ジェーン・カンピオン監督「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(★★★★★)(2021年11月23日、中州大洋スクリーン1)
監督 ジェーン・カンピオン 出演 ベネディクト・カンバーバッチ、キルステン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、コディ・スミット=マクフィー
ジェーン・カンピオン監督。これは、見なければ。女性のセックス、恋愛を「学ぶ」には、ジェーン・カンピオンの映画ほど最適なものはない。ともかくびっくりさせられる。「触覚」の官能というのはわからないでもないが、ジェーン・カンピオンの映画を見るまでは、ちょっと想像しにくかった。ウッディ・アレンのなんという映画だったか、ジュリア・ロバーツが「背中を触られると感じる」というようなことを言い、ウディ・アレンが「一晩中背中を愛撫していたので疲れた」というような愚痴をこぼす作品があったが、しれは、まあ、コメディーだしね。
で、この映画。私はジェーン・カンピオンが監督という以外に興味はなかった。キルステン・ダンスト(スパイダーマンの恋人?)は唇が嫌いだし、この女と、どちらかというと精神力を具現化するベネディクト・カンバーバッチがセックスするのか。そこにどんな「触覚」の興奮があるのか。キルステン・ダンストが、どんなふうに官能に目覚めていくのか、と、先入観を持ってスクリーンに向かってしまう。
で、びっくり。
始まってすぐすぐ。キルステン・ダンストが働いている(経営している?)店へベネディクト・カンバーバッチが入っていく。夕飯だ。テーブルの上に造花がある。これをベネディクト・カンバーバッチが「しゃれている」と手にとる。そこまでは、まあ、ベネディクト・カンバーバッチが粗野なカーボーイではなく、繊細な感覚を持っている男の「伏線」(大学で、哲学だか文学だかを専攻した。古典の素養もある)としてわからないでもないが、その造花を手にとった後、造花の花びらに指で触れて、その動きを見る。何かを思い出すように、触っている。えっ? これって、いままでの映画なら女の動作じゃないか。変だなあ。
ところがね、これが「変」ではないのだ。なんとこの映画は、女の「触覚」とセックス(官能)を描いているのではなく、男の触覚の官能(セックス)をベネディクト・カンバーバッチを通して描いているだ。ことばを変えて、簡単に言いなおすと、新しいゲイ(ホモセクシュアル)の映画なのである。
もちろん、すぐにはそうとはわからない。
途中には、キルステン・ダンストがベネディクト・カンバーバッチの弟、ジェシー・プレモンスと平原のなかでダンスするシーン、そっと手を触れ合うシーンがあって、やっぱりこの女の触覚の官能がテーマか、と思わせたりする。
ベネディクト・カンバーバッチは、弟のジェシー・プレモンスがキルステン・ダンスト結婚したことにいらだっている。家の中に「女」が侵入してきたことにいらだっているのか。それはベネディクト・カンバーバッチが女にセックスをの欲望を感じていて、それを横取りされたからではないということが徐々にわかってくる。
これに、キルステン・ダンストの連れ子、コディ・スミット=マクフィーがからんでくるから、とてもややこしい。ベネディクト・カンバーバッチは造花をつくったのが女ではなく、コディ・スミット=マクフィーだと知って驚くのが、最初に書いた造花に触れるシーンだ。この痩せた少年、女のようだとからかわれる少年をベネディクト・カンバーバッチは、やはり嫌っているのだが、その理由が単に女っぽい(カーボーイには不向き)からではないということが、わかってくる。それはカーボーイになる前のベネディクト・カンバーバッチの「姿」だったからだ。
