詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金井裕美子『ふゆのゆうれい』

2016-06-23 08:50:33 | 詩集
 金井裕美子『ふゆのゆうれい』(詩的現代叢書、2016年06月29日発行)

 金井裕美子『ふゆのゆうれい』のなかの「ふゆのゆうれい」。

古い宿場町で
『詩人の墓』という詩集を買って
中村屋という鰻屋で
来世の鰻を食べた
食べるまでに一時間を要し
とっぷりと日が暮れて
昔ながらの夕日を想いながら
ごまあえ
にこごり
エビスビール
詩じゃないことばかりしゃべりつづけ
ぽりぽりと音をたてて
お新香の胡瓜と大根を食べた

 四行目、「食べるまでに一時間を要し」。ここに思わず棒線を引いた。これについて書きたい、と思ったのだ。何が書きたいのかわからないが、「書きたい」という欲望が動いた。
 そして、こうやって詩を引用していると、どこまで引用していいのかわからなくなる。「お新香の胡瓜と大根を食べた」という行を転写しているころには、なんだか、「書きたい」という気持ちが消えかけている。
 どうしてかなあ。

食べるまでに一時間を要し

 これが印象的なのは、そこに「詩」というものがまったく感じられないからである。「散文」だからである。それも単にことばを動かしていくためのことばだからである。
 「意味」も、実はよくわからない。鰻が出てくるまでに一時間かかった、一時間待たされたということかな、と思う。あるいは食べ終わるまでに一時間かかったということかもしれない。どっちでもいいが、その「時間」をわざわざ「一時間」と言っているところに、そんなこと詩とは関係ないだろう、どうでもいいだろうというような気持ちが動き、はっとしたのである。
 あ、いま、想像したこととは違う感覚が動いている。詩を読んで感じるだろうなあと思っていたこととは違うことが動いている。この「裏切り」というのか、「突然の出会い」が詩なんだなあと思い、そしてそれがとてつもなくつまらない(?)散文のリズムであることに驚き、それについて書きたいと思ったのである。
 でも。
 その「散文」のことを考えていたら(散文のつくりだす「文脈」のことを考えていたら)、どこまで引用すれば「散文のストーリー」としてまとまるのかが気になりはじめた。さらに、「ごまえあ/にこごり/エビスビール」という詩的名詞(それぞれにイメージをもったことば)のあとにつづくことばが、何か「いやらしい」。
 「食べるまでに一時間要し(た)」という、無機質な感じではなく、何か「意味」がつきまとっている感じがするのである。「散文」になりきれていない。「詩」を指向している、という感じがして、そこが「いやらしいなあ」という印象になる。

 こういう感想は、単なる「感覚の意見」であって、金井にとってはめいわくなことかもしれないが。

 「ごまあえ/にこごり/エビスビール」との関係でいうと「ぽりぽり音をたてて」という一行が「説明的」すぎるのかもしれない。「音をたてて」がなくて「ぽりぽり」だけだったら「お新香の胡瓜と大根を食べた」までのあいだに「切断」が生まれ、ことばが「さっぱり」した感じに聞こえてきたかもしれない。
 もし、そうであるなら。
 うーん、「散文」を詩に持ち込むというのは、なんだかむずかしいぞ。
 そのむずかしいことを「食べるまでに一時間を要し」は楽々とこなしているということかな。
 ふと、私は、その一行に、散文精神を突っ走った石川淳が「連歌」でみせる「句」の力に通じるものを見たのだ。

 「浅葱桜」の書き出しもとてもおもしろい。

死んだ男と連れ立ってお花見に来た
むかし行きたがっていた
文豪が愛した団子屋は見つからなかったけれど
乱歩という喫茶店でコーヒーとココアを注文した

 行替えをせずに、句点「。」でつないで行けば短編小説の書き出しになるかとも思った。「文豪」と「乱歩」が同じ人をさすのかどうかわからないが、ふたつのことばの衝突が意識を立ち止まらせる。このあたりが、「詩」なのだけれど。
 「ふゆのゆうれい」でも「詩人の墓」「中村屋」という固有名詞が、ことばの重しになって、ことばの歩み(リズム)がしっかりする。その感じ、「肉体」に響いてくる何かがおもしろい。

 「置き場」という詩は、とても好きな詩。一度感想を書いたかもしれない。死体置き場のプールのことを書いているのだと思う。

縁に頭がつかえると
鎖骨のくぼみに
ながいながい竿の先が差しこまれて
くいっと押されます

 「散文」なのだけれど、ここでは「鎖骨のくぼみ」とか「竿の先」とか「くいっ」が散文を突き破っている。
 「散文」と「詩」の出合い方が独特で、それがおもしろさの理由かもしれないなあ。


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