがあった、
 と三木清が問題にしている「核心」に切り込んで行く。「間」では、「間」にはなかったものが形成されていく。
 何が書かれているか、一読して、頭に入っている。これは、すごいことだと思う。

 さらに、希望を、欲望、目的、期待と三つのことばで言い直し(見つめなおす)部分では、目的は計画と関係する。目的を達成するためには計画が必要と言う。計画ということばは三木清の文章には出てこない。
 これも、すごいことである。

 ちょっと感心しすぎて、質問しなければならないことを忘れてしまった。
 339ページに、「間」を「根源的」と三木清は呼んでいるのだが、その理由は何か。宿題として、質問してみることにする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Estoy Loco por España(番外篇300)Obra,Jesus del Peso

2023-02-12 17:26:55 | estoy loco por espana

Obra, Jesus del Peso 

 Cuando vi esta obra de jesus, me vinieron a la mente las palabras WABI y SABI.
 La definición de WABI y SABI es difícil. Wabi" está vinculado a "WABISHII o triste, sombrío". Sabi" también se relaciona con "SABISHII o soletario, triste", pero la primera palabra que me viene a la mente es "SABI o óxido".
 Cuando las cosas se vuelven viejas y sucias, si es de metal, aparecerá óxido. Cuando veo cosas así, me siento solo, triste y sombrío. Estoy seguro de que el término "WABI-SABI" significa percibir la historia de la existencia en las cosas viejas y sucias, y aceptarlas (o saborearlas tranquilamente).
 Esta obra tiene una sencillez y una belleza que me reconforta el corazón.


 Jesus のこの作品を見た瞬間、わび、さび、ということばが思い浮かんだ。
 わび、さびの定義はむずかしい。「わび」は「侘しさ」につながる。「さび」は「寂しさ」にもつながるが、まず思いだすのは「錆」だろう。
 ものが古くなって、汚れる。金属ならば、錆が出てくる。そういうものを見ると、寂しい気持ちになる。きっと、古びたもの、汚れたもののなかに、その存在の歴史を感じ取り、それを受け入れる(静かに味わう)ということが、「わび・さび」というのだろう。
 この作品には、私のこころを落ち着かせる素朴さと美しさがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最果タヒ『不死身のつもりの流れ星』

2023-02-12 12:22:08 | 詩集

 

 

最果タヒ『不死身のつもりの流れ星』(PARCO出版、2023年02月01日発行)

 最果タヒ『不死身のつもりの流れ星』を半分くらいまで読み進んだ。「ぼく」「きみ」あるいは「あなた」、「愛」(恋)ということばが何度も出てくるように思う。「愛」のかわりに、「悲しい」「寂しい」「美しい」かもしれない。数えたわけではない。
 ふと思ったのだが、たとえば「愛」はどこにあるのか。「ぼく」のなかにあるのか(「ぼく」から生まれてくるのか)、「きみ」のなかにあるのか(「きみ」から生まれてくるのか。
 きっとちがうだろう。
 それは「ぼく」と「きみ」のあいだにあって、それがあいだにあるときだけ、「ぼく」が「ぼく」であり「きみ」がきみ」である、というものなのだろう。言い直すと、いま書いたようなものは、すべて、ほんとうは存在しない。
 「あいだ」すら、存在しない。
 でも、それが、ときどき「生まれてくる」。それは偶然なのか、必然なのか、わからないが、そういう瞬間があるのだ。
 そして、その瞬間に、こういうことが起きる。

ぼくはあなたのせいでぼくは誰とも混ざり合うことのない固有の存在なのだと思い知り、
                                (一等星の詩)

