野田 芦孝会長と記念誌委員が集まって、校正をいたしました。
部屋の傍らでは、別の委員会が行われており、中央会以外の日程でも、こうして委員会が開かれ、9月22日に向けて着々と仕事が進んでいます。
陰の記念誌委員の力も大きく、驚くような箇所の不具合を見つけてくださったり、やはり、たくさんの目で、検証することは大切だなぁと思いました。
この作業は、メールでも行えるため、参加できなくても、力を発揮してくださっている委員もいて、この作業の多様な関わりを思いました。
野田 芦孝会長は、その道のプロでしたから、指示もてきぱきと進むので、すわって居るだけの私も、仕事をしている様な気になりました。
隙間時間に記念品のご相談もして、28日の中央会では、最終決定の運びになりました。私の知恵の及ぶ限りのことをしたので、どういう結論になろうと構わないと、居直りました。
記念品という不思議な物は、これからどこまで続くのやら。
もらって、嬉しいと感じる人は、ほとんどいないだろうと大方の人が言うこの「記念品」はなんのためにと、空しくなりかけてしまったけれど、品物選びをしているうちに、楽しくなってきました。
たとえ、大方の人が気に入らなくても、これだけ思いをかけて、選んだものだという、私一人分の自負は、あるよ。
ドロップボックスから下ろした校正原稿の一ページ
この作業の後、印刷屋さんへ持ちこんで、二校の予定。
部屋の傍らでは、別の委員会が行われており、中央会以外の日程でも、こうして委員会が開かれ、9月22日に向けて着々と仕事が進んでいます。
陰の記念誌委員の力も大きく、驚くような箇所の不具合を見つけてくださったり、やはり、たくさんの目で、検証することは大切だなぁと思いました。
この作業は、メールでも行えるため、参加できなくても、力を発揮してくださっている委員もいて、この作業の多様な関わりを思いました。
野田 芦孝会長は、その道のプロでしたから、指示もてきぱきと進むので、すわって居るだけの私も、仕事をしている様な気になりました。
隙間時間に記念品のご相談もして、28日の中央会では、最終決定の運びになりました。私の知恵の及ぶ限りのことをしたので、どういう結論になろうと構わないと、居直りました。
記念品という不思議な物は、これからどこまで続くのやら。
もらって、嬉しいと感じる人は、ほとんどいないだろうと大方の人が言うこの「記念品」はなんのためにと、空しくなりかけてしまったけれど、品物選びをしているうちに、楽しくなってきました。
たとえ、大方の人が気に入らなくても、これだけ思いをかけて、選んだものだという、私一人分の自負は、あるよ。
ドロップボックスから下ろした校正原稿の一ページ
この作業の後、印刷屋さんへ持ちこんで、二校の予定。