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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ザザ

2005年10月13日 | チンゲル亭
 


本を枕に


                獲物(ハエ)を捉える絶好のャCント


 


 アイロン台を占拠




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第十治療センター

2005年10月12日 | チンゲル亭
昨日一緒に行った日本からの学生さんたちと、第十治療センターの見学に行きました。

ここは、身体障害児の通う幼稚園です。
隊員2名が活動をしています。

モンゴルの先生は浮「、決して笑わないというイメージがあったのですが、ここの先生は、子供の目を見て笑顔を見せて指導をしていました。
子供たちも、勉強やリハビリの場面で泣いている子は居ません。
思わず「かわいー」と声が出るほど、素敵な笑顔の子供ばかりでした。

ここはモンゴルでたった一つの障害児のための施設です。入園させたい親が多く、施設は満員状態です。
健常児の年少のクラスは、一人の先生が42人も面唐ゥていてそれはそれは大変なのです。
モンゴルの幼稚園は、朝食から夕食まで保育をしますから、その先生の苦労たるや想像を絶します。

障害児のクラスは、10数人を二人の先生で見ていますが、今日は一人の先生がお休みでした。

モンゴルたった一つの施設ということで、海外からの援助物資や介護機器などがたくさんありました。
しかし、それらはお古であったり、基本的には本人に合わせて特注品であったはずのものですから、手直ししながら、使用しているということでした。

こういった機器や器具を作る材料、工場、技術はモンゴルには無いので、海外からの援助に頼るしかないのです。
今は、幸い、シニアの義肢を作るボランティアが居ますので、その人が手直しをしてくれているそうです。

話が戻って、笑顔での訓練が行なわれるには、3年の継続があってのことと聞きました。
モンゴル人の先生がモンゴル人の先生に対して「リハビリは泣いている時はしてはいけないのよ」といっているのを聞いて、指導に当たっている隊員がこれぞまさしくわれらの成果と手をたたいて喜んだそうです。

親は、とにかく手足を動かせばよいと思っていて、泣こうがわめこうが無理やりに手足を動かしてしまいがちなのだそうですが、体を硬直させているときに無理に動かすと筋肉の断裂が起こるのです。

この施設が出来て10年、3才で入ってきた子が13才になっています。
この子達のために、作業所をつくってやりたいと思っているそうですが、まだまだ、遠いとのことです。

この唯一の障害児の施設には、60人ほどが通っているそうですが、モンゴルの障害児の1%ほどだということです。
ここに入るには、月に5,000トグルクの給食費を払えばよいのですが、その費用を払い、子供をこの施設まで送り迎えする余裕のある親は、一部の裕福な人たちだということです。

なるほど、来ている服もこざっぱりしているし、皆大事に育てられているのでしょう、いじけたり暗い顔をしている子が居なかったはずです。

のこりの99%子子供たちは、家に置き去りにされているとのことです。
このような施設がもっともっとモンゴルには必要です。

この、施設では、手が足りず、リハビリもスケジュールがいっぱいで技術を学ぶ余裕がなく忙しく流れ作業化していて、療法士のレベルアップが難しいとのことでした。

一人でも多くの子供を助けたいという思いと、質の良い療法を受けさせたいとの思いとがジレンマになっています。

愛らしい子供たちと、ひと時を楽しく過ごしましたが、ここで、一日中、週に5日間仕事をこなしている人はさぞやと思います。

帰りの挨拶をしているとき、誰かが、窓の外を見て、「ア、羊がきた」といいました。
私は、外の園丁に羊が歩いているのかと思ったら、大間違い。
食用の頭と皮をはがれた4本の足のにゅっと出た肉を、お兄さんが二匹ずつ担いでくるのが見えたのです。あはは、モンゴルです。(笑)
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日本語科の学生2

