今月の歌舞伎の話題は、やはり、西の人間国宝坂田藤十郎と東の市川團十郎の共演する舞台であろう。
昼の部の「一谷嫩軍記」の「陣門・組打」で、團十郎の熊谷次郎直実、藤十郎の小次郎直家と敦盛の二役であり、夜の部の「京鹿子娘道成寺」で、藤十郎の白拍子花子、團十郎の大左馬五郎照剛の押戻しでの出演である。
「陣門・組打」の方は、平成7年12月に京都南座の舞台で、このキャストで共演しているが、両人の登場は非常に珍しく、それに、頂点に上り詰めた天下の名優の登場であるから、その意味では非常に貴重な舞台である。
熊谷が敦盛を討つと言うクライマックスの舞台だが、それと同時に、この組打が直実の仕掛けた替え玉作戦で、実際には、敦盛の身代わりに自分の息子小次郎の首を取るという極めて錯綜した舞台でもあり、直実役者の力量が問われる非常に難しい場でもある。
敦盛(実際は息子小次郎)を組み伏せてから、「敦盛一人討ったからと言って源氏の勝利は揺るがないので命を救おう」と実際の敦盛としての対話となるのだが、逡巡しているのを平山武者所季重(市蔵)に見咎められて、結局、意を決して断腸の思いで首を討つ。
このあたりの直実役者の苦渋の演技なのだが、幸四郎や吉右衛門のようなどこか精神性を帯びた心理描写の上手い役者と比べて、團十郎の場合には、朴訥と言うか無骨と言うか巧まないストレートな剛直な表現で、中々感動的であった。
一方、敦盛の藤十郎だが、悲しいかな喜寿である実際の藤十郎を知っているので、10代の水も滴る若武者だと思って観ろと言われてもこれは無理で、どうしても先入観が先に立って観てしまい、確かに、品といい格調といい、素晴らしい演技ではあったが、筋の流れを追うのではなくて、天下の名優坂田藤十郎の至芸を鑑賞させてもらったと言うのが正直な所である。
この舞台は、敦盛を登場させて京都の雅やかな文化の香りを感じさせて、実際の平家物語の平安貴族の生活を鏤めた軍記ものの流れを継承している。
敦盛の笛の音を小次郎に感じさせて感激させる冒頭の台詞など、正にそれだが、敦盛の軍馬や甲冑・刀・衣装などにも工夫が凝らされていて豪華だし、それに、張子の馬体を身体に付けた子役の敦盛と直実を、海中で一騎打ちさせる遠見の舞台など美しくて面白い。
このような華麗さの中に無常感を色濃く漂わせる雰囲気を持った舞台での藤十郎の醸しだす雰囲気は貴重で、やはり、若い役者では表現できない芸の品格と言うものであろうか。
白拍子花子は、これまで、菊五郎、勘三郎、玉三郎を観ているが、藤十郎は初めてだし、團十郎は勿論、押戻しを観るのも初めてだが、この舞台は、TVのニュースでも放映されていたが、中々素晴らしく絵になる舞台であった。
喜寿の藤十郎の何と瑞々しく美しく、そして、情念に燃えた鬼気迫る激しい花子の気迫、これは、もう舞踊と言う域を超越したシャーマンに近い世界である。
それに、團十郎の押戻しの豪快で大きな演技は、江戸の錦絵の世界の再現で、これぞ、正に歌舞伎、と言う舞台である。
もう40年ほど前になるが、一人で、汽車にゆられて日高の道成寺まで行ったことがある。
京都や奈良の目ぼしい古社寺は殆ど見てしまったので、他を見ようと思って出かけたのだが、安珍清姫の寺だと言うことを知っていたくらいだから、殆ど何も覚えていない。
和歌山は南国だから、女性も気が荒くて情熱的なのかと思ったが、かりそめに訪れた熊野詣の若僧に、一方的に恋を仕掛けて願いが叶わないから焼殺すと言う何とも凄まじい話が伝説に残っていて、これを近世になってから、能や浄瑠璃や歌舞伎の世界で表舞台に引き出したと言うのだから面白い。
日本の古事記や日本書紀、今昔物語など、色々と残っている、或いは、語り継がれてきている日本の昔からの物語や伝承には、どこか、大らかでおどろおどろしい、愉快で悲しい、何とも言えない人間的な魅力があって興味深い。
何れにしろ、藤十郎と團十郎の共演は、いわば、現在の歌舞伎の一つの頂点を示すもので、風格や芸の年輪と伝統の凄さでは、扇雀や海老蔵には、まだまだ及びもつかない境地であると思う。
しかし、藤十郎が去ってしまったら、関西歌舞伎の伝統は、誰が継承するのか。ここでも、江戸一極集中が進んでいる。
