熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

市川右近の「ヤマトタケル」

2008年03月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに楽しい舞台を観た。
   猿之助のスーパー歌舞伎のはしりだとかで、私はロンドンに居たのでニュースでしか知らなかったが、スコットランドの保険会社の重役夫人が、ロイヤル・オペラで、「ドン・ジョバンニ」の観劇中に、ファンだったと言って猿之助の「ヤマトタケル」の話をしきりにしていたので、そんなに騒ぐほどの歌舞伎かと思って興味深く聞いていた。
   話が分かっているのかと聞くわけにもいかなかったのだが、今回初めて「ヤマトタケル」の公演を見て、これだけのサービス満点でスケールが大きくて楽しませてくれる舞台も少なく、成る程、シェイクスピアの舞台になれているイギリス人には当然だと思った。

   小碓命(右近)が兄の大碓命(右近二役)と喧嘩して殺害するのだが、この冒頭の場面から、舞台で「早替り」を演じ、幕切れ近くでは昇天したヤマトタケル(右近)が真っ白な大きな鳥となって「宙乗り」して3階席に消えて行くなど、見せ場があり、
   それに、上手く設営されて瞬時にダイナミックに転換する舞台では、豪華で派手な極彩色の美しい衣装を着た役者たちが、ドラマチックな音楽に乗って、舞台狭しと乱舞したり派手な立ち回りを演じるなど、とにかく、グランド・スペクタクルな舞台を見ているだけでも楽しいのである。
   熊襲の陣営の愉快な舞台設定、蝦夷征伐での富士の裾野での焼き討ちの舞台、大海原で大嵐に翻弄され弟橘姫(春猿)を生贄に奉げる船上の場、等々ダイナミック舞台展開は秀逸である。
   スーパーと言うのは、great、すなわち、素晴らしいという意味なのだが、歌舞伎本来を超越したほど素晴らしい歌舞伎と言うことなのだろうが、現代風スペクタクル歌舞伎と言うところであろうか。

   この「ヤマトタケル」は、梅原猛の原作を猿之助が脚本に起こしたと言うことだが、勿論、古事記と日本書紀の伝説を底本にしているので、殆ど、私たちの理解に近く、比較的忠実にトレースしている。
   兄殺しを責められた小碓命が、父帝(猿弥)に命令されて、西征の為に踊り子に化けて熊襲を急襲して倒し、熊襲から「ヤマトタケル」の名を貰い、更に命を受けて東に向かって蝦夷を平定する。
   最後に、息吹山で山神を倒すのだが、草薙剣を妻の元に忘れて来たので相打ちとなり病を得て大和への帰途中で亡くなってしまうと言う謂わば英雄の活劇譚なのだが、伏流には父帝に疎んじられる皇子の苦悩があり、これに、恋と部下達との葛藤などが絡んで、結構話題性は豊かである。
   蝦夷征伐の時に、父帝が、タケヒコ(段治郎)を部下につけるのだが、(日本書紀では、吉備や大伴部が供をすることになっているが、)後半、このタケヒコが、忠臣として重要な役割を果たすこととなり、確かに、この役を交互に務める右近と段治郎のダブルキャストである意味合いは良く分かる。
   段治郎の颯爽としたタケヒコの素晴らしい演技があってこそ、右近のヤマトタケルが光っていたと言っても過言ではなかろう。

   面白いのは、平和に暮らしているのに、鉄と米の文化を持った大和の人間が、我々の生活を脅かしていると蝦夷に語らせていることで、確かに、青銅ではなく、大陸から伝わった鉄器の使用によって生産力が向上して国力が増し、稲作によって農耕民として定着した大和文化が、日本の統一に大きく貢献した。
   それに、もっと興味深いのは、熊襲や蝦夷を蛮族や遅れた野蛮族として扱わずに、この舞台では、大和と同等の民族として遇していることで、征西・東征が、権力闘争としての意味あいが強かった言うことであった。
   最近、TV映画として製作された聖徳太子や卑弥呼の扱いなども、現代の人間のようなキャラクターとして描かれたりしているが、実際には、価値観などどうであったのだろうと考えて見ると面白い。

   猿之助の舞台は知らないが、この「ヤマトタケル」の舞台は、右近あっての舞台で、一寸気負いすぎの感じはするが、若い英雄としての成長を蛹から蝶への変態をビルトインしながら清々しく演じていて爽快である。
   それに、これまで、りゅうとぴあの舞台で右近のシェイクスピア劇を観ているが、やはり、本格的な発声法が身についているのか、台詞回しと言い、内面の表現の豊かさと言い、歌舞伎役者としては珍しく、舞台芸術の役者としての成長が伺われて将来が楽しみである。

   猿弥の帝等の重厚さ、門之助の皇后等の冴えた性格俳優ぶり、弘太郎の溌剌としたヘタルベ、寿猿の老大臣と尾張の国造の妻の何とも言えないほのぼのとした味、など忘れ難い。
   女形としては、笑三郎の倭姫の格調と品が出色で、春猿の弟橘姫は艶やかで美しく、勿論、兄橘姫とみやず姫を演じた笑也の芸の確かさと存在感は抜群だが願わくばもう少し新鮮さが欲しかった。
   とにかく、猿之助一門の創り出す舞台の楽しさは抜群で、さすがにみんな芸達者で素晴らしい劇団であることを証明している。
   

   
コメント
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