トム・マッカーシー監督「スポットライト 世紀のスクープ」(★★★★)
監督 トム・マッカーシー 出演 マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス
マーク・ラファロを除いて、誰も演技しない、というと語弊があるかもしれない。マーク・ラファロはポケットに手を突っ込んで、前かがみになり、下から相手を見つめるようにしてインタビューするという、ちょっと「癖」を出しているが、これは彼が演じている「記者」をコピーしているのかもしれない。ほかの役者たちは、そういう「特徴的」な肉体の動かし方をしない。まるで誰が演じているのかわからない感じで動いている。
で、それが、とっても効果的。
新聞記者であるマーク・ラファロたちは、神父による幼児虐待事件を追っている。被害者をインタビューし、関係する弁護士をインタビューし、加害者だった元神父にもインタビューする。そうして少しずつ「実態」に迫っていくのだが、「実態」と記者は実は無関係。記者が前面に出てしまえば、「実態」がわからなくなる。そういうことを心得ていて、全員が演技することをぐっと抑えている。被害者や弁護士に、「事実」を語らせる。「ことば」で語らせると同時に、「肉体(演技)」で語らせる。彼らの困惑と動揺を引き出す。その揺らぎが明確に浮き彫りになるように、マーク・ラファロたちは「演技」しないのである。
特に被害者が語る「事実」が、華やかなものでもなく、どちらかといえば隠しておきたいことがら、忘れてしまいたいことがらなので、その「語り」はどうしても抑え目になる。抑え目だけれど、それがくっきりと見えないといけない。だからこそ、マーク・ラファロたちは、まるでそこにいないかのように、姿を消す演技をしている。あるのは「語りにくい事実」だけ。「語りにくさ」のなかにある「事実」、「語りにくさ」こそが「事実」であるということを、全員で支えている。
とはいっても映画なので、マーク・ラファロたちも「演技」する。しかし、そのクライマックス(見せどころ)の演技というが、なんと「神父目録(名簿?)」の本をひたすらめくり、そこに「休職」と書かれている人物を抜き出すという、とても地味なもの。みんな定規を持って、左の名前、右端の「休職」という項目を抜き書きする。短いシーンなのだけれど、「スクープ」に取り組むチーム全員が同じことを、様々な場所で繰り広げる。省略してもよさそうだが、省略せずに一生懸命やっている。「演技」ではなく、本気で調べている感じだなあ。同じ肉体の動きが、気持ちをさらに「ひとつ」にまとめあげる。強固にする。
これが、ほんとうにいい。
「真実の追求」なんて言ってしまうとかっこよすぎて、うさんくさい。名簿から「休職」という項目をもつ神父を抜き書きしているとき、彼らは「真実」など追っていない。単なる「事実」を追っている。それも「肉体」で追いかけ、「肉体」で共有している。そこにあるのは「事実」だけ。
「肉体」で「事実」をつかんだあと、それを「ことば」で「真実」に昇華させる。
うーん、うなってしまうなあ。
それにしても、アメリカの新聞記者はすごい。「事実」をひたすら追いつづける。その「持続力」がすばらしい。映画の途中に、9・11のテロ事件も挿入されるが、それは時代のエピソード。大事件があっても、追いかけている「事件」を手放さない。このしつこさ(?)がおもしろい。警察などの「発表」に頼らず、しつこく「事実」を発掘する。人に直接会って、しかも何度もしつこく会って、ことばを聞き出し、そのことばの向こう側にある「事実」をひっぱり出す。「守秘義務」のある弁護士にさえ、しつこく迫っていく。「言えない」ことは「言えない」と言わせることで、その「言えない」の奥に「事実」が隠れていることをつかみとる。最後には、そのしつこさで「事実」を隠しているひとのこころまで動かしてしまう。「事実」を明らかにすることで、自分の生まれ育ったボストンの街に貢献したいんだ、と。かっこいいなあ。
「事件」を追う新聞記者と、現在日本で起きている「安倍政権」べったりのジャーナリズムを比較しても、それは比較にならないと思いながらも、日本のジャーナリズムに、こういう「気迫」はあるかな、と思わずため息の出る映画でもある。マーク・ラファロたちは単に神父の犯罪を明るみに出すのではなく、教会の組織的な犯罪を暴く。いわば、組織に立ち向かう。こういう「気迫」はいまの日本のジャーナリズムにはない。「組織」を批判すると「つぶされる」と弱腰になっている。かなしいね。あ、だんだん映画の感想ではなくなってしまう……。
(天神東宝スクリーン5、2016年04月17日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
監督 トム・マッカーシー 出演 マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス
マーク・ラファロを除いて、誰も演技しない、というと語弊があるかもしれない。マーク・ラファロはポケットに手を突っ込んで、前かがみになり、下から相手を見つめるようにしてインタビューするという、ちょっと「癖」を出しているが、これは彼が演じている「記者」をコピーしているのかもしれない。ほかの役者たちは、そういう「特徴的」な肉体の動かし方をしない。まるで誰が演じているのかわからない感じで動いている。
で、それが、とっても効果的。
新聞記者であるマーク・ラファロたちは、神父による幼児虐待事件を追っている。被害者をインタビューし、関係する弁護士をインタビューし、加害者だった元神父にもインタビューする。そうして少しずつ「実態」に迫っていくのだが、「実態」と記者は実は無関係。記者が前面に出てしまえば、「実態」がわからなくなる。そういうことを心得ていて、全員が演技することをぐっと抑えている。被害者や弁護士に、「事実」を語らせる。「ことば」で語らせると同時に、「肉体(演技)」で語らせる。彼らの困惑と動揺を引き出す。その揺らぎが明確に浮き彫りになるように、マーク・ラファロたちは「演技」しないのである。
特に被害者が語る「事実」が、華やかなものでもなく、どちらかといえば隠しておきたいことがら、忘れてしまいたいことがらなので、その「語り」はどうしても抑え目になる。抑え目だけれど、それがくっきりと見えないといけない。だからこそ、マーク・ラファロたちは、まるでそこにいないかのように、姿を消す演技をしている。あるのは「語りにくい事実」だけ。「語りにくさ」のなかにある「事実」、「語りにくさ」こそが「事実」であるということを、全員で支えている。
とはいっても映画なので、マーク・ラファロたちも「演技」する。しかし、そのクライマックス(見せどころ)の演技というが、なんと「神父目録(名簿?)」の本をひたすらめくり、そこに「休職」と書かれている人物を抜き出すという、とても地味なもの。みんな定規を持って、左の名前、右端の「休職」という項目を抜き書きする。短いシーンなのだけれど、「スクープ」に取り組むチーム全員が同じことを、様々な場所で繰り広げる。省略してもよさそうだが、省略せずに一生懸命やっている。「演技」ではなく、本気で調べている感じだなあ。同じ肉体の動きが、気持ちをさらに「ひとつ」にまとめあげる。強固にする。
これが、ほんとうにいい。
「真実の追求」なんて言ってしまうとかっこよすぎて、うさんくさい。名簿から「休職」という項目をもつ神父を抜き書きしているとき、彼らは「真実」など追っていない。単なる「事実」を追っている。それも「肉体」で追いかけ、「肉体」で共有している。そこにあるのは「事実」だけ。
「肉体」で「事実」をつかんだあと、それを「ことば」で「真実」に昇華させる。
うーん、うなってしまうなあ。
それにしても、アメリカの新聞記者はすごい。「事実」をひたすら追いつづける。その「持続力」がすばらしい。映画の途中に、9・11のテロ事件も挿入されるが、それは時代のエピソード。大事件があっても、追いかけている「事件」を手放さない。このしつこさ(?)がおもしろい。警察などの「発表」に頼らず、しつこく「事実」を発掘する。人に直接会って、しかも何度もしつこく会って、ことばを聞き出し、そのことばの向こう側にある「事実」をひっぱり出す。「守秘義務」のある弁護士にさえ、しつこく迫っていく。「言えない」ことは「言えない」と言わせることで、その「言えない」の奥に「事実」が隠れていることをつかみとる。最後には、そのしつこさで「事実」を隠しているひとのこころまで動かしてしまう。「事実」を明らかにすることで、自分の生まれ育ったボストンの街に貢献したいんだ、と。かっこいいなあ。
「事件」を追う新聞記者と、現在日本で起きている「安倍政権」べったりのジャーナリズムを比較しても、それは比較にならないと思いながらも、日本のジャーナリズムに、こういう「気迫」はあるかな、と思わずため息の出る映画でもある。マーク・ラファロたちは単に神父の犯罪を明るみに出すのではなく、教会の組織的な犯罪を暴く。いわば、組織に立ち向かう。こういう「気迫」はいまの日本のジャーナリズムにはない。「組織」を批判すると「つぶされる」と弱腰になっている。かなしいね。あ、だんだん映画の感想ではなくなってしまう……。
(天神東宝スクリーン5、2016年04月17日)
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