熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

山田洋次監督作品「母べえ」

2008年03月05日 | 映画
   戦争映画を見ると何時も思う、幸福な時代に生きていて本当に幸せだと。
   私など、好きなことをやって、自由勝手に言いたい放題を言って生きてきたようなものなので、特にそう思う。
   この山田洋次監督の映画は、一連の時代劇ではなく、時代が少しづつ怪しくなってきた太平洋戦争勃発直前に、東大出の独文学者野上滋・父べえ(三津五郎)が思想犯として特高に逮捕されそのまま獄中で亡くなってしまうのだが、残された妻佳代・母べえ(吉永小百合)と二人の娘が善意の人々に助けられながら、暗黒時代の戦時下日本を、必死になって生きて行く姿を描きながら、戦争の悲惨さを告発している。

   原作者野上照代さんが優しいのか、或いは、山田洋次監督の目線がヒューマニズムなのか、極めて暗くて逃げ場のないテーマを追いかけながらも、特高警察は別にして悪人なしの善人ばかりの登場で、極端な戦争映画の悲惨さを感じさせないのが良く、ちゃぶ台を囲んだ茶の間の温もりの中で、健気に寄り添いながら生きていく庶民の姿が実に良く描かれていて胸を打つ。
   あの当時の日本は、ハリケーン・カタリーナ級の大暴風雨が吹き荒れた歴史上一瞬の出来事だったのかも知れないが、多くの善良で前途有為な人材を根こそぎ吹き飛ばしてしまった実に悲しい時代であったことを、この映画は、数々の逸話を展開しながら我々に突きつけている。

   民主党大統領選で戦っているバラク・オバマの「合衆国再生」を読んでいてもフェアで民主主義の旗頭である筈のアメリカでも、選挙戦は、何でもありの酷い戦いのようで、決して綺麗な世界ではなさそうだし、日本の民主主義にも色々あるようだが、
   少なくとも、極端な思想に走っても公序良俗に反しない限り、思想犯として国家反逆罪に問われて獄死させられることはない。信教と思想の自由、言論の自由は認められているのである。

   学問一筋で、謹厳実直で不器用な愛すべきドイツ文学者を三津五郎が好演しており、さすがに、山田監督が「武士の一分」で感服したように芸の冴は素晴らしく格調の高い学者像が、一層戦争の無意味さ悲惨さを浮き彫りにしている。
   最後にナレーションで流れる三津五郎の獄中から手紙の語りが実に良い。
   同じ様に、ラストの臨終の床で母べえの吉永小百合が、次女に、もうすぐ父べえに会えるよと言われて、声にならない声で「嫌だ。生きている父べえに会いたい。」と次女に語らせる所など肺腑をえぐるほどの感動であった。
   エンデイングの字幕画面に重なって、冨田勲の音楽で歌うソプラノの佐藤しのぶの歌声が効果抜群である。

   吉永小百合の母べえは、日本の母の永遠の理想像を、自己の芸歴を総て凝集して描き切った改心の作ではなかったであろうか。
   実父・藤岡久太郎(中村梅之助)に逆らって毅然たる態度で夫を擁護して幸せだと言い切って席を立つ姿、夫父べえへの絶対の信頼と愛、娘達への深い愛情といたわり、周りの人々への思いやりとふれあい、吉永小百合が本来の持っている強さと優しさに加えて、考え抜かれてそれを超越した滲む出るような人間味、表情一つ一つを追いながら感動して見ていた。
   やはり、実に頭の良い心の充実した日本屈指の大女優である。

   その吉永小百合にピッタリくっ付いて素晴らしい演技を見せてくれた長女初子の志田未来と、次女照子の佐藤未来の姿は目に焼きついて離れない。

   異彩を放っていたのは、父べえの弟子で、陰となり日向となり野上母子を助ける書生の山崎徹・山ちゃんの藤岡久太郎で、丁度無法松のように恩師の妻母べえを密かに恋して尽くす折り目正しい若者を、殆ど経験から超えた年代の役者だと思うのだが、最初から最後まで実に実直に押し通し正にイメージに違わぬ好演であった。
   父べえの妹で野上久子・ちゃこちゃんの壇れいは、「武士の一分」に続いての登場で、映画に出てくる子供がポカンと見とれるほどの綺麗な人で、野上家の家族と全く同じ役どころ。
   月夜の晩、山ちゃんを見送りに行く途中、母べえの言葉に託してそれとなく男の存在の大きさを匂わせて恋心を語るところなど秀逸で、こんな純な時代があったのだと思って感に耐えなかった。美しいシーンである。
   暗い画面で、一人輝いているのが彼女で、大女優への予感十分である。

   地方の警察署長の梅之助の父親役は、重厚な演技で実に味を出していて母べえを引き立てていたし、大滝秀治の老街医者のユーモアたっぷりの枯れた演技も素晴らしかった。
   山田組の助演陣の達者ぶりは素晴らしく、笹野高史、でんでん、左時江達も好演。
   特筆すべきは、母べえの奈良の叔父・藤岡仙吉役の笑福亭鶴瓶で、俗な田舎モノの関西人丸出しの傍若無人な役どころで、長女には嫌われる居候だが、母べえが唯一心を許して付き合える心の支え、一幅の清涼剤とも言うべき地で行った様な演技が素晴らしい。

   この映画、あの悪夢のような戦争の動乱に翻弄されて健気に生き抜く母べえや子供たちの姿を描いただけではない。
   ほんの何十年か前、我々の記憶に生々しい時代において、賢い筈の我々が、如何に筆舌に尽くし難い愚行を働いて自分たちの生活を、そして文化文明を危機に陥れたかを激しく告発し糾弾する映画なのである。

   私は、戦後の混乱時代をかすかにしか覚えていないが、何時もながらの精緻を極めた舞台設定や時代考証の正確さ、登場人物たちのタイムスリップ振り、風の囁きさえも感じさせるような雰囲気を醸しだすカメラワーク等など山田映画でしか味わえない感動も特筆すべきであろう。
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