入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年)。
「三十」の情景のうち「『八つの情景』のための八つの下図」だけが、この詩集の例外をつくっている。それ以外の「情景」には「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」というような、一人称複数形と、すぐそのあとにつづく一人称「わたし」が頻繁に出てくるが「八つの下図」だけには出てこない。これは「下図」だからであり、「下図」にもとづいて「情景」が書かれた場合、やはり「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」という文体が登場するのだろう。
「八つの下図」は「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」という文を含まないことによって、そうした文体が存在することを強調しているのだといえる。こういう「虚」による強調は入沢の詩の特徴のひとつだろう。
なぜ、入沢は「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」という文体を詩のなかに持ち込んだのか。「わたしたちは」あるいは「わたしは」だけでは何が違ってくるのだろうか。
「牛の首のある六つの情景」の「1 」。
昨日の昼された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つ
て、小刻みに震へながら、(今、何時だらう)わたしたち
の、わたしの、中途半端な情熱の見張り役をつとめてゐる。
わたしたちは、わたしは、藻のやうな葉をなま温い風にしき
りに漂はせる樹々に背を向け、地べたで、安つぽい三十枚ば
かりのプログラムを次々に燃やし、その光でもつて、石柱の
表面にはめ込まれた縞瑪瑙の銘板の古い絵柄を読み解かうと
する。少なくとも、読み解かうとするふりをしてゐる。
ここまで読んできて、「わたしたちの、わたしの」「わたしたちは、わたしは」の句点「、」のあとにひとつのことばが省略されていることがわかる。「少なくとも」ということばが省略されている。
「わたしたちは」というと言い過ぎになるかもしれないが、「少なくともわたしは」と言いたいのである。この場合「少なくとも」には、「わたし」のしていることが「わたしたち」(わたしを含む複数の存在)によって「共有」されたいと願っていることを暗示している。「わたし」の行為が、わたし以外の存在によって共有されることを願っている。
「誤読」は「わたし」の内にとどまるかぎりは「誤読」ではなく、単なる「間違い」だ。誰かによって「わたし」の間違いが共有され、間違いではなく、ありうることにかわり、ぜったいそうでなければならないということへと変っていく。それが「誤読」である。
そのことを暗示させる「少なくとも」が、「読み解かうとする」という文、「さらには読み解かうとするふりをしてゐる」という文といっしょに登場しているのは、なにかとても象徴的なことのように思える。
何かを読み解く--それは「読み」を共有するのではなく「解く」つまり「解=答え」を共有することである。
たとえば私が今回引用した8行。それは誰が読んでも「同じ」ように読むことができる。しかし、そこから何らかの「答え」、たとえば入沢の思想はどのように具体化されているかということをさぐりはじめると、その「答え」はたぶんひとつではなくなる。複数になる。「わたし」ではなく、それぞれの「わたし」の、それぞれの「答え」になる。読んで、答えを求めるとき、答えは複数になり、わたしもまた複数「わたしたち」になる。
だからこそ「わたしたちは、わたしは」と主語を絞り込む必要があるのだ。
そして主語を「わたし」に絞り込んだとき、その「答え」は「わたしたち」によって級有されるものとなることも可能なのである。
「ふり」ということばも入沢の作品を読むとき、とても象徴的なことばに感じられる。
「答え」を求める。しかし、「答え」を出す必要が必ずしもあるわけではない。「すくなくとも」「わたし」には。自分が「答え」を出さなくても、「わたしたち」のうちの誰かが答えを出せば、その答えを共有することができる。共有し、「誤読」として育てて行くことができる。
詩のつづき。
すでに
いくつかの意味をなさない文字が、わたしたちの、わたし
の、ひそめた眉の間から生まれて、燐光を放つ熱帯魚さなが
らに、闇の中へと泳ぎ去つた。
誰もが「正しく読み解こう」とはしていない。正しく読み解かなくても、というより「誤読」したものだけが延々と語り継がれて行くのだ。「誤読」だけが求められている。