詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

田原「田原詩集(現代詩文庫205 )」(3)

2014-04-14 10:42:07 | 詩集
田原「田原詩集(現代詩文庫205 )」(3)(思潮社、2014年03月30日発行)

 詩集の後ろの方に「訳詩」が載っている。田原が訳した詩ではなく、田原が中国語で書いたものを日本人が訳したもの。それを読みながら、そうか、田原の日本語と日本人の日本語はこんなに違うのか、と思った。
 というのは変な書き方で……。
 財部鳥子訳の「汽車が長江を渡る」を読んだとき、私は、そこに漢詩の翻訳の音楽を感じた。財部は田原の漢詩を訳しているのだから、そこに漢詩の翻訳の音楽があると書いたのでは、何の説明にもならないかもしれないが。
 なんといえばいいのだろう。日本の漢詩翻訳の音楽が踏まえられていて、財部の訳は「現代詩」という感じから少しずれている。「古典」っぽい。出てくるものはたしかに「現代」のものが出てくるのだが、ことばとことばが通い合うときの「音楽」がいままでの漢詩翻訳の音楽に似ている。漢詩のもっている、静かな美しさを引き継いでいるように感じられる。
 それは田原の書いている日本語の「音楽」とはまったく違う。田原の音楽はもっと激しい音に満ちている。静かさとは違う音楽が貫いていると思う。
 そのために、これが田原の詩である、と私には感じられない。財部鳥子の詩そのものとして耳に聴こえてくる。

私はずっと立ったまま車窓から見ていた 東を向いて
昇る朝日が長江を赤々と照らしている
水も砂も泥も岸辺の草木も
一艘の船はあたかも陽光と霧だけを満載しているみたいだ

江の中の 重い逆流は
西へと向かい 這いずる愚かな亀のように
私を乗せた列車は轟音を鳴り響かせて橋を越えようとしている
私の未知なる風景へと向かって西へと 走って行く
船の煙突が吐き出す煙の広がりは
天を低くし大地を圧している

船の運命は太陽と同じく
いま西の空 長江の上流に沈んでゆく

 財部の日本語には「開放感」、いや、何か「ゆったりしている」感じ、「ゆるい」感じがある。
 漢詩(定型詩)には凝縮と開放のぶつかりあいがあって、それがとてもおもしろいが、財部は「開放感」を「ゆったり(広がり)」に置き換える感じで日本語にしていると思う。ここには、漢詩(古典)の日本語の印象がずいぶん反映していると思う。
 書き出しの「私はずっと立ったまま車窓から見ていた 東を向いて」の、1字あきのあとの「東を向いて」ということばのほうりだし方が特徴的だ。(もとの詩を読まずに、私は書いているのだから、私の印象はいいかげんなものだが……。)田原が最初から日本語で書いていたら、こういう「広く、ゆったりした感じ」はないだろうと思う。もっと「切断力」が強く、同時に「粘着力」がある。「東を向く」という動詞が、きびしく動く。東を向いているが東へ進むのではないという感じが強くなる。去っていく、去ることを余儀なくされるという感じが強くなると思う。
 財部の訳にはきびしい何かが書けている。中国の古典の詩人たちの「左遷」のときの「感慨」の調子で、この書き出しを訳している。「左遷」なのだけれど、そこには「文学」の夢があるというような「古典」の感じ、静かな音楽でことばを統一している。「照らす」ではなく「照らしている」、「満載する」ではなく「満載している」という、動詞を直接活用させるのではなく「している」と「状態」にして訳出することで、なんというのだろうか、「動詞(左遷する)」を弱めている。弱めることで、そこに「静か/あるいはさびしい」が入ってくるのを赦している。抒情が紛れ込むのを赦している。
 「東を向いて」も「東を向いている」という感じで財部は訳している。この動詞を状態として訳出する感じが、どうも、田原っぽくない。
 「一艘の船」の「一」に田原の強くきじしいこころ、孤独が反映していると思うのだが、財部の訳ではきびしさがつたわって来ない。「一」が行頭にあって、長いことばにのみこまれてしまうからかもしれない。「一」ではなく「満載」の「満」に意識が動いてしまう。「一」と「満」が「対」になりきれず、「満」のなかに吸収されてしまう。

私の未知なる風景へ向かって西へと 走っていく

 この「未知なる風景」が、財部の訳では何か「未知」のもののきびしさを感じさせない。古典の「左遷」では「未知」は「未知」であっても、何かしらの情報があって、それが左遷される詩人に一種の「文学の夢」を与えた。田原の「西へ向かう」とそれとは違うのではないだろうか。田原には、それはほんとうに「未知(まったくわからない)」という状態ではないのか。そのきびしい不安が、財部の訳からはつたわって来ない。

