詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

稲川方人『形式は反動の階級に属している』

2015-11-12 08:53:56 | 詩集
稲川方人『形式は反動の階級に属している』(書肆子午線、2015年10月30日発行)

 私は長い間、稲川方人の詩がわからなかった。平出隆の詩と続けて読んだときだけ「平出には稲川の詩は天才が書いた詩にみえるだろうなあ」と感じた。平出が一篇の詩で書いていることを稲川は一行で書いている。そう感じた。その一行は、他の行を拒絶しているようも感じた。だから、とても苦手だった。私は行と行との関係のなかで「ことばの肉体」を感じるとき、それを詩と思っているからである。
 で、今回の詩集。不思議なことに、一気に読むことができた。そして、おもしろいと思った。「こういう抒情詩がいまもあるのだ」という驚きでもあった。詩集の帯に「抒情の強さ」という文字がみえた。「抒情詩か、なつかしい」と思った。

 稲川の書いていることばを、私が正確に掴み取っているかどうか、わからない。昔の詩を思い出せるわけでもない。たいがいが、記憶することを拒絶するような文脈だったと覚えている。
 ところが、今回の詩集は、巻頭の「いずこへか、鉄橋の影」の書き出し、

きみは螢のいるぼくの手を
見ることはなかったんだと思う

 読んで、音(声)が聞こえる。それがそのまま「肉体」を刺戟してくる。「見ることはなかった」という「否定形」が、否定されたものを強く印象づける。「きみ」は「見ることはなかった」。しかし、私(谷内)は、それを「見る」。いや「見える」。この「見える」は「誤読」である。私は「ぼく(稲川)」の「手」がどういうものか知らない。稲川には会ったことがないから知りようがない。それなのに「見える」。「見た」と錯覚してしまう。
 そういう錯覚(誤読)を誘うものが、この二行にある。「きみ」「ぼく」という呼応。螢を手のひらでつつむ、そしてその手のひらをそっと開いて螢を誰かに見せる。そういうことを私の肉体は覚えていて、その動きを思い出すからである。「手」「見る/見せる」という「動詞」が私(谷内)を「ぼく(稲川)」の「肉体」に重ねる。そうすると、そこに知るはずのない「きみ」さえもが「肉体」としてつながってくる。
 そして「わかった」気持ちになる。この「わかる」はもちろん「誤読」である。「誤読」であるけれど、私たちはきっと「誤読」をしたがる生きものなのだと思う。「誤読」をとおして、自分が生きていることをたしかめるのである。
 その「つながり方」「誤読の仕方」に、たぶん「抒情」というものがある。
 「きみ」「ぼく」に「見なかった」という「否定形」が重なり、その「否定形」につながるかたちで「きみ」の「不在」が浮かび上がる。「不在」は「喪失」でもある。「不在」や「喪失」への思い、それを呼び戻そうとする意識が、たぶん「抒情」である。
 それが「抒情」であるとわかったときから、「わからない」ものは存在しなくなる。そこに書かれていることが具体的にはわからなくても、そこに「感情」があると「わかる」「わかってしまう」。
 詩のつづき。

誰にでもたしかに、
半島のようなこころの澱はあり、
触れまいとしてもそれは、いつでも氷点に達する気がするんだ

 「半島のようなこころの澱」という「比喩」が何をさしているか(どういうこころの状態か)はわからない。「半島のような」という「比喩」が「わかりにくさ」の原因だけれど、「たしかに」と思うときの「肉体」のあり方を思い出すことができる。「たしかに」といわれると、それが「たしかに」なる感じがする。さらに「触れまいしても」という「否定形」が、何かに「触れた」ときの「たしかさ」となって「肉体」を揺さぶる。
 「それは、いつでも氷点に達する」というのは、冷静に考えると何かわからないが、そしてそれが「気がするんだ」ということなら、なおいっそうわからないのだが、「たしかに」という肯定と、「触れまいとして」という否定の結びつきのなかで「肉体」は酔ってしまっていて、もう「批判」する力をなくしている。「わからない」と拒絶する前に「わかりたい」という気持ちがあふれてくる。
 まちがっていたってかまわない。わからなくたって、かまわない。どうせ、他人のこころなんて正しくはわからない。自分のこころだってわからない。まちがってしまう。わからなくても、そこにあることばが指し示しているものを「失われた大切なもの」と思えばいいのだ。それは「たしか」なものなのだ。それが「ある」と信じたいのだ。
 もう少し、補足してみようか。

壊れた温室のなかで素振りしていた
左打ちの中堅手が
最後のバッターボックスに入るのを、
ぼくはひとりで見ていた

 「壊れた」は「失われた」と同じであり、また「否定形」である。「素振り」をしているのは「中堅手」であるけれど、そこには「素振り」する「ぼく(稲川)」の「肉体」が投影されている。というよりも、「中堅手」の「肉体」が「ぽく」に投影され、見つめながら「ぼく」こそが「壊れた温室のなかで素振りしていた」のである。「左打ち」という「特性」は「特性」であることによって「孤立」する。センチメンタルにつながる。そして、その「中堅手が/最後のバッターボックスに入るのを/ぼくはひとりで見ていた」と書くとき、いちばん重要なのは「最後」ではなく、「ひとり」だ。「ひとり」であることによって、「ぼく」は「中堅手」そのものになる。誰かがいっしょに見ていたら「ぼく」ではなく、だれかが「中堅手」になってしまっているだろう。
 「ひとり」であることが、そこに起きたことを「大事なもの」にすると同時に「たしか」なものにする。「ひとり/ぼく」のことばだけが、そのとき起きたことを証言するのである。これが「抒情」だ。

 それにしても稲川の詩(ことば)は、ほんとうにこうだったのか。昔はとても読みにくかったと思う。私はあまりの読みにくさに、もう手元に稲川の詩集を見つけることができない。どこかにあるかもしれないが、見えないところに隠れている。あるいは古本屋に引き取ってもらってしまってないかもしれない。
 なぜ、こんなに読みやすいリズムになったのか。
 推測にすぎないのだが、同じ書肆子午線から出版された古賀忠昭『古賀廃品回収所』と関係があるかもしれない。この詩集は稲川の尽力があって発行されたものである。稲川は、当然、何度も古賀の詩を読んでいるだろう。古賀の詩は口語である。ひたすら、口語である。しゃべったことばが、そのまま「文字」になっている。そこからは人間の「声」が聞こえる。「声」が「肉体」そのものとなって動いている。この口語の力の影響を稲川の今回の詩集は受けているように思える。
 こんなことを書くと稲川に失礼かもしれないが、古賀の口語が書かせた稲川の抒情のようにも思える。

形式は反動の階級に属している
稲川 方人
書肆子午線
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