詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党憲法改正草案再読(41)

2021-11-25 11:25:05 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(41)

 削除と追加。跡形もなく削除された条項がある。次の最高法規である。

(現行憲法)
第十章 最高法規
第97条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条
1 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
(改正草案)
第十一章最高法規
 (現行の第97条、削除)
第101 条(憲法の最高法規性等)
1 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 これは、何を意味しているか。
 条項を読んでいるだけではわからない。ここで読まなければならないのは「コンテキスト」である。「文脈」である。
 現行憲法は、どういう「文脈」でできているか。
 第97条は「この憲法が」で始まるが、主語は「憲法」ではない。第97条に書いてあるのは「基本的人権」である。「基本的人権」のことは、すでに「第三章国民の権利及び義務」に書いてある。それを改めて「最高法規=憲法」を定義する(第98条)前に、もう一度書いているのは、人権がいちばん大事だからこそ、それを定めた憲法が最高位の法であるというためなのだ。人権を守るために、憲法をつくった。そういう「歴史」を明確にするために、まず「人権」について書くのである。
 「人権」がなければ「憲法」がない。「人権」が「憲法」を必要としているのだ。
 第97条と第98条は、いわばひとつづきの「文脈」なのである。改正草案は、この「文脈」を否定している。つまり、それは「歴史」を否定するということである。明治憲法は人権を尊重しなかった。その「反省」が、現行憲法を必要とする根拠である。
 いきなり第98条で「この憲法は、国の最高法規」とはじめたのでは、その憲法が絶対的存在として守ろうとしているものが何かわからない。「憲法」だから「最高法規」といっているだけだ。「憲法」の下に「法律」や「命令」があるという「上下関係」を説明しているにすぎない。これは逆に言えば、「憲法は国民の人権を守るためのものではない、国を守るためのものなのだ」という主張である。「国」とは、もちろん「権力(内閣/内閣総理大臣)」のことである。
 だからこそ、第99条は大幅に改変される。「削除」されたものが、別の形で「追加」される。

(現行憲法)
第99条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
(改正草案)
第102 条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

 現行憲法に「国民」ということばはない。極端に言えば、国民は憲法を尊重しなくてもいいし、憲法を守らなくてもいい。つまり、憲法改正を訴えることができるし、この憲法が嫌いだからこの国を出て行くということもできる。(第22条の2項に、こう書いてある「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」)国民は(その基本的人権は)最高法規である「憲法」を超越する。その「超越」するものを、「全体的存在」として保障するために、憲法があるのだ。
 これを改正草案は逆に言いなおす。
 「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」。現行憲法では、「第三章」で「公共の福祉」ということばを何度かつかっている。国民は「公共の福祉に反することをしてはいけない」。「憲法に反してはいけない」ではないのだ。基本的人権についての考え方は、ひとそれぞれだろう。どう考えるかは自由。しかし、もしその「自由」が「公共の福祉に反する」ならば、それは規制される。改正草案は、この「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言いなおしている。その問題に触れたとき、何度も書いているが「及び」は「=(イコール)」である。「公益=公の秩序」。そしてそのときの「公」とは「国民個人の対極にあるもの」、つまり「権力(昔のことばで言えば「お上」)」である。極端に言いなおせば、安倍政権時代なら「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序」であり、菅政権時代なら「菅の利益、菅の利益を上げるための秩序」、岸田政権なら「岸田の利益、岸田の利益を上げるための秩序」である。
 だから改正草案の「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」は、実は「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序」を守るために、「全て国民は、この憲法にしたがって奉仕しなければならない、を尊重しなければならない」、「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序を守ることが、憲法を守る」ということなのだ、と言うのである。
 これでは、あまりにも「独裁」のための憲法改正であることが露骨にあらわれてしまう。そこで、どうするか。
 よく読んでもらいたい。
 改正草案からは「天皇又は摂制」が消えている。「天皇」を除外する。「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序を守ることが、憲法を守る」のかわりに「天皇の利益、天皇の利益を上げるための秩序を守ることが、憲法を守る」ことが大事、と思わせるのだ。以前言われた「国体」というものが何を指すのか、私にはよく分からないが、たぶん「天皇(の利益)」のことだったのだろう。「天皇」を守るは「天皇制」を守るということである。それは、しかし、ほんとうに「天皇」を守るというよりも、「天皇」の存在を借りて、安倍の利益を守るということなのだ。しかし、そういう批判を封じるために、ここでは「天皇」を削除しているのだ。
 こういうことを「天皇の政治利用」という。