昼の部の「一谷嫩軍記」の「陣門・組打」で、團十郎の熊谷次郎直実、藤十郎の小次郎直家と敦盛の二役であり、夜の部の「京鹿子娘道成寺」で、藤十郎の白拍子花子、團十郎の大左馬五郎照剛の押戻しでの出演である。
「陣門・組打」の方は、平成7年12月に京都南座の舞台で、このキャストで共演しているが、両人の登場は非常に珍しく、それに、頂点に上り詰めた天下の名優の登場であるから、その意味では非常に貴重な舞台である。
熊谷が敦盛を討つと言うクライマックスの舞台だが、それと同時に、この組打が直実の仕掛けた替え玉作戦で、実際には、敦盛の身代わりに自分の息子小次郎の首を取るという極めて錯綜した舞台でもあり、直実役者の力量が問われる非常に難しい場でもある。
敦盛(実際は息子小次郎)を組み伏せてから、「敦盛一人討ったからと言って源氏の勝利は揺るがないので命を救おう」と実際の敦盛としての対話となるのだが、逡巡しているのを平山武者所季重(市蔵)に見咎められて、結局、意を決して断腸の思いで首を討つ。
このあたりの直実役者の苦渋の演技なのだが、幸四郎や吉右衛門のようなどこか精神性を帯びた心理描写の上手い役者と比べて、團十郎の場合には、朴訥と言うか無骨と言うか巧まないストレートな剛直な表現で、中々感動的であった。
一方、敦盛の藤十郎だが、悲しいかな喜寿である実際の藤十郎を知っているので、10代の水も滴る若武者だと思って観ろと言われてもこれは無理で、どうしても先入観が先に立って観てしまい、確かに、品といい格調といい、素晴らしい演技ではあったが、筋の流れを追うのではなくて、天下の名優坂田藤十郎の至芸を鑑賞させてもらったと言うのが正直な所である。
この舞台は、敦盛を登場させて京都の雅やかな文化の香りを感じさせて、実際の平家物語の平安貴族の生活を鏤めた軍記ものの流れを継承している。
敦盛の笛の音を小次郎に感じさせて感激させる冒頭の台詞など、正にそれだが、敦盛の軍馬や甲冑・刀・衣装などにも工夫が凝らされていて豪華だし、それに、張子の馬体を身体に付けた子役の敦盛と直実を、海中で一騎打ちさせる遠見の舞台など美しくて面白い。
このような華麗さの中に無常感を色濃く漂わせる雰囲気を持った舞台での藤十郎の醸しだす雰囲気は貴重で、やはり、若い役者では表現できない芸の品格と言うものであろうか。
白拍子花子は、これまで、菊五郎、勘三郎、玉三郎を観ているが、藤十郎は初めてだし、團十郎は勿論、押戻しを観るのも初めてだが、この舞台は、TVのニュースでも放映されていたが、中々素晴らしく絵になる舞台であった。
喜寿の藤十郎の何と瑞々しく美しく、そして、情念に燃えた鬼気迫る激しい花子の気迫、これは、もう舞踊と言う域を超越したシャーマンに近い世界である。
それに、團十郎の押戻しの豪快で大きな演技は、江戸の錦絵の世界の再現で、これぞ、正に歌舞伎、と言う舞台である。
もう40年ほど前になるが、一人で、汽車にゆられて日高の道成寺まで行ったことがある。
京都や奈良の目ぼしい古社寺は殆ど見てしまったので、他を見ようと思って出かけたのだが、安珍清姫の寺だと言うことを知っていたくらいだから、殆ど何も覚えていない。
和歌山は南国だから、女性も気が荒くて情熱的なのかと思ったが、かりそめに訪れた熊野詣の若僧に、一方的に恋を仕掛けて願いが叶わないから焼殺すと言う何とも凄まじい話が伝説に残っていて、これを近世になってから、能や浄瑠璃や歌舞伎の世界で表舞台に引き出したと言うのだから面白い。
日本の古事記や日本書紀、今昔物語など、色々と残っている、或いは、語り継がれてきている日本の昔からの物語や伝承には、どこか、大らかでおどろおどろしい、愉快で悲しい、何とも言えない人間的な魅力があって興味深い。
何れにしろ、藤十郎と團十郎の共演は、いわば、現在の歌舞伎の一つの頂点を示すもので、風格や芸の年輪と伝統の凄さでは、扇雀や海老蔵には、まだまだ及びもつかない境地であると思う。
しかし、藤十郎が去ってしまったら、関西歌舞伎の伝統は、誰が継承するのか。ここでも、江戸一極集中が進んでいる。