詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ロベール・ブレッソン監督「田舎司祭の日記」

2021-11-07 18:15:27 | 映画

ロベール・ブレッソン監督「田舎司祭の日記」(★★★★+★)(2021年11月07日、キノシネマ天神スクリーン1)

監督 ロベール・ブレッソン 出演 クロード・レデュ

 この時代の映画がいいのか、ブレッソンがいいのか。
 両方いいんだろうなあ。
 「田舎司祭の日記」というくらいで、「日記」のアップはあるし、ことばことばことばの連続。アクションが少ない、というか、そのアクション自体がなんとなく「演じています」という感じ。司祭が汗を拭くシーンなんか、リアルではなくて、「様式美」としてのアクション。
 でもね。
 これがいい。とってもいい。肉体の動きを、はっきり動いているという感じでみせる。つまり、誇張があるのだが、その誇張は役者の「表情」を引き立てるためにある。肉体の動きが明確なので、何をしているか、すぐ「意味」がわかる。「意味」がわかるので、見ている方に「余裕」が生まれる。どういう余裕かというと、そういうとき「顔/表情」はどう動くのかを見る余裕だ。顔に集中できる。目の動きに集中できる。
 映画は、やっぱり「顔」を見せる。
 顔の大きさは、どんな人間も、そんなに変わらない。どんなに近づいても大きさに限度がある。でも、それがスクリーンに拡大されて映るとき、見えなかったものが見える。こころの動きが見える。
 肉体の動きは「形式美」であらわし、こころの動きは「表情のアップ」で見せる。このバランスが、とってもいい。
 そして、ここからもうひとつ。
 人は他人を見るとき、全部を見ているようで、そうではない。一部を見て、それを拡大し、自分のなかに「ある人物」をつくりあげてしまう。特に、他人の「こころ」をつくりあげてしまう。それが時には「誤解」を生み、そこから人間ドラマが複雑に動く。
 この映画そのものが、そういうストーリーでもある。新しく赴任してきた司祭は村人のことを知らない。わかるのは「一部」である。その「一部」から全体を想像し、想像したことを「理解」と勘違いする。これは、村人の方にも言える。司祭の全部を知っているわけではない。でも、司祭が何をしているか、わかったつもりになる。
 「形式的(常套句のような)」行動を彩る瞬間的な「表情」。
 これは、最初の方のシーンで象徴的に描かれる。
 司祭が自転車で村にやってくる。汗を拭いている。離れたところで男と女がキスをしている。女がキスをしながら司祭の方を見る。男と女は、どう見ても「不倫」である。「不倫」を司祭に目撃されて、ふたりは去っていく。不倫かどうかは、村にやってきたばかりの司祭にはわからないはずである。でも、不倫だと感じる。それは、女が司祭を見るときの「目つき」、何を見ているの、と非難するような目つきにあらわれている。若い恋人なら、司祭に見られても司祭を見ている司祭を非難するような目つきはしない。それを司祭自身が感じ取る。もちろん観客である私も感じてしまう。これを鮮明にするには、行動はやはり「形式的」でなくてはならないのだ。
 このバランスが、とってもいい。
 さらに(追加の★のための注釈)。
 出演者は、誰が誰だか、私にはわからないのだが。
 領主(?)の妻を演じた女優に見とれてしまった。まるで杉村春子。ものすごく、うまい。そこにたしかに人間がいる、という感じ。一度も会ったことがないのだけれど、この人に会ったことがある。この人は、いつもこういう話し方、こういう表情をする、と感じてしまう。
 司祭(クロード・レデュ)が主役なのだけれど、二人の対話のシーンでは誰かわからないこの女優に見とれてしまった。

 


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自民党憲法改正草案再読(33)

2021-11-07 09:56:19 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(33)

(現行憲法)
第81条
 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
(改正草案)
第81条(法令審査権と最高裁判所)
 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する最終的な上訴審裁判所である。

 「終審裁判所」と「最終的な上訴審裁判所」は、どうちがうのか。改正草案は「三審制」を踏まえての表記なのかもしれないが、よくわからない。
 一審、二審で「違憲判決」が出ても、それは「確定」ではない。最高裁に上訴し、最高裁が判断しないかぎり「違憲」にはならない、と言うことなのかもしれない。
 つまり、二審で「違憲判決」が出たとき、政府はあえて上訴しない。上訴しないことで「違憲」であることを受け入れない。つまり、「上訴審裁判」で確定したわけではないから、「違憲ではない」と主張するための「逃げ道」なのかもしれない。
 こういう問題は、法律の専門家がもっと国民向けに語らないといけないのではないのか。すでに語り尽くされているのかもしれないが、テレビも見ないし新聞もろくに読まない私のような人間には、議論がどこまで進んでいるのか、さっぱりわからない。

(現行憲法)
第82条
1 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。
(改正草案)
第82条(裁判の公開)
1 裁判の口頭弁論及び公判手続並びに判決は、公開の法廷で行う。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがあると決した場合には、口頭弁論及び公判手続は、公開しないで行うことができる。ただし、政治犯罪、出版に関する犯罪又は第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件の口頭弁論及び公判手続は、常に公開しなければならない。

 「対審」が「口頭弁論及び公判手続」と変更されている。裁判には、民事裁判と刑事裁判があるが、そのふたつの違いに配慮して、こうなっているのか。
 第2項でも「対審」をすべて「口頭弁論及び公判手続」と書き直しているのは、何か意味があるのかもしれない。ことばの経済学から「これを」を「削除する」のが改憲草案の大きな特徴である。それは2項でもおこなわれている。一方で、「口頭弁論及び公判手続」はしつこく書きつらねている。奇妙な印象を受ける。たぶん「政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利」が関係しているのだと思う。何を狙っているか、予測がつかないが。

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