27日、チベット自治区ラサで、騒乱後初めて外国記者団に解放されたラサ市のジョカン寺で、14日の暴動を説明中の中国人引率者を無視して、外出を禁止されていた30人ほどの僧侶が逮捕覚悟で飛び出してきて、「自由が欲しい。」と直訴した。
「チベットには自由がない。ラサの騒乱には、ダライ・ラマは、無関係だ。」と叫んだ若い僧は、こう叫ぶと泣き出した。
「ウソだ、みんなウソだ。」一人の僧侶が記者らに近づき叫んだ。「何がウソなんだ。」と聞くと「みんなだ。政府の言っていることだ。」と声を震わせて訴える。
最初はチベット語でしゃべりだしたが、北京語に変えたので記者たちにも理解できたが、中国人の引率者が強引に記者団をそこから立ち退かせ僧侶達を排除しようとしたが、15分続いた。
千載一遇のチャンスと待機していた僧侶達が、厳罰と逮捕を決死の覚悟で記者団に中国の弾圧政治の真実を直訴したのである。
若い子供のような僧侶たちの悲しくも必死の形相が電波で世界中に放映され、中国政府が完全に仕組んだつもりのガイデッド・ツアーが、最初から頓挫してしまった瞬間である。
取材を許されて記者団に加わったAP通信、ウォール・ストリート・ジャーナル、USAトゥディ、ファイナンシャル・タイムズ、共同通信の電子版を見ると、こんな書き出しで、生々しく、中国の二枚舌外交とチベット弾圧の凄まじさを報じている。
少し落ち着いたラサを、限られた外国メディアに見せて、国際世論の批判をかわそうとした中国政府の思惑が裏目に出て、中国政府が北京オリンピックを前に、如何に非道な弾圧を行ったかを浮き彫りにして、広く世界中に知らしめたのである。
ダライ・ラマは、外国記者団のラサ入りが第一歩であり、完全に自由に取材が出来て真実が明らかになることを願うと語った。
痺れを切らしたブッシュ大統領が、26日に胡錦濤主席に電話して、ダライ・ラマとの対話を促したが、何時ものような条件を鸚鵡返しにつけて突っぱねられたと言う。
民主主義と人権尊重が価値基準となった今日の世界において、今現在、文化文明的にどのようなステージにあるのか、時代認識の錯誤、そして、その落差があまりも大きい。
古いチベット人区の方は、今でも焼け焦げた臭いが漂い、真っ黒に焼け爛れて枠だけ残った建物の残骸などが、凄惨な暴動の後を生々しく残しており、残った店舗はシャッターが下ろされ殆ど人通りがなく、沢山の治安警察が厳しく出入りをチェックしているのだが、
中国人区のニュー・タウンの方は、平生と殆ど変わらずに賑わっており、街路にはクルマが行き来し、殆どの店舗はオープンしていると、そのコントラストの激しさを、外人記者たちは、夫々のメディアで報じている。
外国メディアが来る為に、戒厳令的なセキュリティ体制は解除されたが、チベット人に対する厳しいチェック体制が敷かれていることや、今回の外人記者たちに対しても検問やチェックが何処へ行っても四六時中行われていて、案内人なしに外出しようと思ったら、絶えず見張りがついて監視されていると、AP電に詳しい。
そして、中国政府からは、中国側の被害が如何に大きいかと言うことを14日の暴動の中国版官製ビデオで、中国の警察機関や中国銀行や警察の車両などへの攻撃場面ばかり見せられて、中国の武装警官は、盾と警棒しか使っていないと強調し続けてるばかりで、記者から質問がなされると、核心をはぐらかして先送りして答えない。
中国政府と外国人記者たちの間で、完全に期待が崩壊してしまったとAP電は報じている。
保守的で穏健な筈のウォール・ストリート・ジャーナルさえ、”brief,tightly managed trip"と報じている程だから、余程酷い中国政府の報道管制下での外国メデェアへのラサ公開なのだと言うことが分かるが、頭隠して尻隠さずで、衣の下の鎧は、スケスケに世界中に報道されている。
しかし、経済的には、アメリカもEUも日本も、悲しいかな総て中国頼みで、裸の王様であっても、裸だと中国に対してハッキリと言えない悲しさ。
世界はグローバリゼーションの時代と声高に叫ばれて久しいが、これは経済的な局面だけで、政治の世界では、まだまだ、平和と人権を謳歌する民主主義的な世界は程遠いと言うことである。
