鳴海宥「渋滞マニア」(「カラ」4、2007年05月01日発行)。
渋滞が気分的に爽快なものではないことは誰にも共通した感覚だろう。しかし、この渋滞を「いいね」と肯定している。
「いいね」はもちろん反語である。「わるくわるく」と繰り返される「わたし」のなかなの「渋滞」(血栓による血流の渋滞だろうか、閉塞による腸の渋滞だろうか)との「和解」がこころみられている。
外界の肉体化、ではなく、肉体の外界化。
などということを考えもするのだが、私の思考(嗜好? 指向?)は激しくずれていってしまうのである。
鳴海の「いいね」と「わるく」は一対になって、「いいね」と「わるく」を超越して世界全体に、宇宙全体に拡大する。みわけがつかなくなる。そのみわけのつかないことをとりあえず「和解」と呼んでみたのだが、「受諾」「受領」「受け入れ」と呼んだ方がいいかもしれない。いや、いっそう「超越」がよかったかな……、と考え、そして。
これって、セックスの詩、性交の最中の詩じゃないんだろうか。
こういう詩については、ただセックスの詩だと感じた、とだけ書けば批評になるだろうな、と思うので、これ以上書かない。
引用は一部なので、ぜひ全編を「カラ」でご確認ください。そして、くすくすとお笑いください。わたしは、くすくす、あはは、わっはっは、と笑いが止まらなくなりました。
渋滞が気分的に爽快なものではないことは誰にも共通した感覚だろう。しかし、この渋滞を「いいね」と肯定している。
このクルマは口止め料も請求せず
従卒のように 濃霧のように黙っている
いいね・・
そうやって 遠慮なく
わたしを わるくわるく わるくわるく
無穹動に 無限定に 無頓着に
そしてもっとも無頓着な あそこに
宅配しておくれ
いいねいいねいいね・・・
わるいわたしが本当だ
わたしの渋滞は
脈打っている
わたしの渋滞はわたしの血管だ 内蔵だ 鼻腔だ
大脳辺縁系だ
だからこの道は
晴れやかだとおもしろくない
道は わたしの一部のように 内蔵が損壊している
(谷内注・本文中2か所の「内蔵」は「内臓」の誤植と思われる)
「いいね」はもちろん反語である。「わるくわるく」と繰り返される「わたし」のなかなの「渋滞」(血栓による血流の渋滞だろうか、閉塞による腸の渋滞だろうか)との「和解」がこころみられている。
外界の肉体化、ではなく、肉体の外界化。
などということを考えもするのだが、私の思考(嗜好? 指向?)は激しくずれていってしまうのである。
鳴海の「いいね」と「わるく」は一対になって、「いいね」と「わるく」を超越して世界全体に、宇宙全体に拡大する。みわけがつかなくなる。そのみわけのつかないことをとりあえず「和解」と呼んでみたのだが、「受諾」「受領」「受け入れ」と呼んだ方がいいかもしれない。いや、いっそう「超越」がよかったかな……、と考え、そして。
道は世界ではないが
世界のあらゆるでっぱりと
くぼみにだけは まだ つうじている・・
だからわたしはまだまだ渋滞マニア
このまだまだを 飲み終わるまで
これって、セックスの詩、性交の最中の詩じゃないんだろうか。
こういう詩については、ただセックスの詩だと感じた、とだけ書けば批評になるだろうな、と思うので、これ以上書かない。
引用は一部なので、ぜひ全編を「カラ」でご確認ください。そして、くすくすとお笑いください。わたしは、くすくす、あはは、わっはっは、と笑いが止まらなくなりました。