詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

斎藤恵子『夜を叩く人』

2015-11-06 10:02:36 | 詩集
斎藤恵子『夜を叩く人』(思潮社、2015年09月20日発行)

 斎藤恵子『夜を叩く人』の表題作「夜を叩く人」の書き出し。

夜更けにドアを叩く人がいます
 ばむ ばむ ばむ
チャイムが壊れているからです

 この「ばむ ばむ ばむ」は不思議な音だ。私は、こういう音を聞いたことがない。か、どうかは、よくわからない。「ドンドン」「トントン」「コツコツ」。こういう音なら聞いたことがある。か、どうかも、よくわからない。ドアを叩く音がどんな音か真剣に耳を澄ます前に、聞いたことのある「ドンドン」「トントン」「コツコツ」を思い出しているだけである。それは私が聞いた音ではなく、だれかがドアを叩く音をそういうふうに表現しているのを聞き、ドアを叩く音はそういうふうに言うのだと思い込み、かってに「整理」しているだけである。
 犬の泣き声を日本語では「わんわん」と表現するのがふつうだが、英語では「バウワウ」と言うのに似ている。ほんとうに「わんわん」と犬が鳴いているかどうか、真剣には考えずに、みんながそう言うから、そう「聞こえる」だけである。
 斎藤は、そういう「みんなが聞いているから、そう聞こえる」という音ではなく、自分自身の「肉体」で直接、その音を聞いていることになる。
 そのあと。

ドアのガラス越しに宅配便の人の姿が見えました
 夜遅くなって申し訳ありません
ちいさな包みの上にサインをしていたら
配達の人のうしろに
黒い服を着た男がふたり立っているのが見えました

 「見える(見る)」という動詞が出てくる。
 「ばむ ばむ ばむ」は、書かれていないが「聞こえる(聞く)」ということになる。他人の「肉体(慣用表現)」をとおさずに、斎藤の耳で直接、聞く。
 そういう自分の「肉体」で「直接」世界と接する斎藤の「目」は、まず、宅配便の人を「見る」。これは、そこにいる人を「宅配便の人」と「認める」ということだろう。
 そして、配達の人のうしろに

黒い服を着た男がふたり立っているのが見えました

 これは、やはり「目」で「直接」見たものであり、宅配便の人のうしろに、男がふたりいると「認めた」ということなのだが、私がこんなことにこだわるのは、「見えました」の繰り返しが気になるからである。

ドアのガラス越しに宅配便の人の姿が見えました

 この「見えました(見る)」、「いる」「ある」と同じである。宅配の人が「いる」、宅配の人の姿が「ある」。つまり「見る」と「いる」「ある」は重複して言わなくていい表現なのである。
 だから、「黒い服を着た男がふたり立っているのが見えました」は

黒い服を着た男がふたり立っている

黒い服を着た男がふたり見えました

 の、どちらかでかまわないのである。ことばの経済学から言うと、どちらかを省略した方が合理的である。けれど、斎藤は「合理的」であることを拒み、そこに斎藤の「肉体」をしっかりと絡みつかせていく。「肉体」で、「事件」に向き合う。
 起きていることを簡単に「認識」にしてしまわないで、「肉体」で触れて(「目で見る」という動詞をとおして)、そこに起きていることをつかもうとする。「立っているのが見えました」は「肉体」の「直接性」の強調なのである。
 「肉体」は「肉体」を見る。「肉体」は「肉体」の動きに「直接」反応する。

配達の人は黒い服の男を入らせないように
ひじを張りからだでドアのすきまをふさいでくれます
それなのに
先の尖った黒い靴が生きもののように入ろうとするのです

 うーん。
 斎藤が「最初」に「見る」のは、どっちだろう。配達人の後ろから入ってこようとする男(ふたり)だろうか、それともそれ防ごうとする配達人だろうか。
 きっと配達人だろう。「ひじを張り」「すきまをふさぐ」。その「肉体」の「動き」。それを見る。そして、その「肉体の動き」に気づいて、まわりをよく見ると「尖った黒い靴」が「入ろうとする」のが「見える」ということだろう。
 男が入ってこようとする、それを配達人が塞いだ(防いだ)、という順序で書かれていないから。
 で、ここで疑問。
 ほんとうに配達人のうしろに男がふたりいるのか。
 そのふたりの男は、「見えた」と斎藤が勘違いしているだけなのではないのか。
 「尖った黒い靴」を斎藤は書いているが、それは「ふたり」いるはずの、どちらの男だろう。「ふたり」とも入ってこようとしているか。それとも「ひとり」だけが入ってこようとしていて、もうひとりは傍観しているのか。あるいは配達人と同じように、その「ひとり」を押しとどめようとしているのか。
 うーん、もしかしたら、それは「幻覚」? 配達人の姿(入口にひじを張っている)を見て、斎藤が感じたこと?
 それが証拠に、「ひじを張りからだでドアのすきまをふさいでくれます」「先の尖った黒い靴が生きもののように入ろうとするのです」には「見えました」が省略されている。「見ていない」のである。「見る」という「動詞」を省略して「肉体」で「直接」感じ取っているのである。「肉体」全体で、掴み取っているのである。見ていたら、

ひじを張りからだでドアのすきまをふさいでくれ「ているのが見え」ます

先の尖った黒い靴が生きもののように入ろうとする「のが見える」のです

  と「見る」という動詞を書くはずである。

 「耳」で直接「聞く」。他人に頼らず自分の「肉体」で「聞く」。そうすると、ふつうの人が聞くのとは違った「ばむ ばむ ばむ」が聞こえる。
 同じように、「目」で直接「見る」。他人に頼らず「肉体」で「見る」。そうすると、ふつうの人が見るのとは違ったものが「見える」。配達人がドアをひじで押さえるのは、荷物を入れるため、あるいはドアに自分のからだがはさまれないようにするためではなく、背後から人が入ってくるのを防ぐため。その背後の人(隠れている人)は、実は宅配人の背後ではなく、「内部」に隠れているのかもしれない。「内部」に隠れていると感じるというのは、宅配人と隠れている人が「同一人」ということでもある。
 ほんとうは宅配人が入ってこようとしているのではないのか。

夜の冷たい風が吹きます
わたしはからだがふるえてきました
黒い服の男に何かいわれたら
いいなりになるような気がしたのです

 「いいなりになる」のは誰だろう。斎藤か。そうではなく、宅配人だろう。宅配人は内部に「隠れている人」に何かいわれたら「いいなりになる」。誰だって「内面の声」の「いいなり」になってしまう。その結果、斎藤は宅配人の「いいなり」になってしまうかもしれない……。
 そういう「もの/こと」を斎藤は「見ている」。

 このあと、斎藤は、そんなことを感じている「わたし」の「うしろ」に「母」を感じる。宅配人の「うしろ(内面)」に「年配のがっちりした男」と「細く若い男」という「ふたり」がいたように(この部分の引用は省略)、斎藤の「うしろ(内面)」には「母」がいる。その「母」との「やりとり」は省略して、最後、

遠く夜を叩いている音が聞こえてきます
 とむ とむ とむ
生きているから恐ろしい
静かな風が吹いています

 「とむ とむ とむ」は「ばむ ばむ ばむ」よりは「静か(遠い)」感じがする。これも「直接(他人のことばに頼らずに)」、斎藤が聞いた音。
 「他人に頼らず(他人を借りず)」に自分自身の「肉体」だけで「いま/ここ」で起きていることに向き合うと、こんなふうに「幻覚(幻視)」とも「幻聴」とも言えるような、変な世界があらわれる。
 「幻覚」「幻聴」になってしまわないのは、「肉体」が、「幻覚」「幻聴」になろうとする欲望(本能)を抑えるからかもしれない。「生きている」ということは、自分のなかにある「幻覚/幻聴」を抑えながら生きること、そういう「恐ろしい」ことなのだと気づくということかもしれない。
 自分の肉体(ひとりの人間の肉体)のなかには、他人とは同じではない(自分自身とも同じではない)人間がいて、耳を澄まし、目をこらしている。他人のことばでととのえられた「耳/目」で世界と出会っているのではなく、「直接」、世界と出会っている。その「直接」生きている人間(他人のととのえられたことばの背後/内部を生きている人間)を、ほんの少し動かす。それだけで世界はこんなに変わってしまう。

 「さみだれ」にも、不思議な「音」が出てくるが、省略。
 「白粉花」はとても好きな作品だが、同人誌「どぅるかまら」で読んだとき感想を書いたので、これも省略。
 どの作品も斎藤の「肉体」が動き、それが「ことばの肉体」へと静かに変化していくところがあって、とてもおもしろい。



夜を叩く人
斎藤恵子
思潮社


*

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