熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジュリー・テイモアの芸術

2008年03月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   ジャパン・ソサエティー創立100周年記念シンポジウムで、ジュリー・テイモアが、宮本亜門と共に「創造の作り手」について語った。
   ブロードウエイ・ミュージカル「ライオン・キング」で有名な演出家だが、私は、彼女のMETの「魔笛」の舞台をライブ・ビューイングの映画でしか見ていないし、ライオン・キングも断片的な映像でしか見ていないので何とも言えないのだが、この二つの作品を見る限り、豊かな発想やイメージは、極めてアジアやアフリカの影響が強いように思っていた。
   多少は、テイモアの略歴は知っていたが、今日の彼女のスピーチで、並外れた多くの芸術体験が、欧米の伝統からの束縛を離れた、独特なエキゾチックで色彩豊かな舞台を創り出しており、その芸術の秘密が少し垣間見えてきたような気がした。

   10歳でボストンの子供劇団に入って舞台に親しみ始めたのだが、14~5歳でスリランカとインドで国際在住プログラムを経験し、16歳の時にパリで黙劇を学び、オハイオ大やニューヨークで演劇を学ぶ一方、1973年に、アメリカン・ソサイエティのインドネシア仮面舞踏劇や影絵人形劇プログラムに参加している。
   1974年大学卒業後には、伝統演劇などのパーフォーミング芸術を集中的に学ぶ為にアジアに興味を持ち、ワトソン・フェローシップで、日本に来て、文楽などあっちこっちで人形劇の勉強をし、更に、自分でインドネシアに渡って5年間住んで、自分自身で国際色豊かな役者や音楽家、人形師を糾合した劇団まで結成している。
   バリ島でのスピリチュアルな経験等も含めて、このような若い時の異文化との遭遇と経験が彼女の芸術に強烈な印象を与えない筈がない
   テイモア自身が、今回のライオン・キングの発想は、大きくこれらの日本やインドネシアの体験から得ていると言っていた。

   日本人は、ごく普通の伝統芸術や人形劇でも、アウトサイダーのテイモアには、非常に新鮮な経験と感動を与え、インスピレーションの源になるのだと言う。
   このようなアジアの伝統的な人形劇や舞踏やガムランのような音楽は、語る言葉のない物語であったりストーリーがなくても、イメージと想像力を働かせて観客に理解させる力がある。
   このようなアジアの音楽とイメージが生み出す舞台芸術は、万人共通のものであり、国境を越えて伝わる。
   ライオン・キングの場合には、人間が仮面や装置を使って動物のイメージを演じているが、マスクも役者も両方とも演技をしており、これは、インドネシアの仮面劇のダブル・イベントを利用したもので、観客はイメージを膨らませて理解してくれると言うのである。

   茂木健一郎氏が、「独創的な発想や発明は、総合的な知がないと開花しない。そして、作品であろうがアイデアであろうが、不連続なものはひとつとしてなく、無から有を生じたり、忽然と出現すると言うことは絶対に有り得ない。」と言っている。
   私は、テイモアの場合には、本人も言っていたが、シェイクスピアやギリシャ悲劇・喜劇は勿論、マーハバーラタやラーマヤーナなど、色々な演劇やパーフォーマンス・アートに興味を持って勉強しており、とにかく、アジアもアフリカも含めて、色々な分野の芸術の経験と知識が充満しており、この豊かな経験と知が、テイモアの類稀なる創造性と感受性豊かな心を触発し、このような斬新な演出を生み出しているのだと思っている。
   以前に、ユーディ・メニューインのヴァイオリンととラビー・シャンカールのシタールの素晴らしい合奏を聴いて感激したことがあるが、WEST MEETS EAST.正に、美の炸裂である。
   テイモアのオペラや映画や演劇を観て、子供も大人も多くの人が、感動を共有出来ると言う秘密は、彼女の奥行きの深い幅の広い知の集積から生み出された芸術の豊かさにあるのではなかろうか。

   ところで、テイモアは、テンペストやタイタス・アンドロニカスなどシェイクスピア映画も手がけているようで、今回、さわりだけ放映して見せてもらったが、役者のケネス・ブラナーとは違った味で、面白そうである。
   小澤征爾の松本キネンのストラビンスキーの「オイディプス王」の演出が彼女の作品だとは知らなかったので、確か、TVから録画した筈なので、探して観てみたいと思う。
   テイモアのスピーチや宮本亜門との対話等は、1時間15分くらいの短い時間ではあったが、非常に密度の高い知的な素晴らしい時間を提供してくれた。
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