自民党憲法改正草案再読(39)
緊急事態条項のつづき。
第99条(緊急事態の宣言の効果)
1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
1項。「法律の定めるところにより」という条件がついているが、どれだけの効力があるのか。「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」となれば、先の「法律」さえ即座に変更してしまうことができるだろう。さらに「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」とつづく。「支出」には「支出する」という方法は「支出しない」という方法がある。「自然災害」のとき「支出しない」ということは考えにくいが、絶対に「ない」とは言えない。「支出の規模」で支出に差をつける。岸田を例にあげれば、広島県で自然災害が発生したとき、その復旧予算を即座に支出する。しかし沖縄県への自然災害へは即座に支出しないばかりか、同じ災害規模であっても支出額を小さくする、ということが起きるかもしれない。「内閣総理大臣」に一任してはいけないのだ。
自然災害ではないが、第98条1項にある「内乱等による社会秩序の混乱」を、たとえば辺野古基地反対という住民運動に適用するとどうなるか(政府の方針に従わないのは「内乱」である、と内閣が判断したときはどうなるのか)。沖縄県への「支出」を減らすということが起きる。「緊急事態」宣言が適用されているわけではないが、先取りする形での予算配分はすでに起きている。こういうことを踏まえれば、緊急事態条項ができれば、さらに激しくなる。いわゆる「アメとムチ」政策がもっと露骨におこなわれることになる。
2項に「事後に国会の承認を得なければならない」とあるが、この「事後」が明確に定義されていない。三日以内、一週間以内というような「期間」は「法律の定めるところにより」とあいまいである。その「法律」さえ、1項によれば「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」なのだから、意味がない。
だいたい、憲法は国家権力を拘束するものなのに、緊急事態条項には「内閣は〇〇をしてはいけない」がない。「内閣は……できる」と許可を与えている。国会の承認が必要と書いているが「事後」である。いつが「事後」なのか、分からないままでは、「まだ事後になっていない」といつまでも引き延ばすこともできる。
内閣に権限を与えておいて、一方で、国民に対してはどうか。
3項は「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」と国民に「義務」をおしつける。「何人も」とあるから、そこには当然のことながら日本に住んでいる外国人も含まれるだろう。
その場合「第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」というのだが、その「基本的人権」は日本に住んでいる外国人にも適用されるのか。自民党が考えている「基本的人権」とは何なのか。
改正草案では、こうなっている。
第14条(法の下の平等)
1 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第18条(身体の拘束及び苦役からの自由)
1 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。
2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第19条(思想及び良心の自由)
思想及び良心の自由は、保障する。
第19条の2(個人情報の不当取得の禁止等)(←注・新設条項)
何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。
第21条(表現の自由)
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。
第21条の2(国政上の行為に関する説明の責務)(←注・新設条項)
国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。
「国民」と「何人」がつかいわけられている。「全て国民は、法の下に平等」であるが、外国人は平等ではない、が押し進められるかもしれない。外国人の情報は、国によって積極的に収集されるかもしれない。(もちろん、国民の情報も収集されるだろう。)政策の説明は「国民」に対してはおこなわれるが外国人に対しては何もしないかもしれない。
外国人への「抑圧」が大きくなるだろう。自由が拘束されることになるだろう。
しかし、それよりもさらに注意しなくてはならないのは、改正草案が「「第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条」と条項を選んでいることである。ここに書かれていない条項、第15、16、17、20条はどういう条項か。改正案ではなく、現行憲法を引いてみる。
第15条
1 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第16条
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第17条
何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第20条
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第15条は簡単に言えば「選挙権(罷免権)」、第16条、第17条は「請願権/賠償請求権」、第20条は「信教の自由保障」。これが、すべてなくなるのである。
非常事態宣言が出されると、国民は選挙権をなくす。権力に対して請願することもできないし、損害賠償もできなくなる。信教の自由もなくなる。国の命令に対して「私の信じている宗教では、そういうことは禁じられているので、命令に従うわけには行かない」ということができなくなる。
改正草案に新設される形で書かれている「緊急事態条項」は、単に「追加」だけではないのである。同時に「削除」を含んでいる。何が「削除」されたのか。それは本当に「削除」してもいいものなのか。なぜ、自民党は、それを「削除」しようとするのか。狙いを読み取らなければならない。
読み返せば簡単である。緊急事態なのだから、国が(内閣総理大臣が)何をしようが、その責任は問われない。国民は国に対して、いかなる責任追及も、賠償請求もできない。私は宗教を信じていないが、信じている人にとっては、それは「生死」にかかわることである。その「生死」を選ぶ権利もないのである。
国民は国会を通じて、つまり国民が選んだ代表を通じて国に対して働きかけができる、と自民党は言うかもしれない。しかし、その国会は、緊急事態宣言下ではどう機能することができるのか。
5項は、衆議院は解散されない。つまり、緊急事態宣言が出されたときの「議席構成」のままである。自民党が支配していれば、その支配がつづくだけである。国会をとおして、国民が活動するということができないのである。
で、ここからもう一度前にもどってみる。第99条の3項。こんなことばがある。
国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置
国民の生命を守る、はわかる。つぎにくる「身体」は「生命」を言い換えたものだろう。しかし、その次の「財産」はどうなのか。「生命/身体」がなければ、私は人間は存在しないと考えているから、それが最重要なのはわかる。しかしその次が「財産」なのか。私は貧乏人だからなのかもしれないが「財産」と聞いてもぴんとこない。「財産」よりも精神の自由の方が大切なのではないのか。私は宗教を信じていないが、宗教を信じている人は財産よりも宗教を大事だと思うのではないのか。だからこそ、財産をなげうっても宗教にすがるのではないのか。
だいたい自民党の改正草案は国民の「財産」を守るという意識があるのか。自分たちの、自民党議員が属する社会の「財産」を守ろうとしているだけなのではないのか。「緊急事態」が宣言されているわけではないが、安倍以降の政治は、すべて同じだ。国民の「財産」など彼らの眼中にはない。国民の貧困がどんどん加速しているが、その貧困の拡大の一方で、一部の富裕層の「財産」も拡大している。貧困の拡大は一部富裕層の拡大と直結している。国民の多くが貧乏になればなるほど、一部の人間は豊かになるのだ。
こういうとき、せめて「精神の自由」があれば、と思うが、つまり権力に対して反抗する運動があれば、それが生きる力になるだろうと想像することができるが、緊急事態事項は、「政府に対する批判」をきっと「内乱等による社会秩序の混乱」と判断し、国民の弾圧に向かうだろう。
最近「台湾有事」ということがしきりに言われるが、現実問題として、台湾を舞台にして米中が衝突し、日本もそれに参加し、そのために中国から報復があり、さらに核戦争にまで拡大するということは、あまりにも突飛な想像だろう。それよりも、無駄な「自衛隊」という名の軍隊は「自民党防衛隊」となって国民弾圧に向かう、「自民党防衛隊」が国民に向かって動く、軍事独裁がはじまると考える方が現実的ではないだろうか。
岸田政権が軍事独裁政権になったとしたら、海外から批判が起きるかもしれない。しかし、そんなことでは核戦争は起きない。外国の軍隊が日本国民の基本的人権を守るために日本に侵攻してくるということはないだろろう。
「自衛隊」の「合憲化」「緊急事態条項」の新設は「軍事独裁」に直結する。