詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

永島卓『水に囲まれたまちへの反歌』(6)

2011-04-27 23:59:59 | 詩集
永島卓『水に囲まれたまちへの反歌』(6)(思潮社、2011年04月25日発行)

 永島卓の「わたし」のなかに存在する「わたしたち」。もちろん、だれの「わたし」のなかにも「わたしたち」が存在する。「わたしたち」が存在しないかぎり「わたし」は存在させられないものかもしれない。そして、「わたしたち」が存在しないかぎり「わたし」が存在しえない、というとき、「わたしたち」と「わたし」は同類である。共通のものをもっている。永島の「わたし」も、「わたしたち」と共通のものをもっているのだろうけれど、永島の「わたし」は「わたし」とは異質なものをもっている「わたしたち」をも受け入れる。「同じ」でありながら「違う」のだ。それは「他者」だ。「他者」とは、「同じ」人間でありながら、何かしら「違ったもの」をもっているひとのことである。永島は「他者」を許容する。「他者」が「わたし」を通って「息」となって噴出し、それが「声」になるのを受け入れている。「ことば」になるのを受け入れている。というより、さらに進んで、そうやって「息」のなかにあらわれてくる「他者」を新しい自分の姿、自分の「肉体」のなかに眠っていたものが目覚めて暴れはじめる(?)と感じながら、その凶暴を楽しんでいる感じがするのである。「息」のなかに「他人」が噴出するとき、それをささえる永島の「肉体」は、永島という限界を超える。超越する。「超人」になる。その歓喜が、自然に「声」にこもり、「声」を励ます。
 --私の書いていることは、あまりにも抽象的で、変なことだとはわかっているのだが、そういう印象なのだ。
 
 長い詩について書くと、私のことばはどこまでも脱線しつづけそうなので、短い詩について感じたことを書いてみよう。「きょうはきのうのあしてたです」。この詩には「二〇〇八年一月碧南市成人式パンフレットに」という注釈がついている。永島が新成人に対して書いた詩なのだろう。この詩のタイトルは、とてもおもしろい。変な表現だが、論理的である。「きょう」はたしかに「きのう」を基準にして言えば「あした」になる。ここでは何を「基準」にするか、その「基準」がゆれている。
 それは、「わたし」を基準にことばが動いていたのが、いつのまにか「わたしの中の他人」を基準にしてことばが動くのに似ている。「わたし」を突き破って「他人」がでてきて、その「他人」が誕生することで「わたし」がかわってしまうのに似ている。そして、「わたし」が「わたし」ではなくなり、「他人」になってしまうのに、そのことばは、「わたし」の「一息」のなかにあらわれるのにそっくりである。--と、書けば、少しは私の書こうとしていることが明確になるかもしれない。
 永島のことばのなかでは「わたし」と「わたし以外のもの=他人」が同居し、「基準」を譲り合いながら(?)動く。そのことばの動きが「呼吸(一息)」のなかで完結というと変だが、ともかく「一息」のなかに、その同居が「混在」する。(混在、ということばをつかったのは、そういう詩があるからである。--この詩についても書きたいことがあるのだけれど、長くなるので省略。)
 で、その「きょうはののうのあしたです」の書き出し。

あなたの朝の海をわたしに売ってください
わたしの星の空をあなたに買ってください

 なんだかよくわからないが、「あなた」と「わたし」、「朝の海」と「星の空」、「売る」と「買う」ということばの往復、交渉が若くて、ロマンチックな感じでいいなあ。「成人式」の詩っぽいなあ、と思う。
 で、じゃあ、何が書いてある? と考えはじめると、この2行がちょっと変だと気がつく。「朝の海」「星の空」を売り買いすることはできない--という意味ではない。その売り買いができるかどうかは、まあ、詩だから、どうでもいいのだ。できると思えばできる。
 おかしいのは2行目である。1行目と比較するとわかる。

あなたの朝の海をわたしに売ってください。

 これが「朝の海」ではなく「林檎」だったら、何の問題もない。わたし「に」売ってくださいという関係が成り立つ。
 けれど、2行目。

わたしの星の空をあなたに買ってください

 「星の空」が「林檎」だったら、どうなるか。あなた「に」買ってくださいは変である。あなた「は」買ってください。あなたは、わたし「から」買ってください。これが「日本語」の「対句」であるはずだ。「売る」と「買う」は、そんなふうにことばの一部を帰ることで対句になくるはずである。けれど、永島は「あなたに買ってください」と書く。
 そして、その日本語が変である、なんだかねじくれているのだけれど、何かわかったような気持ちになるだけではなく、そのねじくれ方のなかに「おもしろいもの」、いままで気がつかッなかった何かがあるように感じるのである。
 
