熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

新日本フィル定期公演・・・シベリウスとマーラー

2008年03月20日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の定期公演は、アルミンクの指揮でシベリウス「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」とマーラー「交響曲第4番 ト短調」。
   御馴染みの曲だが、プレトークで、アルミンクは、第4番はマーラーの交響曲のうちでは非常に分かり易い曲だが、演奏は難しいのだと日本語で語っていた。

   とにかく、私にとっては、両曲とも比較的よく聞いている曲で、シベリウスについては、「フィンランディア」がフィンランドの第2の国歌だと言われるくらい愛され、上空を飛ぶロシア軍機を鉄砲で狙い撃ちしていたと言う逸話まである程の作曲家であるから、激しくて愛国心の強い硬骨漢だと言うイメージが強く、どこか北欧の暗くて陰鬱な響きを感じさせるこのパンチの利いた協奏曲は若い頃によく聞いていた。
   志鳥栄八郎氏の論評では、オイストラッフのレコードが一番良いと言うことだが、国民性と言うよりは、風土的な感性が強く現れた曲なのであろうか。
   今回のこの曲のソリストは、リトアニア生まれでオーストリアに移住したジュリアン・ラクリンだが、やはり、北欧オリジンで感性が近いのか、どこか哀調を帯びたメリハリの利いた少し重い感じのサウンドに感じ入った。

   マーラー人気は、私の記憶では、マーラーから直伝で教えを受けたブルーノ・ワルターが、レナード・バーンスタインに伝授し、そのバーンスタインが、ニューヨーク・フィルを振って一連のマーラーのレコードを出版してからのような気がしている。
   今回の第4番が一番短くて1時間足らずだが、とにかく、ブルックナーと同じで、長大な交響曲ばかりで、あの頃でもコンサートで演奏プログラムに載ることが殆どなかったように思う。
   オットー・ワーグナーやグスタフ・クリム等の活動に代表されるウィーン分離派芸術が一世を風靡していた頃で、マーラーの音楽にも、世紀末的な一寸退廃的なムードが濃厚で、このコワク的な音楽だが、一度引きこまれると逃げ出せないような魅力がある。

   私の今手元にある交響曲第4番のCDは、ベルナルド・ハイティンク指揮のベルリン・フィルの演奏で、私の好きなソプラノのシルビア・マックネールが第4楽章のソロを歌っている。
   私は、何度かロンドンでオペラやコンサートで彼女の歌声に接しているが、美しくて澄み切った声質と言い清楚な佇まいと言い、打って付けの歌手だと思っている。
   「子供の不思議な角笛」の歌詞である「天上の生活」を使っていて、ソプラノが、静かにWir genieszen die himmlischen Freuden と歌い出すと、純粋無垢でけがれのない子供の心を持った「大いなる喜びへの賛歌」の天国のように美しい歌声が展開される。
   モーツアルトとは一寸異質だが、この歌声を聴くと、フォーレのレクイエムのあの美しいサウンドを聴く時と同じ様な幸せな気持ちになる。

   今回のソプラノ独唱は、ロンドン生まれながら、マドリッドで声楽の大学教育を受け、ベルリンの大学院でユリア・ヴァラディ等から学び、21世紀に入ってキャリアを歩み出した、まだ新進気鋭のソプラノ歌手シルヴィア・シュワルツだが、既に、ミラノスカラ座やベルリン州立劇場でツェルリーナを歌うなど大器振りを見せているである。
   この日珍しく双眼鏡を持って行って居たので、つぶさに彼女が歌う表情などを見ていたが、中々の美人で、特に緊張する様子もなく非常に誠実に丁寧に歌っていた。   
   素晴らしい歌声を聴くことが出来て満足であった。
   上気したアルミンクの顔の表情が、会心のマーラー第4番であったことを示していた。
コメント
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