 「ぼく」は「あなた」がいるから、ここにいる。「ぼく」は「あなた」によって産み出された存在であると言える。
 で、このときの。
 「混ざり合うことのない」ということばが、私にはとてもおもしろく思える。「混ざり合うことのない」ものは、「混ざり合ったものがない」ものであり、それは別なことばで言えば「透明」。しかし、透明なものは「見えない」。つまり存在しないように感じられる。その「見えない、透明」なものが「固有の存在」、そこにあるものとして見える。「見えない」のに、ある。
 「混ざり合うことのない」ものは、どうなるのだろうか。「愛」とは「混ざり合う」ものだろう。
 ここには、どうすることもできない「矛盾」がある。
 そして、もうひとつの大切なことばが、この行のなかにある。「思い知る」という動詞。すべてはことばのなかで動く。「現実世界(物理的世界)」には「矛盾」はない。「矛盾」は、ことばのなかだけに存在する。もし世界に矛盾があるのなら、世界は存在しない。動いていかない。世界が動いている限り、世界に矛盾はない。ことばが世界に追いついていかないとき、「ことば」のなかに「矛盾」があらわれるだけである。

きみのさみしさはいつも、だれかから借りてきたものだったね、だからさみしくても、美しいものを見ると、美しいとおもえた、            (periodo)

 「きみ」は、「きみ」の感情(さみしさ、美しいと思う気持ち)は、固有のものではない。だから、次々にかわっていく。これを先の詩の「ぼく」にあてはめることができるのではないか。
 「ぼく」は「あなた」の借り物。「混ざり合うことのない」つまり、混ざりけのない」透明な「ぼく」は、「あなた」の「愛(と、仮に書いておく)」によって、「ぼく」という色(と、仮に書いておく)になるが、それは「借り物」だから、「愛」ではなくて「憎しみ」を見さみしさ」「うつくしさ」がると、もう「愛」ではいられなくなる。別れてしまう。
 そのとき「ぼく」と「あなた」のあいだ(間)は広がるのではなく、なくなってしまう。
 「矛盾」でしか語ることのできないもの、「混ざり合うことのない」ものが、そのとき、ことばのなかを通過していく。そして、それは「輝き」であり、目に見えない「光」だ。

ぼくとあなたが
消えてしまった街では、
雪の代わりに夏が降る。

溶けていくのはいつも世界の方で、
いつか夏だけが降り積もって、あ、まぶしい、             (雪の夏)

 この「あ、まぶしい」が、そのとき、感じられる。まぶしさのなかで、何も見えなくなる。何もかもが消える。そして、消える瞬間に、存在した「ぼく」が「きみ」が、そして「愛」や「さみしさ」や「美しさ」が見える。そういう「矛盾」。
 それは、どう名付けてもいいものであるからこそ、「ぼく」「きみ」、「愛」「さみしさ」「美しさ」ということばにならなければならない。「矛盾」は、ことばを必要としている。「矛盾」は「ことば」よって、発見されたがっている。

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Estoy Loco por España(番外篇299)Obra,Jesus del Peso y Laura Iniesta

2023-02-12 08:08:13 | estoy loco por espana

Obra, Jesus del Peso y Laura Iniesta

 La fuerza de las líneas rectas es característica de la obra de jesús. Son tan rectos como los rayos del sol. Y esa impresión de recta hace transparente la existencia. No puedo ver la otra cara de obra, porque es de hierro, y de hierro oxidado. Pero la impresión de recta crea una extraña ilusión, como para decirnos que lo transparente no se ve. 

 La obra de Laura también presenta línea recta intensa y transparente. Su línea recta no está en un plano, sino que rompe el plano y penetra en sus profundidades. Las profundidades del espacio vistas a través de las nubes. La negrura que lo hace estallar. El negro es el color de la oscuridad. Como es oscuridad, nada debería ser visible, pero veo luz absoluta. El recuerdo de ver la transparencia absoluta, la profundidad absoluta, existe.

 jesus の作品の特徴は直線の強さである。まるで太陽光線のようにまっすぐだ。そして、そのまっすぐな印象は、存在を透明にする。鉄、しかも錆びた鉄だから、向こう側は見えないのだが、それは透明なものは見えないということを教えてくれるような、不思議な錯覚を引き起こす。 

 Laura の作品にも、強烈で、透明な直線がある。それは平面上にあるのではなく、平面を破ってその奥へ突き進んでいく。雲の隙間から見えた宇宙の深さ。それを噴出させる黒。黒は闇の色。闇だから何も見えないはずなのに、絶対的な光が見える。絶対的な透明、絶対的な深さを見てしまった記憶が存在している。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする