坂多瑩子「並んでいる」(「青い階段」83、2007年04月01日発行)。
とても不思議な詩である。
最後の4行を何度も読み返してしまう。「もえ」というのとは、最近の流行語の「萌え」の「もえ」だろうか。
坂多は、それに完全に同化してしまっているわけではない。それを少し離れてみているということかな?
なかほどの「合唱隊みたい」は、坂多の見ているものがほんとうは「合唱隊」ではないことを明かす。「誰かふりかえってよ」は坂多のみつめているものが、向こうの方では坂多を気にしていない(無視している)ことを明らかにしている。
これが坂多と「萌え」の関係?
「近づいても/遠くから/見ているように/小さい」。その頭が夢中になっているものと坂多は重なり合わない。その頭と「空」がいっしょになっているのをただみつめる。
そして。
「授業中の窓がひろがって/いす」と突然、「いす」にもどってきて、萌え」の世界と坂多の現実が完全にくっつく。「いす」という最後の1行を読んだ瞬間、また書き出しの「いすが」に引き戻され、ぐるぐると同じ所をまわってしまう。
とても不思議な詩である。
いすが
並んでいる
原っぱの真ん中
背もたれの上に
小さな頭
みな
お行儀よく
前をむいて
たんぽぽが咲いている
綿毛がとんでいる
誰かが
節をつけて歌いはじめた
たんぽぽ
たんぽぽ
ひとり増え
ふたり増え
声をそろえて
合唱隊みたい
誰かふりかえってよ
近づいても
遠くから
見ているように
小さい
誰もふりむかない
あしたも
あさっても
しあさっても
綿毛のはりついた空が
もえ
授業中の窓がひろがって
いす
最後の4行を何度も読み返してしまう。「もえ」というのとは、最近の流行語の「萌え」の「もえ」だろうか。
坂多は、それに完全に同化してしまっているわけではない。それを少し離れてみているということかな?
なかほどの「合唱隊みたい」は、坂多の見ているものがほんとうは「合唱隊」ではないことを明かす。「誰かふりかえってよ」は坂多のみつめているものが、向こうの方では坂多を気にしていない(無視している)ことを明らかにしている。
これが坂多と「萌え」の関係?
「近づいても/遠くから/見ているように/小さい」。その頭が夢中になっているものと坂多は重なり合わない。その頭と「空」がいっしょになっているのをただみつめる。
そして。
「授業中の窓がひろがって/いす」と突然、「いす」にもどってきて、萌え」の世界と坂多の現実が完全にくっつく。「いす」という最後の1行を読んだ瞬間、また書き出しの「いすが」に引き戻され、ぐるぐると同じ所をまわってしまう。