詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石川逸子「外はみぞれ」

2007-05-21 12:51:36 | 詩(雑誌・同人誌)
 石川逸子「外はみぞれ」(「兆」134、2007年05月07日発行)。
 不思議な詩である。

ひろい座敷の奥に
かかっているのは
掛け軸かとおもえば
ひとの顔で
なにかを叫びたそうに
ぐらぐら ゆれている

座敷には大勢集まって
宴たけなわ
笑う者 踊りだす者
ののしる声 歌う声
皿のふれあう音
さまざまのさんざめき
隅に 女の子一人
ポツンと ゆれる顔をみている

外はみぞれ
ごおっと風が吹き出した

 たとえば田舎の葬儀。葬儀のあとの宴。そんな風景を思い浮かべる。不思議というのは、顔と集まっている人、女の子の関係だ。顔(一つ)、人(おおぜい)、女の子(一人)。人だけが複数なのだが、その複数が複数に感じられない。顔、人、女の子が対等の位置を占めている。さらに、これに「外」の風景、自然が、また「一」として加わる。その瞬間、「外」はそのまま「一」なのに、「座敷」のなかの顔、人、女の子はそれぞれが自己主張するのではなく、すーっとかたまって「一」になっている。
 存在の区別がなくなり「一」になる。
 死ぬとはこういうことなんだな、とふっと気づかされる。

 「死」は、たの作品では「顔」になっているが、それはおおぜいの人(死者の知り合い--近い関係、遠い関係をひっくりめて、おおぜいの人)のなかに消えていく。悲しみだけではなく、笑いや、ののしりという「関係」のなかに吸収されていく。そういうことがわからない女の子はポツンとその動きを見ている。死の実感もないまま、ただ見つめている。女の子にとって死はわからないものなのだけれど、そうやって見つめたという記憶が、ある日、突然、死とは何かという「実感」として、やってくる。
 たとえば、外でごおっと風が吹き、みぞれが降り出した瞬間に。あ、この風景は、あのときの風景だ。誰かが死んだ日だったと思い出す。その日に、瞬間的に帰る。時間が消える。

 突然、今と過去の区別がなくなる。そういう一瞬、まざまざと死を見た記憶のなかにひきこまれていく感じ。時間が「一」になってしまう感じ。

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入沢康夫と「誤読」(メモ26)

2007-05-21 09:58:19 | 詩集
 入沢康夫『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年)。
 『「月」そのほかの詩』(1977年)に収録されている「かつて座亜謙什と/名乗った人への/九連の散文詩(エスキス)」を冒頭に掲げる詩集。詩集の構造が興味深い。「エスキス」(素描、と訳していいのだろうか)の連作(「エスキス」から「第九のエスキス」)までの連作から成り立っている。「エスキス」はそれぞれ「完成品」であることを拒んでいるかのように微細な差異を含んでいる。(ただし「第九のエスキス」だけは大きく違っている。)いわば、ある作品がどのうような「素描」を繰り返して成り立っているかを推敲過程を追う形で浮かび上がらせようとした作品だ。
 しかし、とても奇妙な作品である。
 第一の奇妙な点。
 「第二のエスキス」と「第七のエスキス」が欠落している。「第三のエスキス」は「エスキス」の「推敲過程」を克明に描いたものである。そのなかには「第二のエスキス」も含まれているから、ほんとうに欠落しているのは「第七のエスキス」ということになる。なぜ「第七のエスキス」は存在しないのか。
 第二点。
 「第三のエスキス」によれば、「九連の散文詩」は最初は「一四連」と書かれていた。推敲している内に「九」になった。「一〇」から「一四」はどこへ消えたのか。それはほんとうに存在していたのか。
 いずれの点にも、入沢は「答え」を書いていないように思える。
 「メモ25」でも書いたが、これは入沢が読者に「誤読」させるためである。「第七のエスキス」が欠落しているのは、それを読者に想像させるためである。「一〇」から「一四」も読者が望むなら想像すればそれでいいということだろう。ただし、この「一〇」から「一四」の「エスキス」に関して言えば、入沢は「第七のエスキス」ほどには「誤読」を期待していないだろう。「誤読」は一回おこなえばそれで十分である。つみかさねれば「誤読」ではなく、完全に別なテキストになってしまう。