2005年10月11日 | チンゲル亭
いつも出かけていっているTISの日本語科ではなく、知人が教えている大学の4年生のクラスを見学させてもらいました。

今日は、5人の出席で、「未」が付く漢字が黒板に並んでいて、途中で参加した時は「ひっかかる」「ひっかける」という言葉の説明をしているところでした。

その後、「パラサイト シングルとは」「自立した大人とは」という命題でのディスカッションが始まりました。

学生5人、私たちお客さんも5人(日本人大学生3人、モンゴル在住20代女性と私)。

日本人が居ること、そして、日本への留学経験者が二人も居るという状況で、3人は口ごもりがちでした。
ほんとは、しゃべりたいこといっぱいありそうだったな。

モンゴルでは、学生結婚をする人が多く、子供も直ぐに産みどちらかの両親に預けるのです。
そういう状態でも、結婚をしている人は大人だと思う。
モンゴルでは日本のように長生きではないので、早く子供を産む必要があるということもあるのかもしれません。

小さい子供が居ても、留学や日本で仕事をすることは特別なことではないのです。そういう状態は、日本人の私にはちょっと受け入れがたい。
自立という問題とは少しそれてしまいましたが、お国柄により考え方が少々違っていることを、感じました。
そのような中で、日本語を教えている知人は、単純に偉いと思います。


留学経験組は、日本人に近い意見を言うのだけれど、私の知る限りでは自立ということの意味と状態はモンゴルでは少しちがっているような気がするのだけれどなぁ。

たとえば、私のような主婦という立場は、教育があってきれいな仕事をしている見識の高い人たちにとっては、ちょっと見下げられているような気がするのだけれど、「夫を支えるすばらしいことであり、自立していると思う」という意見をすかさず言われたのは、ちょっと、驚きました。


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通訳

2005年10月10日 | チンゲル亭裏日記

夫の教室の先生が日本に勉強に行ってしまいました。
英語で教授たちとの通訳をしてくれていたのですが、その人が居なくなり、日本語の通訳を雇うことになりました。

日本語科の先生の紹介で来た最初の通訳さんは、化学方面に興味があり、専門用語にも積極的に取り組んでいく姿勢の優秀な人だったのですが、日本に行く仕事が3ヶ月入り、大学院を休学して行くことになりました。

その人の紹介で来た2番目の通訳志願の人は、アルバイト気分で難しい語句が続出してちょっとつらい思いをした翌日は、欠勤でした。
私が思うに、テニスの練習の日は半日お休みなどといってくる人だから、それは、ずる休みだと思うのです。
夫は、たまたまだろうと言うのです。
しかも、その日は夫が出勤が遅くなるからとの電話を入れたら、今電話をしようと思っていましたとの返答だったと。。。
何をかいわんや。。。

仕事には厳しいのですが、そのやさしさはきちんとした仕事をする人を育てられるのだろうかと夫の仕事には、口をさしはさめない立場の私でも不安になります。

今日は、3番目の通訳さんの面接と、2番目さんへ今までの手当てを払う日です。
夫の仕事の役に立ち、素直で、勤勉な人が来てくれるときたいします。

2番目さんは、仕事に来るのに辞書も持たずに来る。教授のコンピューターが空いていると、夫にも教授にも断らずに勝手に使い、携帯のメールは打ち放題という人だったそうです。
さすがの夫も、解雇を言い渡したのです。
2番目サンは1番目サンからの紹介だったのですが、どういう説明を受けて引き継いだのか、もともと、仕事について何も考えていないのか。。。
日本で、アルバイトの経験があるということなのですが、どんなところでアルバイトをしていたのか。

モンゴルでは、専門用語に精通している通訳さんはなかなか得がたく、当然のことながら手当てもかなり高額になります。
JICAから支給される通訳手当てでは、専門的なことを指導し育てながら仕事をこなしていかなければならず、通訳に関しては、誰もが苦労しているのです。

前回から、通訳さんを使って育てていれば今は楽なのにと思うかもしれませんが、育つと直ぐ外へ飛び立つモンゴルの有識人たちです。
きっと、前回苦労しなかったのは、幸せと思うのが良いのでしょう。
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鼓太郎

