熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

劇団民藝「浅草物語」・・・東京芸術劇場

2008年03月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   トニー・ブレア前英国首相や石原慎太郎知事が登場する「地球温暖化防止、世界と日本」シンポジウムと「浅草物語」のダブルブッキングをしてしまい、どちらにしようと迷ったが、結局、時間の早い方の劇団民藝の「浅草物語」に出かけて、そのまま、最後まで観てしまった。
   本当は、シンポジウムに出て、芝居は日を改めるのが正解だった筈なのだが、聞く内容は大体分かっていると言う気持ちもあったし、池袋の芸術劇場から、日比谷の東京フォーラムまでの移動も億劫でもあった。

   これまで、芝居は、蜷川幸雄の舞台が主で、それに、仲代達矢の無名塾や栗原小巻の俳優座が複数回で、他には、雑多なものを色々見てきたと言った程度で、結局あまり見ておらず、民藝の舞台は今回が初めてであった。
   大滝秀治と奈良岡朋子は、映画とテレビでしか見ていないが、素晴らしい役者であることは承知しているし、日色ともゑは、大草原の小さな家のお母さん役の声優だしTVなどで見る印象は非常に優しく女らしいチャーミングな女優と言う感じで、是非舞台で見てみたいと思っていた。
   ベテランのお二人は、もう80歳に手が届く年齢だが、実に若々しくて元気溌剌とした舞台で、大滝のとぼけた実に味のある演技にも、奈良岡の気風が良くて色香の衰えないカフェのマダムの妖艶さにも圧倒されて観ていた。
   日色は、印象どおりだったが、もう既に還暦を過ぎたベテラン女優で、甲斐甲斐しくて優しいいいお母さんになっていたが、さすがに、東京女で、ぽんと突っぱねる威勢の良さを見せてもらって新鮮な印象が加わった。
   
   小幡欣治作、高橋清祐演出のこの芝居は、赤紙の召集で戦地に赴く話が出てくる頃の戦中の浅草の下町の蒲団屋やカフェなどが舞台になっていて、悲喜こもごもの庶民の人情劇が展開されていて昔懐かしい郷愁を誘う。
   還暦を過ぎて隠居した酒店の大旦那鈴木市之進(大滝秀治)が、20歳も年下のカフェのマダム鏑木りん(奈良岡朋子)に恋をして、それに絡む人々を巻き込みながら繰り広げられる笑いと涙の物語であるが、
   市之進が、発奮して一代で財を成すが実は宿場女郎の息子であったことが明かされ、吉原の花魁上がりのおりんが、無理やり里子に出されて関係を絶たれて、一切拒絶して会わなかったわが子の、出征前の仮祝言に出席する為に新潟へいそいそと出発して行くところで終わる。新潟出発前の朝、市之進が、見送りに来て一緒に暮らして欲しい言った言葉にまんざらでもないりんの清々しい姿が、この口絵の写真である。
   大滝と奈良岡の、60年の風雪に耐えて磨きぬかれた、実に息と波長の合った軽妙かつ絶妙な演技が素晴らしい。
   それに、しっかり喰らいついて必死になって追っかけている日色ともゑの娘でありお母さんである大浦くみが光っている。

   冒頭は、1男4女の子供たちが、世話をしなくても良いのは好都合なので賛成だと言いながら、父の恋の相手が、吉原の女郎であったことを知って世間体が悪いと言って反対するが、優しい長女の大浦くみ(日色ともゑ)が引取り一緒に住む。
   りんのカフェの家主が市之進であることを知って、財産相続を子供たちが画策に来るなど、お決まりの家族騒動が展開されるが、未成年の孫に頼まれて、母をまいて吉原へ案内しようとして見つかる市之進の間抜けな行状など、しんみりした家族の交感などもあり下町の温もりのある生活がユーモアたっぷりで面白い。

   りんの方は、カフェで繰り広げられる人間模様が非常に面白い。
   家出娘を助けた筈が裏切られて、売春疑惑で事情聴取の為に警察へ連れて行かれ、自分の過去の人生を暴き出されて、自棄酒をしこたま飲んでカフェに帰って来て、くだを巻いて暴れている所に、捨てた息子が出征前に一目会いたいと新潟から出て来る。
   会うと言いながら、何を思ったのかドアにカギをかけ店を真っ暗にしてうずくまったまま、ドア越しの息子のナレーションだけで、追い返してしまう。
   諦めて行ってしまった息子の後姿を追うりんの悄然とした姿が哀れである。
   杉村春子に一寸イメージの重なる奈良岡を見ていたが、芸の素晴らしさは勿論だが、あの若々しくて匂うような色香は何処から出て来るのであろうか。
   歳を取るに連れて益々品や風格が出てきて美しく魅力的になって来る女優は稀有ではないかと思う。
   NHKの大河ドラマ「篤姫」のあのナレーションの素晴らしさは群を抜いて感動的である。

   ところが、この劇だが、宿場女郎の息子や元女郎のカフェのマダムと言った悲惨な運命を背負った人々の人生をテーマにしながら、決して、暗くて行き場のない舞台ではなくほのぼのとした温かい余韻を残すのは、小幡欣治さんの人間性の温かさだと思っている。
   戦中を舞台にしながら、赤紙が来て出征すると言う話や、兄が戦死したので家業を継ぐ為に芝居をやめて九州に帰ると言った話は出てくるが、戦争の悲惨さを殆ど感じさせないのもその所為かもしれないが、健気に必死になって生きようとする人々の姿を描くことによって、運命の過酷さ悲惨さを浮き彫りにしているような気がする。
コメント
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