で、この描かれていないベネディクト・カンバーバッチの少年時代に何があったのか。ことばで説明されるだけだが、冬の山で遭難しかけた。そのとき、一人の男が助けてくれた。こごえる少年の体を裸で抱きしめて温めてくれたのだ。このときの「触覚」が忘れられないのだ。あのとき、造花の花びらを触っていたのはベネディクト・カンバーバッチの指だけれど、その想像の先にはベネディクト・カンバーバッチが花びらになって、だれかに触られていたのだ。そのことが、映画が進むに連れてわかるようになっている。
男の触覚の官能は、二度、克明に描かれる。ベネディクト・カンバーバッチが彼を助けてくれた男のイニシャルが入ったスカーフ(?)をズボンの中から取り出し、においをかぎ、そのスカーフをつかって彼自身の顔を愛撫する。何度も何度も愛撫を繰り返し、こらえきれなくなってスカーフをズボンの中へ入れ、オナニーをはじめる。
コディ・スミット=マクフィーは、そのシーンを直接見たわけではないが、間接的にベネディクト・カンバーバッチの「秘密」を知ってしまう。そして、その「秘密」を利用して、母を憎んでいるベネディクト・カンバーバッチを殺そうと思う。
この「殺し」がまたまた「繊細」というか、その「殺人」に「指」がどこまでも関係してくる。「殺し/殺される」はセックスそのものであり、そこには「指/触覚」が絡んでいるというのが、この映画のテーマなのだ。ひとは「触覚」によって支配されている、とでもいっているようだ。
ベネディクト・カンバーバッチは革をつかってロープをつくっている。そのロープをコディ・スミット=マクフィーにプレゼントするという。ところが革が足りなくなる。その不足の革をコディ・スミット=マクフィーが持っている。炭疽病で死んだ牛の皮。そうと知らずに、それをつかったために、ベネディクト・カンバーバッチは炭疽病で死ぬのだが、まあ、そんなストーリーはどうでもよくて。
このロープの仕上げのとき、ベネディクト・カンバーバッチとコディ・スミット=マクフィーは二人きりになる。ここからが男の触覚の官能を克明に描く二度目のシーン。ベネディクト・カンバーバッチがコディ・スミット=マクフィーにたばこを渡し、コディ・スミット=マクフィーが火をつけて、吸いさしをベネディクト・カンバーバッチにくわえさせる。動いている指はコディ・スミット=マクフィーの指。それは、ある意味ではセックスなのだ。少年が大人を誘っている。支配している。それはベネディクト・カンバーバッチ自身の見果てぬ夢だったかもしれない。指とたばこと唇。それが何度もスクリーンで展開する。
「指/触覚」は、このクライマックス以外にも何度も描かれる。ベネディクト・カンバーバッチは手袋をしない。牛を去勢するとき、他のカーボーイから「手袋をしないのか」と聞かれるが、しない。キルステン・ダンストは先住民からもらった手袋をはめ「なんて、やわらかいの」とうっとりする。コディ・スミット=マクフィーは櫛の歯を指ではじいて母親をいらだたせる。指は暴力を振るう。指は官能に溺れる。指は間接的な攻撃にも使うことができる。ロープを編むのも手、指の仕事。炭疽病で死んだ牛の皮をはぎ、凶器としてつかうのも指。指がからみあうのが、この映画なのだ。
この繊細で暴力的な指を、ジェーン・カンピオン監督は、雄大なアメリカの山と平原を舞台に展開する。その映像はとてつもなく美しい。近景、中景、遠景を組み合わせながら揺るぎなく展開する。
そうか、ジェーン・カンピオンにはゲイの官能は、こういうふうに見えているのか、と目をさめさせられる。ラストシーン(ここでは詳細を書かない)も、非常に不気味で、人間の複雑さをたっぷりと味わわせてくれる。
舞台は「現代」ではないが、「時代」を超える人間の本能/感性をを描いた傑作だ。「ピアノレッスン」「ある貴婦人の肖像」も舞台は「現代」ではなかった。「時代」設定をあえて「過去」にすることで、変わらない人間の本質を描く(浮き彫りにする)というのがジェーン・カンピオンの姿勢なのかもしれない。
書きそびれたが、音楽もとてもいい。「現代的」だ。それがこの映画をいっそう清潔にしている。
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