孫を連れて近くのワーナー・マイカルに出かけて、ドラえもん映画「のび太と緑の巨人伝」を見た。
のび太が森で拾ってきた苗木を、ママに庭に植えてはダメだと言われたので、ドラえもんが、「植物自動化液」をかけると可愛い緑の男の子に変身し、キー坊と名付けられて、みんなに可愛がられて家族のように暮らしていた。
ところが、ある日、のび太達が裏山に行くと、巨大な渦が現われて引きこまれ、植物が支配する「緑の星」に連れて行かれる。
そこでは、人間が緑の自然を破壊し続けているので、緑の星の王女リーラが、王家に伝わる「緑の巨人」を再生していかづちを起こして緑のいかりを地球人に知らしめて、地球上の総ての緑の植物を奪い取って地球を絶滅させようとの計画を進めている。
緑の巨人に巻き込まれたキー坊を、のび太達は、必死になって助けて地球人の意地を見せて緑の星のリーラたちの理解を得る。
そんな内容の映画だったと思うのだが、さすがに映画で、テレビでやっているような子供の番組とは違って、中々、中身があって難しい。
この場合には、正に今、人類にとって最大の課題である「環境問題」がテーマで、最後に、言葉を得たキー坊が、たどたどしい口調で、緑の星の住人達の大観衆を前に、地球人にもう少し時間を与えて下さいと訴える。
緑の保存の為に、環境破壊を食い止めて地球を守ると言う意味合いなのであろうが、緑の森林が切り裂かれて宅地造成しているシーンを大写しにして、人類の環境破壊が、「帰らざる河」にさしかかってしまったことを示して興味深い。
元気で飛び回っている可愛いキー坊が、水を与えられないと枯れたようになって弱るなど実際の植物をイメージしていて、子供たちへは、植物への思いやりの気持ちを与えるべく気配りがなされているが、緑の環境を守ることが何故必要なのかと言うメッセージは、のび太達を追っかける緑の星の戦士の戦闘姿や、緑の巨人の天変地異を巻き起こす凄まじい迫力に目を奪われてしまって、希薄になってしまう感じがする。
「僕等の希望が未来を動かす」と言うのが、この映画の伝えたかったメッセージのようだが、何がのび太達の希望なのか、そして、その希望が子供たちの心に同化して響いているのかどうか、この頃、子供向けのアニメ映画が、CG等のデジタル技術や高度な音響機器をフル活用して、随分、高度な装いをする様になり複雑化して来ているので、理解するのが難しくなっているし、その判断が非常に難しい。
しかし、アニメと言ってしまえば確かにアニメだが、緑を破壊して植物を虐めている、これは絶対に許せない、と言う気持ちは十分に子供たちには伝わっている筈である。
それに、「緑の星」をあっちこっち旅して回り、生命の営みを見守っている長老のジィが、要所要所で登場して、のび太達に、諭したり話したりする会話に味があって面白い。
やはり、子供たちの心に残るのは、子供の木が変身したキー坊の愛らしさと、さらわれたキー坊を諦めずに決死の覚悟で助けようとするのび太達の思いやりと愛情であろうと思し、温かくて豊かな人々たちとの触れ合いの中で、危険をものともせず助け合いながら正義に向かって邁進する子供たちの理想像は、何時までも新鮮であろう。
子供向けのアニメと言う媒体を使って実は、大人たちに向かって語りかけている映画かも知れない。
子供たちが、この映画のどこかに感激して記憶に残り、それが、大きくなる過程で、どこかの人生で感激を呼び覚まし教訓と言わないまでも、何かの拍子に指針にでもなれば、と言うことであろう。
環境問題や緑の大切さについて、孫にどのように話せば良いのか分からなかったので、これまでのように、庭や鉢に木や花を植えたり栽培させて、実際に植物達の呼吸を感じさせて、自然との共生やエコシステムについて、その都度、話し続けて行こうと思っている。
のび太が森で拾ってきた苗木を、ママに庭に植えてはダメだと言われたので、ドラえもんが、「植物自動化液」をかけると可愛い緑の男の子に変身し、キー坊と名付けられて、みんなに可愛がられて家族のように暮らしていた。
ところが、ある日、のび太達が裏山に行くと、巨大な渦が現われて引きこまれ、植物が支配する「緑の星」に連れて行かれる。
そこでは、人間が緑の自然を破壊し続けているので、緑の星の王女リーラが、王家に伝わる「緑の巨人」を再生していかづちを起こして緑のいかりを地球人に知らしめて、地球上の総ての緑の植物を奪い取って地球を絶滅させようとの計画を進めている。
緑の巨人に巻き込まれたキー坊を、のび太達は、必死になって助けて地球人の意地を見せて緑の星のリーラたちの理解を得る。
そんな内容の映画だったと思うのだが、さすがに映画で、テレビでやっているような子供の番組とは違って、中々、中身があって難しい。
この場合には、正に今、人類にとって最大の課題である「環境問題」がテーマで、最後に、言葉を得たキー坊が、たどたどしい口調で、緑の星の住人達の大観衆を前に、地球人にもう少し時間を与えて下さいと訴える。
緑の保存の為に、環境破壊を食い止めて地球を守ると言う意味合いなのであろうが、緑の森林が切り裂かれて宅地造成しているシーンを大写しにして、人類の環境破壊が、「帰らざる河」にさしかかってしまったことを示して興味深い。
元気で飛び回っている可愛いキー坊が、水を与えられないと枯れたようになって弱るなど実際の植物をイメージしていて、子供たちへは、植物への思いやりの気持ちを与えるべく気配りがなされているが、緑の環境を守ることが何故必要なのかと言うメッセージは、のび太達を追っかける緑の星の戦士の戦闘姿や、緑の巨人の天変地異を巻き起こす凄まじい迫力に目を奪われてしまって、希薄になってしまう感じがする。
「僕等の希望が未来を動かす」と言うのが、この映画の伝えたかったメッセージのようだが、何がのび太達の希望なのか、そして、その希望が子供たちの心に同化して響いているのかどうか、この頃、子供向けのアニメ映画が、CG等のデジタル技術や高度な音響機器をフル活用して、随分、高度な装いをする様になり複雑化して来ているので、理解するのが難しくなっているし、その判断が非常に難しい。
しかし、アニメと言ってしまえば確かにアニメだが、緑を破壊して植物を虐めている、これは絶対に許せない、と言う気持ちは十分に子供たちには伝わっている筈である。
それに、「緑の星」をあっちこっち旅して回り、生命の営みを見守っている長老のジィが、要所要所で登場して、のび太達に、諭したり話したりする会話に味があって面白い。
やはり、子供たちの心に残るのは、子供の木が変身したキー坊の愛らしさと、さらわれたキー坊を諦めずに決死の覚悟で助けようとするのび太達の思いやりと愛情であろうと思し、温かくて豊かな人々たちとの触れ合いの中で、危険をものともせず助け合いながら正義に向かって邁進する子供たちの理想像は、何時までも新鮮であろう。
子供向けのアニメと言う媒体を使って実は、大人たちに向かって語りかけている映画かも知れない。
子供たちが、この映画のどこかに感激して記憶に残り、それが、大きくなる過程で、どこかの人生で感激を呼び覚まし教訓と言わないまでも、何かの拍子に指針にでもなれば、と言うことであろう。
環境問題や緑の大切さについて、孫にどのように話せば良いのか分からなかったので、これまでのように、庭や鉢に木や花を植えたり栽培させて、実際に植物達の呼吸を感じさせて、自然との共生やエコシステムについて、その都度、話し続けて行こうと思っている。