詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

入沢康夫と「誤読」(メモ10)

2007-05-01 23:28:11 | 詩集
 入沢康夫『ランゲルハンス氏の島』(1962年)。
 「ランゲルハンス」は膵臓内のインシュリンを分泌する組織である。「膵島」ともいう。「ランゲルハンス」と「膵島」のふたつのことばから、この詩は生まれた--と書けばなんだか簡単な謎解きみたいな感じだが、このふたつのことばのなかに「誤読」があり、その「誤読」にこそひかれて入沢は詩を書いているのだと思う。
 「膵島」というけれど「ランゲルハンス」は「島」ではない。内分泌組織が膵臓のなかに散在する--その散在という形が「島」を連想させるから「膵島」とも呼ばれるのである。「島」はすでに「誤読」なのだ。ある実在の「読み替え」なのである。入沢はこういう「誤読」を拒絶しない。むしろ、そうした「誤読」を利用する。
 「誤読」には、「誤読」をしたがる「心理」(あるいは心理がかかえこむ真理)というものがある。

 想像力を定義して「事実を歪曲する力」というふうに言ったのはバシュラールだが、何かを歪曲し、自分にとってわかりやすいようにとらえなおすことは、また「誤読」でもある。「誤読」はいつでも自分の考えにあわせて「事実」を読み替えることである。「誤読」のなかには「事実」を超越した「心理・真理」がある。



 「ランゲルハンス氏の島」が「膵島」と関係があることは、詩のなかでも解きあかされる。「1」のなかほどに、次のように書かれる。

ちょっと考えるふりをしてから「よろしい。参ることにしましょう」とそう言った時、僕はいきなりみぞおちあたりにはげしい痛みを感じて意識を失った。

 「みぞおちあたり」は「膵臓」を暗示させる。「意識を失った」は糖尿病での心身を想像させる。
 この詩は、糖尿病による失神--というより、失神そのものを題材にしているのだろうか。失神の一瞬に見る何か、幻影か、事実か、その両方か……その瞬間の「誤読」をことばとして定着させたいという思いが入沢にあったのか。--というような読み方は、たぶん「意味」にしばられすぎているだろう。
 入沢のこの作品のことばは「意味」の重さを否定している。軽々と動いている。
 この作品で入沢がやりたかったのは「意味」とは対極にある世界を描くことだろうと思う。
 「ランゲルハンス氏」は架空の人物である。「島」も架空である。あるいは「誤読」された存在である。実在しない。
 実在しないものを出発点として、ことばはどこまで動いてゆくことができる。実在を、あるいは事実を拒否して、詩は成立するか。そういうことを試したかったのではないか、と私は想像する。事実を拒否するために、あえて事実を暗示させる。たとえば「ランゲルハンス」という名前。あるいは「島」。「ランゲルハンス」+「島」ということばに出会えば、だれもが「膵島」を思い浮かべる。あるいは糖尿病を、あるいはインシュリンを、あるいは失神を。そういう現実にあるもの(事実)を暗示させた上で、その事実からどれだけ遠くへことばを動かすことができるか。ことばは、どこまで自由でいられるか。そういうことを実験しようとしているように思える。
 入沢にとって、詩とは、ことばの実験なのだ。ことばの可能性なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新藤兼人「私の履歴書 ①」

2007-05-01 21:49:42 | その他(音楽、小説etc)
 新藤兼人「私の履歴書 ①」(日経新聞05月01日朝刊)。
 
 お母さんが私を生んだのは四十二歳のときだった。明治四十五年(一九一二年)四月二二日。

 何気ない書き出しのようだが、私は驚いてしまった。母について書いている。母をどう呼ぶか。面と向かっているときは確かに「お母さん」だろう。しかし書くとなると、お母さんとは書かない。少なくとも私は書かない。
 生年月日から計算すると新藤は九十五歳だ。
 小学生の作文なら「お母さん」と書いてしまうこともあるだろうけれど、普通は「お母さん」とは書かないだろう。文筆をなりわいとしている人間はこんなふうには書かないだろう。
 そう思いながらも、読み進むと、この「お母さん」は「お母さん」としかいいようがないことに気がつく。 

 母乳で育った。毎夜寝るとき、お母さんの胸をひらいて乳房をしゃぶった。小学校へ上がるまでそうしたので、お母さんの乳房はしなびていたが、胸をひらくと甘酸っぱい匂(にお)いがぷうんとおそってきて、なんとも言えないいい気持ちだった。

 書き写しながら、私は酔ってしまったような気分になった。
 ここには「母」はいない。「母」と言うときに、こころのなかに忍び込んでくる「間」がない。「距離」がない。ここにあるのは一体感だ。「お母さん」と新藤が一体になった世界がある。その一体感のなかで、新藤は消える。(「お母さん」ではなくて、「母」と書くのが大人の男の文章だ、というような、うるさい意識はない。)新藤は「お母さん」の愛のなかに消える。「お母さん」は新藤を愛して、その存在をすべて受け入れている。その愛のなかで、新藤ははじめて新藤としてよみがえる。
 「お母さんの乳房はしなびていたが、胸をひらくと甘酸っぱい匂いがぷうんとおそってきて、なんとも言えないいい気持ちだった。」--これは事実かどうかはわからない。ほんとうに甘酸っぱい匂いがおそってきたかどうかはわからない。しかし、新藤は、ずーっと長い間、そう信じてきたし、いまも信じている。
 ここに書かれているのは「事実」ではなく、新藤が信じてきたことがらである。「お母さん」ということばには、新藤の信頼がこめられている。
 誰も、この「お母さん」と新藤の一体感を切り離すことはできない。

 田の株を起こす描写も美しいが、一回目の、最後の文章も美しい。

 わがままに育ったわたしは、お母さんを、蹴(け)ったり叩(たた)いたりしたが、お母さんは微笑(ほほえ)んで「カネさん、大きくなったらなんになるんの」。わたしをさん付けで呼んだ。
 ああ、お母さん。
 わたしは辛いことに出会うたびに、お母さんのことを思い出す。

 何度も繰り返される「お母さん」。「お母さん」と書く度に、新藤は「お母さん」といっしょに生きている。新藤は「お母さん」を「思い出す」のではなく、いっしょに生きるのだ。「お母さん」が生きた時間(やるべきことをやっただけ、という時間)をいっしょに生きる。あるいは「お母さん」の生きる強さにすがって、ついてゆくのだ、というべきだろうか。
 新藤は「お母さん」の腰にぶら下がっているかのように生きてきたので、姉たちから「腰巾着」と呼ばれたと書いているが、「お母さん」が亡くなったあとも、あいかわらず「腰巾着」として生きており、「腰巾着」でいられることが、たぶん新藤の力なのだ。
 こんなふうに全身をかけて人を信じるというのは大変な力だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする