清岡卓行の「出発と到着」(「現代詩手帖」1月号)を読んだ後、大江健三郎の『さよなら、私の本よ!』(講談社)を読むと、清岡の詩の「結」の部分を急に思い出す。 「出発点と到着点」のずれのことを書いているわけではないが、大江の文章に次の部分がある。
恢復期に入って、老年の自覚は動かしがたいものになるのに、古義人は自分のなかに、どこかおかしなところのある、もうひとりの自分が、カラー印刷のズレのように、ダブって実在していると自覚するようになった。(16ページ)
清岡が
と書くとき、やはり「ズレ」を感じているのではないのか。同じ布団と自覚するとき、同じではない何事かを自覚している。
清岡自身のことばをつかえば「時刻の差」、「気分の差」が、大江の「ズレ」にあたるかもしれない。
この「ズレ」にどう向き合うか。「ズレ」のなかの自分(清岡の場合なら、道を間違えてしまう自分)をどう制御しつつ楽しむか、そのわずかな差をどうやって濃密に描き出すか、描き出すことで楽しみ同時に抑制するかが詩のテーマかもしれない。
私たちは、こころのどこかで知っているのだと思う。今ここにいる自分と「ズレ」てしまう自分がどこかにある。そして、その存在がなければ、実は人間ではなくなる。「ズレ」のなかにのみこまれてしまうのではなく、「ズレ」があることを自覚しつつ、今ここと「ズレ」のあわいを往来し、生きているということはどういうことなのかと問うのかもしれない。
*
中村稔「冬の朝の食卓にて」(「現代詩手帖」1月号)には、そうした「ズレ」が「妖怪」として描かれている。
この行を清岡のことばにつづけて読むと、「私」そのものではなく、「私から逸脱したもの」(たとえば、道に迷って出発点へ戻ってきてしまう私のなかの何か、あるいは旅の途中を、移動の時間だけを次々にさまよう夢のなかの私を突き動かす何か)、そういうものが私の死後にも残ることになる。
たぶん、そうなのだと思う。
そして、私たちが(私が、と書いた方が正確かもしれない)他人のことばを読むのは、自分自身がどんなところへ逸脱し、さまよい、また出発点である自分自身へどうやって戻ってきたかを確かめるためかもしれない。
「詩」は、あるいは「文学」は、そうした道案内の働きをしているかもしれない。
*
受贈誌4冊。
米田憲三『ロシナンテの耳』(角川書店、歌集)。
「リラ今朝をむらさき淡く咲かす窓」といったねじれた翻訳調のことば運び、強引にイメージを展開することばの力業がつくりだすリズム。そこから生まれる叙情に米田の世界がある。
こうした世界は、どうしてもことばの数(?)が増えてしまう。その結果、日本語全体をつらぬくなまなましい律動が消えてしまう。目には鮮やかだが、耳にはうるさいという印象を持ってしまう。
そうした作品群の中にあって、次の歌は印象がすっきりしている。「無防備」という固い表現(米田はこういう表現が好きである)もくっきりと立ち上がってくる。
好きな歌を思いつくままに引用しておく。
「孑孑」63号。田代田「どっちだ、」はリズムが生き生きしている。生きている呼吸を感じさせる。
「六分儀」25号。小柳玲子「年の終わりに」の「部屋はあまりに小さかったので隅々まで西日に洗い出され コップ 壁の雨じみまで あかあかと夕日を孕んでしまうのだった。」という丁寧な描写と、最後の3行までの間にある「逸脱」は、清岡や中村が書こうとした世界に通じるものだ。「私はいつかほんとうにひとりになり 馬鹿らしいことに泣いているのだった」という行に触れ、あらためて涙(泣く)というものの存在意味を知らされた気持ちになった。
「侃侃」8号。石川敬大が安藤元雄論を書いている。何を書いているのか(石川が安藤の誌をすきなのかどうか)が読んでいてまったくわからなかった。石川は最後に
は、特にわからない。安藤詩が獲得したものと抒情の関係がわからない。好意的に読むと、安藤の詩には、叙情詩特有の頼りなさ、寄る辺なさがあり、それは入沢のいう「重厚さ」「本格的作品」ということばと相反する、ということだろうか。
私は抒情を「頼りなさ」や「寄る辺なさ」とはあまり関係がないと思うので、石川の論はなおのことわかりにくい。
恢復期に入って、老年の自覚は動かしがたいものになるのに、古義人は自分のなかに、どこかおかしなところのある、もうひとりの自分が、カラー印刷のズレのように、ダブって実在していると自覚するようになった。(16ページ)
清岡が
とにかく そのとき
笑うなかれ
夢の中止点はその開始点と
まったく同じ布団のなかであった。
と書くとき、やはり「ズレ」を感じているのではないのか。同じ布団と自覚するとき、同じではない何事かを自覚している。