天を低くし大地を圧している

 この天と大地の向きあい方も「している」という「状態(静止)」のことばによって、なにか静かなものになってしまっている。
 うーん、違うぞ、と感じてしまう。

 これは桑山龍平の翻訳でも感じることである。「作品第一号」。

馬と私は九メートルの距離を保っている
馬は木の杭に繋がれ また
馬車につけられて遠い遠いところへ行くが
馬と私の距離はいつも九メートルである

 「保っている」「九メートルである」という動詞の「静止性」が、どうも田原の呼吸とは違うと感じる。

多くの草が枯れてしまっても
馬はまだ咀嚼しながら清い香りを発散している
その清香も私から九メートルだ

 この「発散している」も「静止」だ。この動詞がどうも、私には田原らしく感じられない。
 反対に、「清香」というのは田原のつかっている熟語(?)なのだろうと思うが、その「清香」という熟語には、私は、田原を強く感じる。「清香」ということばを私は知らないが、意味はわかる。「清い香り」(前の行に出てくる)。「清香」と熟語にしてしまうと「名詞」に見えて、静止している感じがするかもしれないが、私にはこのことばは「名詞」ではない。また、静止ではない。
 「清香」を読んで私が感じるのは、「清く香る(動詞)」か、「香りが清い(用言)」であり、それは動いている。静止していない。だから田原を感じる。
 それが「動く」ものであるからこそ、九メートルという動かない距離と「対句」になる。静止していては「対」にはならず、並んでしまう。そこが、田原のことばになりきれていない。
 最初の引用の「九メートルである」というのも「九メートル」が静止しているのではない。動くことで「九メートルを維持する」というのが田原のことばの運動だと思う。「同じ」に見えるもののなかに「動き」がある。
 それが桑山の日本語では出て来ない。

 うーん、と私は考え込んでしまう。

 しかし、私は財部の翻訳や、桑山の翻訳が間違っているとか、悪いといいたいのではない。そうではなくて、ただ、田原が書いている日本語から感じるものと、財部、桑山の翻訳から感じるものは、私の中では一致しないといいたいのである。田原のことばは、「静的」ではなく「動的」である。「動詞」に対する向き合い方が違う思う。
 これはしかし、田原の日本語を知っているから感じることであって、田原の書いている日本語を読まずに、財部や桑山の訳をはじめて読むのだったら、こいう印象にはならないかもしれない。
田原詩集 (現代詩文庫)
田 原
思潮社
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(23)  

2014-04-14 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(23)          

 「市」は、カヴァフィスの男色の詩である。ここでもカヴァフィスは人間の感情を口語をつかって書きあらわしている。中井久夫は口語を巧みにつかって、こころのなかで起きている「こと」を「動き」として描き出している。

言っていたな「ほかの土地にゆきたい。別の海がいい。
いつか おれはゆくんだ」と。

 書き出しの「言っていたな」の「な」。「な」はなくても意味はかわらない。「な」によって、ことばを思い出しているときのこころの「距離」が浮かび上がる。少し落ち着いてきている。そこに距離があるから、「と」ということばも離れたところにある。倒置法のおもしろさが生きる。恋人が言ったことばよりも、いまそれを思い出しているという「こと」の方に詩の力点が置かれている。書かれているのは、恋人のことばというより、そのことばを思い出すという行為である。
 この詩は、その「思い出す」という行為とともに、去っていった恋人と詩人の違いをことばの調子によって書き分けている。恋人は「おれ」ということばをつかい、

過ごした歳月は無駄だった。パアになった」

 というような俗語をつかう。それに対して詩人は次のように言う。

きみにゃ新しい土地はみつかるまい。

 というような口調だ。「きみには」ではなく「きみにゃ」という砕けた感じ。距離ができたので、少し見下してもいる。

この市はずっとついてまわる。
同じ通りに住んで
同じ界隈をほっつき歩き、
この同じ家で白髪になるだろう。

 「この同じ家」に注目すれば、それは去っていった恋人ではなく、自分自身に向けたことばかもしれない。「ほっつき歩く」という俗語で自分を冷徹にながめている。他人から言われるではなく、自分自身に言い聞かせている。

この市のこの片隅できみの人生が廃墟になったからには
きみの人生は全世界で廃墟になったさ。

 最後の「さ」ということばの、不思議な静かさ。中井のことばの選択の巧みさ。
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