熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

竹中工務店、法隆寺境内に建設残材を不法投棄

2008年03月29日 | 地球温暖化・環境問題
   ヤフーのニュースに、「世界遺産・法隆寺所有地に不法投棄、竹中工務店を指導」と言う産経新聞の記事が出ていた。
   グーグルで検索すると、毎日新聞の記事も出ていたので概説すると、
   「法隆寺の境内の土塀立替工事と子院・宗源寺の増築工事を受注した竹中工務店が、昨年8月から、工事中に出た残材等を、境内北側の雑木林内に不法投棄した。
   コンクリート片などが、長さ20メートル、幅10メートル、高さ7メートルにわたって山積みされていて、これと並んで建築廃材なども長さ30メートル、幅20メートル、高さ7メートルにわたって投棄されている。
   いずれも表面は、植物の剪定くずで覆われている。」
   この記事には、汚い廃材や残材が散在した吐き気を催すような写真が4枚添付されていた。

   これに対して、竹中工務店は、産経と毎日のニュアンスに差はあるが、
   「寺の工事の場合、瓦など再利用できるものは現場に残すことがあるが、基本的には廃棄するもので、これだけ長期間置いておいたことは処理の判断に誤りがあったと言わざるを得ない。奈良県の指導に従い、速やかに処理計画書を提出した後、撤去作業に入りたい。」と話したと言う。
   法隆寺の古谷正覚執事長も、このような事態になって遺憾だと言っているから知らなかったのであろうが、恐らく現場の一存で処理したのであろうが、あまりにも不見識極まりない暴挙といい、植物剪定くずで覆い隠しておいて処理の判断に誤りがあったと言う寝とぼけた本社の回答といい、程度の低さに呆れざるを得ない。
   竹中工務店といえば、江戸初期1610年に、神社仏閣の造営を業として尾張名古屋で産声を上げた創業400年の日本屈指のエクセレント・コンストラクション・カンパニーである。

   竹中工務店のホーム・ページを開いたら、トップの新着情報で、
   2008年3月28日 コンプライアンス及びつくり込みの強化に向けた体制の構築
   と言う記事が出ている。
   当然、法隆寺事件が引き金を引いたのであろうが、
   ~監理室機能の拡充をはじめとする、機構改革(4月1日付)を実施~と言うことで、本社監理室に「コンプライアンス部」を新設して、従来の業務監査機能に加えて、全社コンプライアンス対応の主管部門として、全社一元的な情報集約、全社的なコンプライアンス意識の向上のための各施策を推進し、更に、「業務監査部」は、関連法規、社内ルールの遵守の監査を行うとしている。
   コンプライアンスとトップには書いているが、従来の監査業務への付けたしであり、この機構改革の主眼は、むしろ、品質つくり込みの方の品質管理にあるような感じがする。

   不思議で解せないのは、竹中工務店の組織図を見ても、法化社会であり、あれほど、談合や政官との癒着や手抜き偽装工事事件など遵法・遵法と法務問題で世間を騒がせ、たたけば埃の出る業界でありながら、法務問題を担当する部署が見当たらず、今に至って、コンプライアンス担当部門を設けようとする遵法精神軽視の時代錯誤振りである。
   談合事件では、表立って竹中工務店の名前が表面には出なかったが、体質は似たり寄ったりであることは衆知の事実であるし、まして、世界遺産としても日本屈指の文化遺産である法隆寺の敷地(遺産指定の場所ではないらしいが)に建設廃材や残材を不法投棄して植物剪定くずで覆い隠しておきながら、仮置きで処理の判断に間違いがあったと言うようなお粗末な建設会社は、まず、あり得ない筈で、
   氷山の一角と言う次元の問題ではなく、全社的に、コンプライアンスと言う意識が完全に欠如しているのではなかろうか。

   コンプライアンスは、今回の内部統制制度と表裏一体の関係にあり、今ごろ、コンプライアンス部を新設して、コンプライアンスの全社一元的な情報集約や意識向上のための各(?)施策を推進しなければならないとすれば、根本的にコーポレート・ガバナンスが問われるべきであろう。
   尤も、社外取締役が一人も居ず、社外監査役にしても関係する公認会計士や顧問弁護士などで固めている会社法違反気味の会社もあるようだが、株主総会前でもあり、本当にコンプライアンスを厳守する意思があるのかどうか、不祥事の多いゼネコンのコーポレート・ガバナンスの真贋を追求するのも面白いかも知れない。
   
   竹中工務店は、非上場の会社で、社員など会社関係者で株式を所有していると聞くが、非上場故に、世間や外部の監視の目が届かず、コーポレート・ガバナンスなりコンプライアンスなり、公開性や説明責任に透明性を欠き、社会の公器としての監理監督に曝されないことによる弊害がないと言えるであろうか。
   最近、ハゲタカファンドなどからのM&Aを回避する為に、全株買い取って非上場にする会社が出てきているが、果たして、社会正義と言う極めて厳しいカウンターベイリング・パワーを欠く非上場の企業にとって、そのことが幸せなことなのかどうか。
   資本主義の会社制度は、株式市場の公開性を原則として成立しており、不特定多数の投資家や株主に広く開かれていることが前提で、まして、大企業として公共性を持つ企業については、アメリカ型の株主至上主義ではなく日本的ないし欧州的な総てのステイクホールダーを大切だと考えるシステムにおいては、特に、そうあるべきであって、特に非上場の超大企業については上場企業並みに十分コントロールできるようにすべきで、会社法もこのあたりを十分に考慮すべきであると思う。
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする