詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

森本孝徳『零余子回報』

2015-11-11 10:22:56 | 詩集
森本孝徳『零余子回報』(思潮社、2015年10月25日発行)

 森本孝徳『零余子回報』は、読めない。

三月十三日。パーレン。トマのからだもずいぶん縮んだ。一室の、川
屋は(笈は、鳩尾のこぶみが足ぶみをふむたび、纏マらないもののい
ろみが差した朝顔から、☆型に擦りへらされた捌の巻子を)蝸牛を沈
めた。ト二白の倍音にあらいごえがたつ。

 この部分は、いくぶん読みやすいかもしれない。「纏マらない」という漢字、カタカナ、ひらがなの混合にとまどい、「ト二白」がわからないが、なんとなく「わかる」と錯覚する部分がある。
 「笈は、鳩尾のこぶみが足ぶみをふむたび、」は芭蕉の「笈の小文」を意識しているのだろうか。「鳩尾」のなかにある「おち」の「お」の音が「笈」の「お」を繰り返したあと、「ぶみ」「ふむ」「たび」と変化していくとき、旅を擦る芭蕉の姿が見えるような気がする。
 「☆型」からは平出隆が『旅籠屋』(だったかな?)で書いた「☆型のおにぎり」を思い出す。そこにも「旅」が出てくる。
 芭蕉の「笈の小文」、平出隆の『旅籠屋』が「倍音」だというのか、あるいは森本が書くことが「倍音」だというのか、よくわからないが、これは、きっと旅日記なのだ、と思って読むことができる。(誤読することができる)。
 「捌の巻子」というのは「歌仙」を巻いた、その巻紙かもしれないなあ、と思ったりする。
 そうすると、「パーレン」は括弧記号の( )を音にしたものか。そこは本来「水曜」とか「木曜」とか、あるいは「晴れ」「曇り」などの「補記」が書かれるのかもしれないが、それを省略して、省略があることだけをあらわしている。
 わからないまま「いろみが差した」というのは、いろっぽいことばだなあ、とも思う。詩は、意味ではないから、こういう勝手なことを思っていればそれでいいのだと思うけれど、目をひっかきまわすような書き方が、私にはなじめない。私は視力が弱い。だから感じるのかもしれないが、いらいらする。(いらいらも「現代詩」と言えば言えるけれど……。)
 この連に向き合う形で、次の行がある。

三月十七日。パーレン。到頭トマが満ちた。下生え。点綴された辻つ
マたちのこい之ん繞をのんで、客気に三度唇を噛んでもこの、目に留
りやすいうけばこでは凶兆も粗方は(立たない。下生へ。巻子が縺れ
て、かくれて上のうわの空で、上の笈を埋めたトみえて妻の字で)寝
ころんでいる。右記トマの回は柔軟だがその顔は見えなくしてある。

 「到頭トマ」のなかに「トマト」がいて、「辻つマ」のなかに「妻」がいる。「こい之ん繞をのんで」のなかには「こい/恋」があり、「繞」は「めぐる」か「まとう(纏う?)」が、あるいは「じょう、にょう」と読ませるのか、わからないが、「にょう」から「尿」を連想すれば、恋よりも濃密な(濃い)あやしさが「三度唇を噛む」へつながっていく。「下生え」ということばは「陰毛」想像させる。
 読むとは、作者が書いたことばを読むのではなく、読者が(私が)知っていることを読む(肉体が覚えていることを思い出す)ことだと思い知らされるが、これは、とてもめんどうくさい。こういうめんどうくさいことを、詩であると考える気持ちに、私はなることができない。
 もっと簡単でいいじゃないか、と思ってしまう。

 めんどうくささには、もうひとつ理由がある。(あるいは、これは先に書いたことの裏返しかもしれないのだが。)
 「こい之ん繞をのんで」はどう読んでいいのか(声/音にしていいのか)わからないし、「纏マらないもの」「辻つマたちの」の「カタカナ」は声/音にしたとき「ひらがな」とどう違うのか、わからない。私は詩を音読はしないが、肉体のなかでは音が鳴っている。声を出している。ときには実際に声をだすときよりも大声になっているようで、のどが非常に疲れるときがある。
 森本の詩を読むと、その「肉体」がかたまってしまう。音/声が沈黙に変わる。つまずく。それが、私の場合、とても苦痛である。「目」が何度も文字の上を往復するからである。私は網膜剥離の手術をして以来、文字を見る時間を少なくしているが、音が聞こえないと目に負担がかかるのである。
 これは個人的な肉体的事情だが、健康な目のひとは大丈夫なのか。
 ちょっとそれを聞いてみたい気がする。
 聞こえない音/声を聞く(読む)というと、なんとなくかっこいいけれど。そういう目の悪い私が想像できるような答えではなく、目の強いひとならではの、声の反応(声の倍音とでも言えるような和音)を、だれか聞かせてくれないかなあ。


零余子回報
クリエーター情報なし
思潮社

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