これこそ21世紀のグローバリゼーションの正にディレンマだが、再び、政治経済学の復権が望まれるところであろう。
「チベットには自由がない。ラサの騒乱には、ダライ・ラマは、無関係だ。」と叫んだ若い僧は、こう叫ぶと泣き出した。
「ウソだ、みんなウソだ。」一人の僧侶が記者らに近づき叫んだ。「何がウソなんだ。」と聞くと「みんなだ。政府の言っていることだ。」と声を震わせて訴える。
最初はチベット語でしゃべりだしたが、北京語に変えたので記者たちにも理解できたが、中国人の引率者が強引に記者団をそこから立ち退かせ僧侶達を排除しようとしたが、15分続いた。
千載一遇のチャンスと待機していた僧侶達が、厳罰と逮捕を決死の覚悟で記者団に中国の弾圧政治の真実を直訴したのである。
若い子供のような僧侶たちの悲しくも必死の形相が電波で世界中に放映され、中国政府が完全に仕組んだつもりのガイデッド・ツアーが、最初から頓挫してしまった瞬間である。
取材を許されて記者団に加わったAP通信、ウォール・ストリート・ジャーナル、USAトゥディ、ファイナンシャル・タイムズ、共同通信の電子版を見ると、こんな書き出しで、生々しく、中国の二枚舌外交とチベット弾圧の凄まじさを報じている。
少し落ち着いたラサを、限られた外国メディアに見せて、国際世論の批判をかわそうとした中国政府の思惑が裏目に出て、中国政府が北京オリンピックを前に、如何に非道な弾圧を行ったかを浮き彫りにして、広く世界中に知らしめたのである。
ダライ・ラマは、外国記者団のラサ入りが第一歩であり、完全に自由に取材が出来て真実が明らかになることを願うと語った。
痺れを切らしたブッシュ大統領が、26日に胡錦濤主席に電話して、ダライ・ラマとの対話を促したが、何時ものような条件を鸚鵡返しにつけて突っぱねられたと言う。
民主主義と人権尊重が価値基準となった今日の世界において、今現在、文化文明的にどのようなステージにあるのか、時代認識の錯誤、そして、その落差があまりも大きい。
古いチベット人区の方は、今でも焼け焦げた臭いが漂い、真っ黒に焼け爛れて枠だけ残った建物の残骸などが、凄惨な暴動の後を生々しく残しており、残った店舗はシャッターが下ろされ殆ど人通りがなく、沢山の治安警察が厳しく出入りをチェックしているのだが、
中国人区のニュー・タウンの方は、平生と殆ど変わらずに賑わっており、街路にはクルマが行き来し、殆どの店舗はオープンしていると、そのコントラストの激しさを、外人記者たちは、夫々のメディアで報じている。
外国メディアが来る為に、戒厳令的なセキュリティ体制は解除されたが、チベット人に対する厳しいチェック体制が敷かれていることや、今回の外人記者たちに対しても検問やチェックが何処へ行っても四六時中行われていて、案内人なしに外出しようと思ったら、絶えず見張りがついて監視されていると、AP電に詳しい。
そして、中国政府からは、中国側の被害が如何に大きいかと言うことを14日の暴動の中国版官製ビデオで、中国の警察機関や中国銀行や警察の車両などへの攻撃場面ばかり見せられて、中国の武装警官は、盾と警棒しか使っていないと強調し続けてるばかりで、記者から質問がなされると、核心をはぐらかして先送りして答えない。
中国政府と外国人記者たちの間で、完全に期待が崩壊してしまったとAP電は報じている。
保守的で穏健な筈のウォール・ストリート・ジャーナルさえ、”brief,tightly managed trip"と報じている程だから、余程酷い中国政府の報道管制下での外国メデェアへのラサ公開なのだと言うことが分かるが、頭隠して尻隠さずで、衣の下の鎧は、スケスケに世界中に報道されている。
しかし、経済的には、アメリカもEUも日本も、悲しいかな総て中国頼みで、裸の王様であっても、裸だと中国に対してハッキリと言えない悲しさ。
世界はグローバリゼーションの時代と声高に叫ばれて久しいが、これは経済的な局面だけで、政治の世界では、まだまだ、平和と人権を謳歌する民主主義的な世界は程遠いと言うことである。
これこそ21世紀のグローバリゼーションの正にディレンマだが、再び、政治経済学の復権が望まれるところであろう。