秋山基夫
『オカルト』(思潮社
、2007年03月31日発行)。
「浮遊」の書き出し。
読みながら(黙読しながら)、あ、これは声をとおして聞く作品なのだ、と思った。黙読ではうるさいことばの繰り返し、「起き上がり」「浮き上がり」「ふわふわ越え」「ふわりと超え」(越え、のミスプリントだろうか)も、声をとおして聞けば、繰り返しが単なる繰り返しではなく、ことばを聞き手に定着させる効果となるだろうと思った。
「あとがき」を読むと、秋山の作品は朗読グループで朗読の形で発表されたらしい。たしかに、この作品には、声に出すことで鍛えられた文体がある。
「シコシコ」というような俗語オノマトペも俗語ゆえに聞き手を引き寄せるだろう。声そのものが肉体であるから、その肉体の力で、聞き手の肉体に触れる。「頭」で考えるよりも、「肌」で感じる響き--というかリズムが聞き手を異界へ誘う。
その、声を利用した文体、声ならではの表現というものもある。
2連目。
「手を突っ込んでみる」の主語は誰? 「わたし」ではない。「わたし」は輪郭を失って「グニャグニャ」になっている。そこへ手を突っ込めるのはわたし以外の誰かである。たとえば聞き手である。誰でもない存在、聞き手がふいに作品のなかへ、秋山のことばに誘い込まれて紛れ込む。こういうことが可能なのは、それが語られることば、聞かれることばだからである。「声」という肉体を共有することで、作者と聞き手が自在についたり離れたりするのだ。
そうしたついたり離れたりの動きを媒介するものが、ここでは「手」という肉体である。あるいは、この作品が書かれた当時話題になった「越前クラゲ」である。「グニャグニャ」というオノマトペである。聞き手の現実、身近な間隔を作品の中に導きながらことばを動かしてゆく。
「青蠅」におもしろい部分がある。
「声」は聞く人がいなければ存在したことにならない。聞き手を前提として、聞き手と交錯する「かけ」のようなものが、この詩集の秋山のことばにスピードを与えている。振り返らない。突き進む。突き進むスピードで聞き手を誘い込み、異界を出現させようとする試みだ。
「声」の詩集として出会ってみたかった、という思いが募った。
「浮遊」の書き出し。
深夜のオフィス、納税書類をシコシコ作成するわたしの背中
のあたりから、わたしの輪郭が起き上がり、空中に浮き上が
る。子供がクレヨンで描いたパパの絵から、輪郭の線だけが
動き出し画用紙の外へ出ていくように、わたしの輪郭がわた
しを離れ、応接セットをふわふわ越え、目隠しの衝立をふわ
りと超え、ドアの鍵穴を一本の針金になって抜け出す。
読みながら(黙読しながら)、あ、これは声をとおして聞く作品なのだ、と思った。黙読ではうるさいことばの繰り返し、「起き上がり」「浮き上がり」「ふわふわ越え」「ふわりと超え」(越え、のミスプリントだろうか)も、声をとおして聞けば、繰り返しが単なる繰り返しではなく、ことばを聞き手に定着させる効果となるだろうと思った。
「あとがき」を読むと、秋山の作品は朗読グループで朗読の形で発表されたらしい。たしかに、この作品には、声に出すことで鍛えられた文体がある。
「シコシコ」というような俗語オノマトペも俗語ゆえに聞き手を引き寄せるだろう。声そのものが肉体であるから、その肉体の力で、聞き手の肉体に触れる。「頭」で考えるよりも、「肌」で感じる響き--というかリズムが聞き手を異界へ誘う。
その、声を利用した文体、声ならではの表現というものもある。
2連目。
輪郭に去られて、わたしはグニャグニャになった。
越前クラゲ二個分のゼリー。透明な実質。試しに手を突っ込
んでみると、そこに手を突っ込めるひんやりした何かがある
ことがわかる。
「手を突っ込んでみる」の主語は誰? 「わたし」ではない。「わたし」は輪郭を失って「グニャグニャ」になっている。そこへ手を突っ込めるのはわたし以外の誰かである。たとえば聞き手である。誰でもない存在、聞き手がふいに作品のなかへ、秋山のことばに誘い込まれて紛れ込む。こういうことが可能なのは、それが語られることば、聞かれることばだからである。「声」という肉体を共有することで、作者と聞き手が自在についたり離れたりするのだ。
そうしたついたり離れたりの動きを媒介するものが、ここでは「手」という肉体である。あるいは、この作品が書かれた当時話題になった「越前クラゲ」である。「グニャグニャ」というオノマトペである。聞き手の現実、身近な間隔を作品の中に導きながらことばを動かしてゆく。
「青蠅」におもしろい部分がある。
わたしには形も色も温度もない。
痩せこけた青鬼、わたしはこんな姿で見えるのだろうか。見
えたものは仕方がないが、わたしには自分の姿が見えないか
ら、どうしようもない。
わたしはわたしがくっついたものの形になり、色になり、温
度になる。
わたしは何ものでもない。わたしはあなたがいなければ、い
ない。
「声」は聞く人がいなければ存在したことにならない。聞き手を前提として、聞き手と交錯する「かけ」のようなものが、この詩集の秋山のことばにスピードを与えている。振り返らない。突き進む。突き進むスピードで聞き手を誘い込み、異界を出現させようとする試みだ。
「声」の詩集として出会ってみたかった、という思いが募った。