2005年10月10日 | チンゲル亭裏日記

留守宅の娘より、鼓太郎の近況報告です。
音沙汰が無かったので、鼓太郎の風邪が悪いのかなぁ、元気な鼓太郎がそんなわけないなぁと、打ち消しつつ居たのです。

熱が出たり、鼻水を吸いだしてもらったり、嘔吐したりでクリニックのお世話になっていたということでした。
先生によると、ホテルでは暖かくしていたので、家に帰って寒くて風邪を引いたのではないかとのことでした。
密封された空間で、寒いということは無いと思っていたのですが、それにお気に入りの毛布もあるし、陽だまりのある暖かい家だと思っていたのになぁ。
それにしても、風邪のヴィールスがあったわけで、外に預けたことが原因なのだねぇ。
家の中で飼っている分には、菌やヴィールスの無いところに居るわけですからね。
今の時期、猫ちゃんの風邪が多いようで、預けた時期も悪かったわけです。
その上、4年間慣れ親しんだキャットフードの代理店が店を閉めてしまったので、やむなく、近くのスーパーで購入できるフードに変えて一ヶ月ほど経過しています。
それも、気になるところですが、手に入れられなくなったフードをいつまでも惜しんでいてもしょうがないのです。

鼓太郎は生まれつきデリケートだったのか、それとも、一匹だけを大事にしすぎてデリケートになってしまったのか分かりませんが、今ある鼓太郎を大事にしてあげたいと思います。

娘も、初めての介護で気遣いをしたことでしょう。
お疲れ様でした。つい目と鼻の先に、良い先生が居てよかった。

もう一段落したということです。
夏に帰国しているときに、お気に入りになった籠の中に毛布を敷いてもらって眠っているそうです。
その籠は、夫の洗濯物を入れて整理していたものですが、いつの間にか鼓太郎がお休み場所にしてしまい、チノパンツが鼓太郎の分身(毛)だらけになっていたのです。
それを見て、夫はしょうがないなぁと嬉しそうに笑っていたのです。。。

今は、空になった籠を自分だけのものにしているわけです。(笑)
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ザザ

2005年10月09日 | チンゲル亭裏日記

家に来て、10日になりました。
河原まで、トイレ用の砂を取りにいき、メルクーリでキャットフードを買い、近くのデルグールでウインナを買いました。
トイレは、洗濯用の洗い桶をお下がりして、砂を入れました。

もっぱら、洗濯機で洗っているため、代わりの洗い桶はまだ買っていません。
もう一つ欲しいのは、トイレから出てきたときに手足に付いた砂が床に散らばるので、1畳くらいのカーペットをトイレの下に敷いて防止したいのです。

甘え上手のザザは、私が台所に立つと甘えた声で、ご飯をねだります。
それを聞いた夫は、おながが空いているんじゃないのと心配するのですが、ここでご飯を与えると、デブちゃんになってしまいます。
お返しするとき、痩せてはいないけど、太っても居ない状態でお返ししたいから、決めたとき以外はあげてはいけないのです。
一番可愛く、あどけないときに預かったのです、そこから一ヶ月も経ったらその時のあどけなさはなくなっているのですから、飼い主さんにがっかりさせてはいけないのです。
デモね、太っているほうが可愛いと思う人だったらどうしようかなぁ。

とにかく、喜んでつれて帰ってもらわないといけないのです。
我が家は、日本人二人の家族ですが、今度、ほんとの家に帰ったら猫の嫌いなモンゴル人も居るところなのです。
飼い主さんに、ちょっとでも可愛くないと思われたら、ザザの居場所がなくなってしまいます。

このところ、獲物のハエが少なくなったので、一日の運動量が少なくなっています。
しかも、私も出かけることが増えて、相手をする時間が少なくなっていますから、ご飯を欲しがるだけ上げるわけには行かないのです。

そのように思い悩んでいるのも知らず、甘えておねだりしてもだめと分かると、180度気分を変えて、そんな事実はは無かったように、さっさと後ろを向いてほかの事を始めるザザです。

猫の、気分転換の速さや、あきらめのよさは、猫の嫌いな人から薄情といわれる所以かもしれません。

ザザは鼓太郎とちがってよく鳴きます。
その鳴き声には、いろんな音色やメロディーがあり、それぞれに意味があるのだと思うのです。

鼓太郎は、我慢強いのかそれとも我が家での私のやり方で満足していたのでしょうか。
ザザの甘え上手を見ていると、鼓太郎のいつも変わらない平らな感情を懐かしく思います。
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白人への誤解

2005年10月07日 | モンゴルについて
スーパーの荷物を持って、道路でタクシーを止めようと手をあげていました。
日本とちがって、手は上ではなくて、水平より下に出してひらひらさせるのが合図です。

私が、待っているのを知りつつ、白人の若い男性が私より前に立って、先にタクシーを奪い去って生きました。
タクシーが走り出してから、顔を上げたのであまりに腹が立つので、親指を下に向けて不快感を示してしまいました。
中指を使わないのは私のたしなみです。

白人=フェミニストという図式が私にはあるので、裏切られた気分でした。
やっと帰宅して、先に家に帰っていた夫に靴を脱ぐのももどかしくその事件に関して、まくし立てました。
「それは、ロシア人だよ。ロシア人はモンゴル人よりえげつないよ」と、夫は答えました。

モンゴル人の口からも昔は、礼儀正しい民族だったということを、いろんな場面で聞きます。
どうして、モンゴル人はモンゴル人自身の口からそう言われるようになってしまったのでしょう?
(モンゴル人というのは失礼かもしれません、ウランバートルに住むある一部の人というのが正しい)



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オルティンドー

2005年10月07日 | チンゲル亭裏日記

3回目の練習。
難しかったショロンカイの駄目押しの練習を先生がしてくれました。
鏡を持って、口の形、舌の形を良く見るように。
そして、歯と舌の関係、喉から出た声を上あごの深いところにぶつけて鼻腔に響かせる説明のために絵を描いてくれたりしました。

おかげで、何回かに1回は大きな声で「OK!]と言ってもらえるほどにはなりました。先生、ありがとう。
こんなに丁寧に一生懸命教えてくれる方だとは思っても居ませんでした。

そして、通訳のチョカさんにもちょっとした指示を与えてくれたりしました。
私は、練習に夢中で、先生が上手に私の悪いまねをしながら正しい音との比較をしながらの指導ですから、先生のモンゴル語は分からなくても何を言わんとしているかは分かるのです。
通訳の言葉が発せられる前に、理解して声を出してしまうものですから、チョカさんは私が先生のモンゴル語を理解したものと勘違いすることもあるのです。

喉に力が入る悪い癖を、なくしたら、先生の要求の半分はクリアできるのですが、詩吟を習っていたときの悪い癖は長年に渉って続けてきたものですから、おいそれとは修正できないで居ます。

去年と比べたら、自分ではかなり喉の力が抜けてきたので、上達はしていますが、それは私の判断であって、先生はもっともっと力を抜きなさいというのです。
おまけに、練習帰りにチョカさんにまで、「あなたは練習中は喉に力が入っています」と駄目押しで言われてしまって、ちょっと、むっときたのです。

ほんとのことだから仕方がないと思いつつ、こんなとき、日本人ならこんなことは言わないなぁ。しかし、下手に慰められても結局はむっと来るのだから同じなのよね。

今朝、家で大きな声で練習をしていたら、ザザがあわてたように膝に乗ってきて、前脚でちょいちょいと私の胸を触りました。

きっと、腹式呼吸の音の響きがその辺りからしたのでしょう。とても奇妙だと驚いたようでした。
しばらくは落着かない様子で、うろうろしていましたが、最後には陽だまりで昼寝してしまいました。(笑)

さて、なるべく練習の時間をふやすことにしましょう。
ザザも最後には眠ってしまうのだから、悪い音を出しているのではないと思うのですが。。。
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停電につき外食

2005年10月07日 | チンゲル亭裏日記

昨夜は、長時間停電のため、外食にしました。
どこに行くかと、あれこれ名前を挙げて店を選ぶということは、日本では無いことです。

結局、7月に出来たばかりのKホテルに行くことにしました。
亡くなった人を思い出すからということで、足が遠ざかっていたのですが、やはり一度は行ってみなくては、という夫の心理でした。

有名な観光地の名前の付いたホテル内のレストランは、モンゴル料理のお店でした。
内装は、なるほど立派です。

魚料理は、フブスグルの魚ということで期待したのですが、ぱさぱさでした。
牛肉のステーキは、堅くて何の工夫も無い焼き方です。確かにモンゴル風です。一流を目指すホテルのレストランとは思えない何の工夫も無い料理です。
ャeトは、ベイクドではなく蒸してあって、せっかくのおいしいサワークリームが生きてないし、モンゴルジャガイモではないので、うまみもない。
サラダだけは、珍しく新しい野菜のシンプルドレッシングでおいしかったです。

やがて、後ろの席にお客が来たのかと思うとどう見ても従業員という風情の女性が食事を始めました。まだ、8時前です。
そこへ、制服の男性が立ち話をしに来ています。

後で、夫が尋ねたら、制服の男性はジェネラル マネージャーとのことで、ボーイさんは「すみません」といっていたそうです。

そういうまかない食の場面としか思えない状況を、私たちが不快に思っていることはそのボーイさんにも分かっているようでした。

ほんとに、悲しい。
供養のつもりで行ったホテルのレストランで、その彼が、少なからずかかわって、志半ばで逝ってしまったことが、こんな形で見せ付けられるとは思いもよらず、行かなければ良かったと思ったのです。
生きていれば、かかわりの無い立場になったとしても何かの形で、苦言を呈したり、助言をすることができるのに、逝ってしまった彼には何も出来ないのです。

ジェネラルと名の付く立場の人が、女性の料理人さんに媚を売っているような情景は、見たくなかった。
背筋の伸びた、謙虚な彼の姿を思い浮かべます。彼がこんな人たちを育てるはずが無い。彼が直接指導した人ではないことを祈ります。
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SAVE  THE CHILDREN

2005年10月06日 | チンゲル亭裏日記

アシスタント兼ボディーガードのウツカが時間よりもずいぶん早く迎えに来てくれました。
楽しみにしてくれているようです。

SAVE THE CHILDRENの職員のモギーさんは、ほとんど日本語が出来ないのですが、とても感の鋭い人で、大体私の言わんとしているところが理解できるようで助かります。

今日は、協力隊員のNさんも様子を見たいといって一緒に来てくれたので、通訳を努めてくれて、助かりました。

先週も会った英国人のスタッフは10月で帰国してしまうようです。
Nさんのおかげで英国人の男性のグレアムさんともちょっと話が出来て、場が和みました。
言葉って、大事と思う瞬間です。
今まで、何でも笑顔で済ませてきた私ですから、退化しかけて頭脳に鞭打って言葉を何とかせねばと思うのです。

子供たちとは、初対面なのですが、なぜか初めてという感じがしなくて、和やかに授業もどきが始まりました。
11時から12時半は、授業だけで通すのはとても難しいので折り紙や歌を入れて、楽しくゆっくりと進めて生きたいと思います。

週一度ですから、次回までにねたを仕入れるのは何とかなるでしょう。

今日は、「私の名前は、○○です。貴方の名前は、ナンですか?」「私の名前は、○○です。」
というフレーズを、繰り返し形を変えて、練習をしました。
今日の出席は、14人。
よく分かる子と、隅っこで静かにしている子とさまざま。

残りの30分は、「うみ」を歌いました。
歌を歌うのは、ほんとに楽しそうで、一度歌っただけで、直ぐに後を付いて歌えるのは、大学生の時と同じです。

もう少し、勘が鈍くてもいいのになぁ、そしたらもっと時間が持たせられるのにと思うほどでした。
その感の鋭さに支えられて、モンゴル語なしで日本語の会話をしようとしているのだから、いい気なものです。

きょうの、出席は14人。
大体、12歳ぐらいときいています。

もっと暗い表情で,反応の無いと思っていたのですが、笑顔の元気な子供たちでした。

少しほっとして、来週も来られると思ったことでした。

ウツカも楽しんでいたようで、来週も着てくれるそうです。
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