出発と到着には時刻の差が
わずかながらあったことだろう。
また それらには気分の差も
いくらかはあったことだろう
清岡自身のことばをつかえば「時刻の差」、「気分の差」が、大江の「ズレ」にあたるかもしれない。
この「ズレ」にどう向き合うか。「ズレ」のなかの自分(清岡の場合なら、道を間違えてしまう自分)をどう制御しつつ楽しむか、そのわずかな差をどうやって濃密に描き出すか、描き出すことで楽しみ同時に抑制するかが詩のテーマかもしれない。
私たちは、こころのどこかで知っているのだと思う。今ここにいる自分と「ズレ」てしまう自分がどこかにある。そして、その存在がなければ、実は人間ではなくなる。「ズレ」のなかにのみこまれてしまうのではなく、「ズレ」があることを自覚しつつ、今ここと「ズレ」のあわいを往来し、生きているということはどういうことなのかと問うのかもしれない。
*
中村稔「冬の朝の食卓にて」(「現代詩手帖」1月号)には、そうした「ズレ」が「妖怪」として描かれている。
日光にあふれる朝の食卓を前にし、
私は妖怪が私の心を啄み私の体を喰いあらすに任せている。
私はやがて私という存在が消え去り
真冬の闇の中にまぎれていくことを願っている。
この行を清岡のことばにつづけて読むと、「私」そのものではなく、「私から逸脱したもの」(たとえば、道に迷って出発点へ戻ってきてしまう私のなかの何か、あるいは旅の途中を、移動の時間だけを次々にさまよう夢のなかの私を突き動かす何か)、そういうものが私の死後にも残ることになる。
たぶん、そうなのだと思う。
そして、私たちが(私が、と書いた方が正確かもしれない)他人のことばを読むのは、自分自身がどんなところへ逸脱し、さまよい、また出発点である自分自身へどうやって戻ってきたかを確かめるためかもしれない。
「詩」は、あるいは「文学」は、そうした道案内の働きをしているかもしれない。
*
受贈誌4冊。
米田憲三『ロシナンテの耳』(角川書店、歌集)。
リラ今朝をむらさき淡く咲かす窓 少女声あげて「桐壺」を読む
「リラ今朝をむらさき淡く咲かす窓」といったねじれた翻訳調のことば運び、強引にイメージを展開することばの力業がつくりだすリズム。そこから生まれる叙情に米田の世界がある。
神の遊びの一つならむかパレットのエメラルドグリーンを溶かせるダム湖
こうした世界は、どうしてもことばの数(?)が増えてしまう。その結果、日本語全体をつらぬくなまなましい律動が消えてしまう。目には鮮やかだが、耳にはうるさいという印象を持ってしまう。
そうした作品群の中にあって、次の歌は印象がすっきりしている。「無防備」という固い表現(米田はこういう表現が好きである)もくっきりと立ち上がってくる。
無防備はわれのみならず駆けてゆく少女ら幾度も驟雨は襲う
好きな歌を思いつくままに引用しておく。
明るみし静寂(しじま)を土鳩鳴き出でぬ今日より暑さ募る兆しか
耐えてきし永き時間を反芻する今際のきわの父の喉ぼとけ
能登は寒し 皐月と言いながらみずがね色に咲くさくら花
ジョギングの汗ひからせて近づける青年 冬の風となり過ぐ
変身もかなわぬにやがて雪は来む 小春日和を舞う白き蝶
「孑孑」63号。田代田「どっちだ、」はリズムが生き生きしている。生きている呼吸を感じさせる。
「六分儀」25号。小柳玲子「年の終わりに」の「部屋はあまりに小さかったので隅々まで西日に洗い出され コップ 壁の雨じみまで あかあかと夕日を孕んでしまうのだった。」という丁寧な描写と、最後の3行までの間にある「逸脱」は、清岡や中村が書こうとした世界に通じるものだ。「私はいつかほんとうにひとりになり 馬鹿らしいことに泣いているのだった」という行に触れ、あらためて涙(泣く)というものの存在意味を知らされた気持ちになった。
「侃侃」8号。石川敬大が安藤元雄論を書いている。何を書いているのか(石川が安藤の誌をすきなのかどうか)が読んでいてまったくわからなかった。石川は最後に
わたしが冒頭で、安藤詩に対する入沢の評言の「重厚な」「本格的作品」のことばに疑義を感じたのも、安藤詩が獲得した、抒情というものが本来的に持っている、頼りなさ寄る辺なさといった特質とは相反する性質のものであるからではないだろうか。
は、特にわからない。安藤詩が獲得したものと抒情の関係がわからない。好意的に読むと、安藤の詩には、叙情詩特有の頼りなさ、寄る辺なさがあり、それは入沢のいう「重厚さ」「本格的作品」ということばと相反する、ということだろうか。
私は抒情を「頼りなさ」や「寄る辺なさ」とはあまり関係がないと思うので、石川の論はなおのことわかりにくい。