あなたに買ってください

 これを、もし、正しい(?)日本語にするとしたら、何を補足すればいいだろうか。

わたしの星の空を「あなたは」あなた「のため」に買ってください

 そうすると、この2行はほんとう(?)は、

あなたの朝の海を「あなたは」わたし「のため」に売ってください
わたしの星の空を「あなたは」あなた「のため」に買ってください

 ということになるのだろう。
 「左岸」で、私は、永島のねじくれた文体の、そのねじくれの部分に「わたし」が省略されていると書いた。この作品では、文体のねじくれの部分に「あなた」が省略されていることになる。
 このときの「あなた」は「わたし」にとって「他者」なのだが、同時に「わたしたち」に含まれる人間である。成人式で、永島は若い人たちを祝っている。「わたしたち」のなかまとして祝っている。そう考えると「あなた」が「わたしたち」であることがわかる。
 「あなた」は「わたしたち」である。けれど、永島は「あなた」を「わたしたち」そのものに閉じ込めようとはしていない。どこかで違ったいのちであると知っている。
 そして、この「わたしたち」でありながら、「あなた」という「他人」が、永島のこの2行のなかでは、不思議な形で出会い、「息(声)」として、それを「同じもの」の出会いとして「肉体」化しているのだ。

あなたの朝の海をわたしに売ってください
わたしの星の空をあなたに買ってください

 この2行の「文法」はおかしい。「学校教科書」なら、間違っている、といわれるだけである。けれど、その「間違い」は、「わたし」と「あなた」の入れ換え、「朝の海」と「星の空」の入れ換え、「に売ってください」と「に買ってください」の入れ替えのなかで、とても美しい「音」になる。
 「音」そのものの「対句(?)」が、文法の間違いを消し去り、同時に「文法」を超えることばの運動を教えてくる。
 間違える--というのは、とても楽しい。そして、この間違いのなかで、「わたし」と「あなた」は出会い、入れ替わり、新しい何事かを始めるのだ。
 いいなあ。こんなことばに出会って、新成人になれるなんて。うらやましくて、しようがない。
 こんなふうに「わたし」と「あなた」を出会わせるひとがいる街はいいなあ。碧南というのは行ったことがないけれど、行ってみたいなあ。永島に会ってみたいなあ、と思うのである。

あなたの朝の海をわたしに売ってください
わたしの星の空をあなたに買ってください

新しい風紋の道に迷ってしまい
これから始まる出会いや別れの切なさを
誰に告げればよいのだろう

いつも知らないふりをしながら逢っていて
いつも指を結び合いながら

見つめあうふたりの勇気と信頼を
愛しい土地に賭けながら
さわやかに光る旗を夢みていたのです

樹葉から落ちる透明な雫を掌に包み
寂しさで震える川の物語を
遠い昔のように知っておりました

わたしの水の筋肉をあなたに買ってください
あなたの空の野菜をわたしに売ってください




 補足。

あなたの朝の海を「あなたは」わたし「のため」に売ってください
わたしの星の空を「あなたは」あなた「のため」に買ってください

 と、「あなた」ということばを補って説明した部分で、書き漏らしたことがある。ひとは誰でも自分にとってあまりにも密着しすぎていることばを「省略」してしまう。こういう「無意識」にまでなってしまって、ついつい省略されることばのなかにこそ、私はそのひとの「思想」があると思っている。
 「左岸」では「わたし」であった。「わたし」が「思想」であるというのは、まあ、わかりやすいことかもしれない。
 永島の「思想」の特徴は、それが「わたし」に限定されないことである。
 この詩の、「あなた」がそれを証明している。
 永島にとって「わたし」が「肉体」(思想)であると同時に、「あなた」(わたし以外のひと)も「肉体」になってしまっている「思想」なのである。
 その不思議な結合が「長い息」、「息のなかでねじくれることば」となって動いている。





碧南偏執的複合的私言―永島卓詩集 (1966年)
永島 卓
思潮社
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誰も書かなかった西脇順三郎(213 )

2011-04-27 09:16:33 | 詩集
 『禮記』のつづき。
 「《秋の歌》」を読むと、詩はことば、ことばからことばへの飛躍だということをあらためて思う。ことばにはことば自体の「肉体」というか「文脈」がある。その自然を突き破って「わざと」が入り込むと、ことばが「もの」のようにばらばらになって自己主張する。その瞬間が楽しい。

