熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

天璋院篤姫展・・・江戸東京博物館

2008年03月14日 | 展覧会・展示会
   NHKの大河ドラマに因んで、両国の江戸東京博物館で、「天璋院篤姫展」が開催されている。
   展示は、故郷の薩摩、御台所への道のり、婚礼、将軍家定、大奥、幕府瓦解と徳川家存続、明治時代と言った調子で、篤姫の生涯を追って縁の品や歴史的な文物や遺品、手紙等の資料など豊富な品々が展示されていて、中々、興味深くて面白い。
   お客さんも老若男女、満遍なく多方面に亘っていて、テレビドラマの人気が偲ばれる。

   どうしても、篤姫の功績を前面に押し出した展示となり、主題は、風雲急を告げる幕末における篤姫の隠然たる政治向きの活躍が脚光を浴びる形となる。
   その頂点は、慶喜によって大政奉還された後の徳川家の成り行きで、官軍の隊長に宛てて徳川家存続を訴えた嘆願書で、結局、これによって、徳川家の存続が認められることになった。もっとも、これには、朝廷に嘆願書を書いた和宮の貢献も大きいのだが、
   言い換えれば、徳川幕府や幕臣たちは機能不全に陥っていたと言う事で、事実は多少異なるとしても、今の福田内閣の政局と同じで、危機的な一番大切な時に、統治能力が欠如していて何も有効な働きが出来なかったと言うことであろうか。

   篤姫たちの手紙が多数展示されていて、斉彬の養女では正室になれないと言った心配、子供が生まれない苦悩、西欧列強の開国要求に苦悩する将軍達の様子、etc.生々しい裏話が開陳されていて、これらの文書を読むだけでも興味が尽きない。
   ペリーの時の「蒸気船がたった四杯で夜も寝なれず」ではなく、欧米列強が5~60隻と言う大艦隊で押し寄せて来ていたようで、徳川幕府や大名たちの狼狽振りが良く分かる。

   斉彬たちの英明ぶりは、やはり、辺境の大名であった地の利を得て、琉球などとの密貿易やシナ等との交易で外界と接触していたことで、
   特に、アヘン戦争で清国がイギリスなどのヨーロッパ列強によって蹂躙されていたことを知り、その恐怖を真近に見ており、それに、長崎との接触やジョン万次郎からの情報など、インテリジェンスに優れていた所為であろう。
   このあたりは、良し悪しは別次元だが、国粋主義の徹底していた斉昭などの水戸との差は大きい。
   太平洋航路が開発される以前で、外国からの接触は、総て日本の西側からであったから、明治政府が、薩摩や土佐、長州勢の活躍で成立したのも当然であった。

   私自身は、徳川時代の平和と安定が日本の近代史において極めて重要な位置を占めていることを認めているが、世界に向かって雄飛しようと画策していた織田信長の天下が続いておれば、どれほど、日本がアジアを巻き込んで世界史を変えていたか知れないと思っている。
   事実、19世紀の半ば頃までは、中国とインドのGNPは、欧米より遥かに巨大で文化文明のみならず、経済的にも世界を押さえていたのである。
   そんなことどもを考えながら、篤姫展を見ていたが、結構楽しい時間を過ごすことが出来た。

   江戸東京博物館では、常設展示館で、同時に、「家康・吉宗・家達~転換期の徳川家」展を開催しており、また、前世紀半ば以前の懐かしい東京を版画にした「為替巴水展」も併設されているので、春の芸術鑑賞には丁度好都合である。

   
   
   
コメント
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