詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

井戸川射子「この世の喜びよ」

2023-02-11 14:00:45 | その他(音楽、小説etc)

井戸川射子「この世の喜びよ」(「文藝春秋」2023年03月号)

 井戸川射子「この世の喜びよ」は第168回芥川賞受賞作。井戸川は詩人。中原中也賞も受賞している。
 この小説は気持ちが悪い。ひたすら気持ちが悪い。ことばが、気持ちが悪い。(引用のページ数は「文藝春秋」)

 あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した。(292ページ)

 書き出しの一行だが、この一行で、私はもう気持ち悪くなってしまった。何が気持ちが悪いか。「迂回」というか、「補助線」というか、次のことば(必要なことば)を後出しする「方法」が気持ちが悪い。「あなた」が「柚子」を選んでいることは、そのあとすぐにわかるのだが、その「すぐにわかる」ことをわざと隠して遠回りすることばの運動が気持ちが悪い。
 言い直すと、そこには「私は何でも知っています」という「視点」を感じるからである。そして、知っているだけではなく、あとでわかるように教えます、という視点を感じるからである。
 そして、その対象は「私」にも向けられる。
 昔の私小説なら「私」を主人公にして、私が知ったこと(体験したこと、あるいは考えたこと)をことばにするのだが(あるいは、「私」を第三者に託して書くのだが)、井戸川はそうではなく、「私はあなたのことを知っている、どんなふうに生きてきたか、どう生きているか、これからどう生きていくか全部知っている。それをこれから少しずつ教えて上げる」という具合に書いていくのだ。
 この小説にはいろいろな人物が出てくる。喪服売り場の店員である「あなた」と、「あなた」が働いているショッピングセンターにいりびたっている「少女」の交流を中心に描かれる。「あなた」は「少女」のことを知らないはずだが、何もかも知っている。「あなたは」仕事だから、毎日、働いている。だから、

だから最近少女が一人、夕方から暗くなるまでここにある席にへばりつくように、長い時間座っていることにあなたは気づいていた。(298ページ)

 「気づいた」ではなく「気づいていた」。この文体がこの小説の特徴である。「運動」よりも「状態」として、世界を描く。もちろん、ふつうの「運動」も書かれる。書き出しの文章も「探した」で終わっているが、これは、

 「私があなたを見たとき」あなたは摘まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探し「てい」た。

 であり、

「私があなたを見たとき」あなたは摘まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探し「てい」たのに「気づいていた」。

 である。
 どの文章も「私があなたを(あるいはだれかを)見たとき、あなたが(あるいはだれかが)何かをしている(していた)ことに気づいていた」と読むことができる。そして、それは「あなたは私が気づいていることを知らないでしょ? これから何が起きるか知っていることを知らないでしょ?」なのである。「私(井戸川)」がそれを教えて上げる。
 私が、この文体、この視線に気持ち悪い恐怖を感じるのはなぜか。たぶん、「学校」を思い出すからだ。井戸川が教師であることを、私は「略歴」で初めて知ったのだが、ああ、学校の先生が、生徒に授業をするときの「文体」なのだ。
 あなたたち(読者、生徒)は、「答え」を知らないでしょ? 私は知っています。でも、「答え」を言ってしまうとつまらないので、少しずつヒントを出していきます。そのヒントに従って進めば「答え」に自然にたどり着きます、と言われている感じ。
 なぜ、こんなことを思うかというと。
 この小説には「ハプニング」がない。緩急がない。どの部分も、同じスピード(予め予定された授業計画)のように進んでいくからだ。そして、それが井戸川を困らせるということがないからだ。
 ある小学校の算数の先生がおもしろい話をしてくれた。四則計算。そのことを復習するために、「いままで、いろんな計算を習ったね。計算にはどんなものがある?」と質問した。「足し算、引き算」などの答えを期待してのことだった。しかし、最初の児童が「暗算」と答えたのだ。私は、笑い出してしまったが、先生は困っただろうなあ。暗算も計算。間違いじゃない。どうやって、ここから「四則計算」に戻る?
 そういう、「予想外」が起きない。ただ、学校の授業がそうであるように、「予定内」ですべてが、整然と進んでいく。たぶん「暗算」と自慢げに叫ぶ児童のような存在を排除したまま。
 で。
 小説とは関係がないのかもしれないが、「文藝春秋」には、井戸川へのインタビューが載っている。これが、また、なんというか気持ち悪い。国語の授業で「羅生門」を取り上げたときのことを話している。

「猿のような老婆」とか、動物の比喩がめっちゃ出てくるので、生徒に「なんでだろうね」と問いかけて、私のことを動物に喩えてもらいます。(略)ひと通り答えを聞いてから、「人間様が一番上だと思っているわけじゃないけど、動物に喩えられるのは、やっぱりあんまり嬉しくないね。それが多いのは、荒れ果てた京都で人間らしい生活ができていない、人間らしい心を忘れているという状況を描写したかったのかもね」と。言い切らずに、「そういう可能性があるね」で止めて、「次行きます」みたいな感じです(笑い)。(231、232ページ)

 これ、ほんとうに、こういう授業しているのかなあ。「言い切らずに」と井戸川は言っているが、もし、井戸川が「羅生門に、動物の比喩が多く出てくるが、その理由を述べよ」という問題が出たら、よほど不注意な生徒でない限り、「荒れ果てた京都で人間らしい生活ができていない、人間らしい心を忘れているという状況を描写したかった」と書くだろう。
 それと同じことが、小説のなかで起きている。井戸川は「言い切っていない(誘導していない)」つもりかもしれないが、私は「強制的に誘導されている」と感じる。そして、同時に、この「強制的誘導」に井戸川は気づいていないだろうなあ、と思う。「気持ちが悪い」のは、そういうことだ。授業で言ったことを忘れて、「私の教えた生徒は、みんな優秀な回答をする」と思っているかもしれない。「気持ち悪い」ではなく「ぞっとする」。
 生徒は先生の求めている「回答」を書けば、それが「正解」になることを知っている。知っている生徒と知っている先生が「結託」し、「いい教育(正しい羅生門の解釈の仕方)」を自慢するというのが、いまの「学校教育」の大きな問題だと思うが、その「学校教育」が芥川賞にまで波及してきたということかな? ぱっと読んだだけだが、選考委員で井戸川の「文体の問題」を、そんなふうに指摘したひとはいないようだ。どちらかというと、高く評価されている。「気持ち悪い」と感じたひともいるらしいが、その「気持ち悪さ」は肯定の評価だった。

 


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