ゴッホの
百姓のあの靴の祭礼が来た
空も紫水晶の透明なナスの
悲しみの女のかすかなひらめきに
沈んでいるこの貴い瞬間の
野原の果てに
栗林が絶望をさけんでいる

 最初のゴッホの靴の絵は、有名な履きつぶされた靴である。「あの」ということばで説明してしまうところが西脇流である。そのあとの「祭礼」。これもまた独特である。「祭礼」そのものが「来た」というのではなく、その靴を(その絵を)「祝福」するというか、何かしらの豊かな気持ち(実感)で思い出す「とき」が来た、実感をもって思い出しているくらいの「意味」なのだろうけれど、その「意味」になるまえのことばを「祭礼」ということばを借りて代用してしまうとき、「祭礼」が「もの」のようにそこで動きだす。「意味」をつくりかえる。この「つくりかえ」の運動に引き出されて、ことばがさらに動きだす。
 「空も紫水晶の透明なナスの」という1行には、西脇の大好きな「紫のナス」(ナスの紫)が出てくるが、その間に「水晶の透明な」ということばが割り込んでくる。そうすると、ここに書かれているのが「ナス」なのか「(紫)水晶」なのか、一瞬、わからなくなる。この混乱・錯乱がことばを自由にする。「文脈」を解放する。
 ここから、ことばが「音」になる。

悲しみの女のかすかなひらめきに

 こんな1行は西脇が書くから1行として成立する。普通なら「意味」が過剰になり、センチメンタルになってしまう。けれど、西脇はこういうことばを「意味」として書かない。「音」として書いている。「か」なしみ、「か」す「か」な、か「な」しみ、かすか「な」。こんなふうに「音」がくりかえされると「かなしみ」と「かすかな」は同じことばの異種(?)という感じがしてくる。「かなしみ」と「かすか」は光の輝き方が違うだけのような感じがしてくる。だから、次の「ひらめき」がとても自然である。「ひらめき」という音のなかには「か行」と、かなしみの「み」に通じる母音「い」がひらめ「き」という形でゆらいでいる。いや「ひらめいている」。

またあの黒土にまみれて
永遠を憧れたカタツムリが死んでいる

 「黒土」にはゴッホの靴の反映がある。「永遠を憧れたカタツムリが死んでいる」の「カタツムリ」にどんな「文脈」が隠されているのか、私は知らないが、「文脈」とは無関係に、私は「音楽」を感じる。
 「あこがれた」「かたつむり」。「が」と「か」、「た」と「た」。キリギリスでも蛇でもカエルでもない。どうしても「カタツムリ」という「音」でないと、何かが違ってくる。そして次の「しんでいる」。この「ん」は「ぬ」の変形であるが、「む」とも「音」が響きあう。だからこそ、「カタツムリ」でなくてはいけないのだ。

青ざめた宇宙のかけらの石ころも
眼をつぶつて夏のころ
乞食が一度腰掛けたぬくみを
まだ夢みているのだ

 「青ざめた宇宙」は、前の行の「宇宙」と対応して「意味」をつくるかもしれない。「意味」を感じる。でも、この「意味」を「青ざめた」ということばで揺さぶるところがおもしろいし--こういう部分にはたしかに多くの人が言っているように「絵画的西脇」を感じる。「色」を呼吸してことばを動かしている西脇を感じる。また、この「青ざめた」は前にでてきた「紫水晶」(の透明)と呼びかけあってもいるだろう。
 ことばが「乱反射」している感じがする。
 そしてその「乱反射」のなかに、「宇宙のかけらの石ころ」という「哲学」を紛れ込ませること--石に宇宙のみるという「思想」を紛れ込ませる瞬間がおもしろい。「宇宙」という巨大なものと「石ころ」という小さなものが衝突する。スパークする。この「スパーク」があるから、「乞食」が生きてくる。
 「乞食」は「乞食」ではなく、「旅人」でもいいし、「百姓」でもいいし、「妊婦」でも、「ひとの体温のぬくみ」という点では変わらないのだが、「乞食」がいちばんびっくりする。驚きがある。「音」が乱暴で、その乱暴な力が、「ぬくみ」の静かな力と出会うとき、そこに「新鮮」があらわれる。
 すぐ前の行の「眼をつぶつて」は「つむつて」でも「意味」は同じだ。また、「ぶ」と「む」は似てもいるのだが、「つむつて」では「こじき」の濁音の強さに拮抗しえない。「つぶつて」という濁音が先にあるから「こじき」がまっすぐに動く。「音」が(そして、その「音」を出すときの声帯の解放感が)まっすぐにつながる。

 一方で高尚な「哲学」と日常の些細な(つまらない)現実存在(もの)が衝突して、精神を活性化させ、他方に、その活性化した動きに対応した「音」の響きがある。「音楽」がある。
 「意味」の衝突、そしてそこから始まる「哲学」(あるいは、詩学、文学)と並列して「音楽」が動いている。「音楽」があるから、「哲学」が重苦しくならない。「音楽」があるから、かっこいい。


西脇順三郎コレクション (1) 詩集1
西脇 順三郎
慶應義塾大学出版会
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