 このあと「補則」が書かれている。

(現行憲法)
第十一章 補則
第100 条
1 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。
第101 条
 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。
第102 条
 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。
第103 条
 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。
(改正草案)
附則
(施行期日)
1 この憲法改正は、平成○年○月○日から施行する。ただし、次項の規定は、公布の日から施行する。
(施行に必要な準備行為)
2 この憲法改正を施行するために必要な法律の制定及び改廃その他この憲法改正を施行するために必要な準備行為は、この憲法改正の施行の日よりも前に行うことができる。
(適用区分等)
3 改正後の日本国憲法第七十九条第五項後段(改正後の第八十条第二項において準用する場合を含む。)の規定は、改正前の日本国憲法の規定により任命された最高裁判所の裁判官及び下級裁判所の裁判官の報酬についても適用する。
4 この憲法改正の施行の際現に在職する下級裁判所の裁判官については、その任期は改正前の日本国憲法第八十条第一項の規定による任期の残任期間とし、改正後の日本国憲法第八十条第一項の規定により再任されることができる。
5 改正後の日本国憲法第八十六条第一項、第二項及び第四項の規定はこの憲法改正の施行後に提出される予算案及び予算から、同条第三項の規定はこの憲法改正の施行後に提出される同条第一項の予算案に係る会計年度における暫定期間に係る予算案から、それぞれ適用し、この憲法改正の施行前に提出された予算及び当該予算に係る会計年度における暫定期間に係る予算については、なお従前の例による。
6 改正後の日本国憲法第九十条第一項及び第三項の規定は、この憲法改正の施行後に提出される決算から適用し、この憲法改正の施行前に提出された決算については、なお従前の例による。

 「補足」をわざわざ「附則」と書き直しているくらいだから、ここにも何かしらの「秘密の企て」があるのかもしれないが、私にはよくわからない。


(「自民党憲法改正草案を読む」は、今回で終了です。近日中に一冊にまとめる予定です。)

 

 

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EPITAFIO

2021-11-25 07:20:10 | 

EPITAFIO

 

En escultura y pintura, heredaste el espacio transparente de Dalí. En poesía, la metáfora fue hábil. Tocaste el amor y la verdad como si tocabas una rosa. Ojos, labios, dedos. Los alabo. (Quiero grabar lo que dijiste, pero no quiero que otros lo lean). Por la mañana, exprimiste una naranja amarga y la bebiste. Te bañaste con agua fría durante el día. Tu habitación estaba llena de luz. Dormias por la noche. El color de la camiseta siempre fue agradable. La forma de arreglar la barba era de primera categoría. Dos años y tres meses, demasiado largo para la sensualidad, demasiado corto para la angustia. Gracias, abrazos, besos.

 

yachishuso

 

墓碑銘

 

彫刻と絵画では、君はダリの透明な空間を引き継いだ。詩においては、比喩が巧みだった。バラに触れるように、愛と真実に触れた君。目、唇、指。私はそれをたたえる。(君の言ったことばを刻みたいが、他人に読まれたくない。)朝、苦いオレンジを絞って飲んだ。昼、水を浴びた。光がいっぱいだった君の部屋。夜は眠った。シャツの色がいつも素敵だった。髭のととのえ方が超一流だった。2年と3か月。官能には長すぎた。苦悩には短すぎた。感謝、抱擁、キス。

 

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