一昨日のブログで触れたエーベンシュタインの本には、知らなかった逸話が色々書かれていて、信じられないような話だが、フリードマンは、応用数学者として「マンハッタン計画」に参画して、原爆の起爆装置の設計に関与したのみならず、日本軍の爆撃機の撃退のための対空砲の起爆装置の設計にも関わっていたと言う。
言うならば、広島や長崎の原爆投下に、フリードマンは、いささかなりとも貢献したと言うのである。
さて、リバタリアリズム・市場経済・資本主義の信奉者であったフリードマンは、麻薬を合法化すべしだとか貧困者・失業者・高齢者・病人・障害者の生活を政府が支援すべきではないとか一般通念とは違った理論も結構展開しているが、私が興味を持ったのは、教育バウチャー制度である。
この制度は、学校の授業料支払いに使える利用券(バウチャー)を支給し、保護者や生徒が自分の選んだ学校に利用券を渡して事業を受ける仕組みである。
従って、バウチャーさえ渡せば、小中学生なら、学区制など関係なく、何処の学校にでも行けるのである。
何でも政府の支援や保護に反対するフリードマンが、政府の教育への関与を認める根拠は2点あり、一つは、外部効果で、教育のコストを上回る社会的な利益、すなわち、総ての子供に教育を受けさせる社会的利益、が期待できること、もう一つは、貧しくて子供を教育できない人々への温情的な配慮だと言う。
この教育バウチャー制度は、特に下層階級の子供には大きなメリットになり、多様性・選択・競争を通じて子供に多くのチャンスを与えることが出来、既存の公立校も含めてすべての学校の質が高まる。しかし、この制度に一番反対しているのは、教職員組合など学校官憲者と言っている。
一方、フリードマンは、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に反対している。
これは、例えば、大学などの入学にマイノリティの学生に枠が与えられているが、本人の能力が環境に釣り合わない場合、優秀な私大に入っても落第する可能性が高く、個人の能力ではなく人種や階層で人を判断する風潮に繋がってダメだと言う。
義務教育と高等教育は違うということであろうが、フリードマンの意思は、とにかく、教育の質の向上を図り全生徒に義務教育を受ける機会を同時に与えて、学校制度とその選択を自由に任せろと言うことであろう。
この制度は、私立校への入学を容易にしてアメリカの公立校の質の向上を目指すことを意図したシステムでもあるようだが、
果たして、この制度を日本に導入すれば、どう言う事になるのか。
まず、授業料の問題だけでもないので資力にもよるが、出来るだけ評判の良い学校に生徒が集中するであろうが、その場合にどう対処するのか、少なくとも短期的には、大変な混乱を来たして収拾がつかなくなる可能性が高いと思われる。
結局、日本の場合には、選抜のために何らかの試験を行うこととなり、別な教育問題を引き起こすことになるかもしれない。
入試を行うのなら、今の大学の制度と同じで、義務教育課程の学校を全国区にするだけの話で、これは、今でも、私立学校で行われている制度と同じになる。
それに、日本の場合は、アメリカと違って、かなり、公立校の水準や質が高いので、日比谷高校復活程度の対策を取れば良いような気がしている。
フリードマンは、麻薬をオランダのように合法化すれば、麻薬対策への社会的コストが削減出来て、また、麻薬患者もその方が減少すると言っているが、教育バウチャー制度を導入すれば、神の手の導きによって、自然と、競争原理が働いて学校制度も質の向上を図りながら均衡するということを考えていたのであろうか。
自由主義の権化とも言うべきフリードマンが、晩年最も力を入れたのが、この教育バウチャー制度だと言うのが面白い。
言うならば、広島や長崎の原爆投下に、フリードマンは、いささかなりとも貢献したと言うのである。
さて、リバタリアリズム・市場経済・資本主義の信奉者であったフリードマンは、麻薬を合法化すべしだとか貧困者・失業者・高齢者・病人・障害者の生活を政府が支援すべきではないとか一般通念とは違った理論も結構展開しているが、私が興味を持ったのは、教育バウチャー制度である。
この制度は、学校の授業料支払いに使える利用券(バウチャー)を支給し、保護者や生徒が自分の選んだ学校に利用券を渡して事業を受ける仕組みである。
従って、バウチャーさえ渡せば、小中学生なら、学区制など関係なく、何処の学校にでも行けるのである。
何でも政府の支援や保護に反対するフリードマンが、政府の教育への関与を認める根拠は2点あり、一つは、外部効果で、教育のコストを上回る社会的な利益、すなわち、総ての子供に教育を受けさせる社会的利益、が期待できること、もう一つは、貧しくて子供を教育できない人々への温情的な配慮だと言う。
この教育バウチャー制度は、特に下層階級の子供には大きなメリットになり、多様性・選択・競争を通じて子供に多くのチャンスを与えることが出来、既存の公立校も含めてすべての学校の質が高まる。しかし、この制度に一番反対しているのは、教職員組合など学校官憲者と言っている。
一方、フリードマンは、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に反対している。
これは、例えば、大学などの入学にマイノリティの学生に枠が与えられているが、本人の能力が環境に釣り合わない場合、優秀な私大に入っても落第する可能性が高く、個人の能力ではなく人種や階層で人を判断する風潮に繋がってダメだと言う。
義務教育と高等教育は違うということであろうが、フリードマンの意思は、とにかく、教育の質の向上を図り全生徒に義務教育を受ける機会を同時に与えて、学校制度とその選択を自由に任せろと言うことであろう。
この制度は、私立校への入学を容易にしてアメリカの公立校の質の向上を目指すことを意図したシステムでもあるようだが、
果たして、この制度を日本に導入すれば、どう言う事になるのか。
まず、授業料の問題だけでもないので資力にもよるが、出来るだけ評判の良い学校に生徒が集中するであろうが、その場合にどう対処するのか、少なくとも短期的には、大変な混乱を来たして収拾がつかなくなる可能性が高いと思われる。
結局、日本の場合には、選抜のために何らかの試験を行うこととなり、別な教育問題を引き起こすことになるかもしれない。
入試を行うのなら、今の大学の制度と同じで、義務教育課程の学校を全国区にするだけの話で、これは、今でも、私立学校で行われている制度と同じになる。
それに、日本の場合は、アメリカと違って、かなり、公立校の水準や質が高いので、日比谷高校復活程度の対策を取れば良いような気がしている。
フリードマンは、麻薬をオランダのように合法化すれば、麻薬対策への社会的コストが削減出来て、また、麻薬患者もその方が減少すると言っているが、教育バウチャー制度を導入すれば、神の手の導きによって、自然と、競争原理が働いて学校制度も質の向上を図りながら均衡するということを考えていたのであろうか。
自由主義の権化とも言うべきフリードマンが、晩年最も力を入れたのが、この教育バウチャー制度だと言うのが面白い。