 この詩集の、ほんとうに奇妙な点は、私だけの印象かもしれないが、「エスキス」の連作が、最初に発表された作品の成立過程を描いているとは思えないことである。「エスキス」を繰り返し、その結果として『「月」そのほかの詩』に収められた形になったとは思えない点である。
 「第三のエスキス」を読むかぎり、「エスキス」以前に「素描」があり、それを推敲する形で「エスキス」になったと考えるのが普通であろう。その端的な「証拠」となるのが次の部分である。

私たちに教〔えや→①(削)〕へ〔ようとして→②ようとあせつて〕

 ネットで書いているので表記がうまくいかず省略しているのだが、「えや」には「ママ」とルビが打ってある。これで読むかぎり、第一稿の表記の間違いに気づき、第二稿で修正したことになっている。
 もしこの「証拠」が正しいものであり、「第二のエスキス」がほんとうに存在したのだとしたら、この作品の矛盾は、もっと大きくなる。もっと大きな疑問が出てくる。
 「第四のエスキス」はいつ成立したのか。
 『月』に収録されている形が「決定稿」であり、それ以前に「第二のエスキス」を含む下書き(?)があったとするのなら、「第四のエスキス」は? 「第二のエスキス」以前に成立していたことにならないか。「校異」を特定するなら「第三のエスキス」のやり方では不十分で、「第一エスキス」を特定し、そこから順々に「エスキス」へ向けて、どのような推敲が重ねられたかを明確にすべきだろう。

 もちろん、入沢の書いているのは「詩」であり、テキストを分析し、「校異」を特定するという「文献学」の仕事ではない。だから、そういうことをする必要はない。最初から、そう考えて読むことも可能だ。むしろ、「文献学」の報告書として読むのではなく、最初からことばで書かれたもの、フィクションとして読むべきだろう。
 入沢はここでは「文献学」を装っている。「文献学」の報告書として錯覚するように工夫をこらしているのだ。

 そうして、そう考えるとき、私には「エスキス」が最初に存在し、「第三のエスキス」に含まれる形で存在する「第二のエスキス」ほかすべての素描があとから捏造されたもののように思えるのである。
 「エスキス」を書き、その「エスキス」にあたかも先行する「草稿」があったかのように捏造する。「ママ」という手の込んだ目くらましも潜ませる。入沢は「過去」を「捏造」しているのである。「エスキス」のために「過去」をつくりだし、架空の「文献学」を繰り広げる。

 これは、どういうことだろうか。
 「エスキス」の「一、」の書き出しが印象的である。

あなたの足あとを辿つて(しばしばは逆に辿つて)私たち
は長い旅をしてきたのだが、

 だれでも作品を読むときは「決定稿」から読む。出版され、本の形になったものを読む。その後、原稿を発見する。原稿の下書きを発見する。原稿の下書き、決定稿、そして本という形では読まない。ある作者の作品を分析するときは、たいがいが「決定稿」→「草稿」という筆者とは逆の順序で作品に近付く。
 そして、逆にたどりながら、頭の中では「草稿」→「決定稿」という筆者の思考順序を再現する。頭の中では二つの動きが交錯しながら進むのである。「決定稿」から遠ざかることで「決定稿」に秘められた「真実」を探そうとするのである。
 矛盾である。
 真実を探すということは、矛盾した行為を生きることである。この矛盾にこそ、入沢は詩を感じているのだと思う。
 「決定稿」→「草稿」とたどることで、筆者の「足あと」(思考過程)をたどる形をとりながら、そこでほんとうにおこなわれているのは入沢自身の思考を受け入れてくれるもの、「草稿」に残された「足あと」を見つけることである。「決定稿」に残っていない(欠落している)ものを発見し、そこに入沢自身の「思い」を託す。そうやって「誤読」の手がかりを得ようとする。
 入沢は「誤読」の可能性を探している。夢みている。
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