渡辺武信「知っている唄」ほか(「現代詩手帖」2016年06月号)
渡辺武信「知っている唄」には「岩田宏に」というサブタイトルがついている。追悼詩である。その一連目、
読みながら、私は、思わず「死の向う側には」という部分に棒線を引いた。「死の向こう側」って、どこ? 「死」そのものが「向う側」ではないのか。
彼岸/此岸ということばがある。
死んだら行くのが「彼岸」。生きているときは「此岸」にいる。
だから「死の向う側」とは「死んだら行くことになっている向う側」ということになる。「向う側」を強調して、ことばを重複させていることになる。あるいは「向う側の死」と言い直すこともできる。これも「向う側」を強調している。
でも、違うかもしれない。「向う側」ではなく、「向う側」ということばが隠していることばをこそ、強調しているのかもしれない。
二連目に、その、一連目では隠されていたことばが出てくる。
「こちら側」。そして、その「こちら側」は「わたしたち」と同義である。
「わたしたちの側/わたしの側/こちら側」から、岩田は「向う側」へ行った。そして、そのとき岩田は「記憶/意味/ことば」を「こちら側/わたしの側/わたしたちの側」に残して行った。
これを渡辺は、さらに言い直している。
岩田という詩人が、膨大な言葉を「わたしたち/こちら側」に「託して」死んだ。このとき「こちら側」にいるのは渡辺だけではない。「わたしたち」だから他の人もいる。渡辺は常に誰かと一緒にいる。誰かと一緒という感覚が「こちら側」に含まれている。「共生感覚」とでもいうのだろうか。
読みながら、「あ、昔は、共同体だったのだ」と思い出すのだ。
で。
ここから、私は、唐突に詩の冒頭に戻る。
この「意味」とはなんだろう。
これは、言い直しだろう。つまり、その二行は
なのだが、これは正確には、
これは、さらに
と読み直すことができる。
こんなことは、私がわざわざ言い直したり、書き直したりしなくてもいいことなのだけれど、なぜ、こんなことを書いたかというと。
「死の向う側」ということばに思わず棒線を引いたとき、そしてそのことばが「こちら側」ということばと強く結びついていると感じたとき、私には、ふいに渡辺武信が見えた気がしたのである。
「ことば/意味/記憶」は「共同体」のなかで「詩」になって生きていたのだ、その「詩」を生きている渡辺が見えたのである。「共同体としての詩」を生きている渡辺の肉体が見えた気がして、とても懐かしくなったのである。
いま、現代詩はかつてのような「共同体」をもっているのだろうか。詩人は「共同体」を生きているだろうか。
「遠い木霊」の一連目。
「ここ」ということばが出てくる。「側」を含まない。(二連目からは「ここ」が「“ここ”」とちょんちょんカッコで表記されている。) 「こちら側」と書いていた渡辺が「ここ」と書いている。それにともない「わたしたち」は「私」と言い直されている。(二連目に「私たち」が出てくるが、これは「私と恋人」である。)
この「こちら側」から「ここ」への変化は大きい。岩田を失って、渡辺は「ことばの共同体」を失ったことに気がついた。孤立しているのだと気がついた。その「孤独」が、強く感じられる。
詩は個人のものだが、そのときの「個人」というのは「共同体」のなかでの「個人」である。詩はそれぞれに孤立したものだが、それはあくまで「共同体」のなかでの孤立というのが、渡辺の「青春」なのだ。
補記
「共同体としての詩」は、たとえば、「どんな功績も宝石に変わらず」の「功績」と「宝石」の語呂合わせの形で「共同性」が書かれている。岩田の得意としたことばの運動だが、それを渡辺は「共有」することで岩田になろうとしている。ここから書きはじめると(あるいは読みはじめると)、また違う感想になるのだが。
渡辺武信「知っている唄」には「岩田宏に」というサブタイトルがついている。追悼詩である。その一連目、
生に意味はない
とまでは言わないが
どんな意味も死の向う側には行けない
どんな功績も宝石に変わらず
どんな商売も生涯は満たせない
奔放に生きて情婦を囲っても
ひとり引きこもって毛布を被っても
順位はつけられずメダルも受けられない
読みながら、私は、思わず「死の向う側には」という部分に棒線を引いた。「死の向こう側」って、どこ? 「死」そのものが「向う側」ではないのか。
彼岸/此岸ということばがある。
死んだら行くのが「彼岸」。生きているときは「此岸」にいる。
だから「死の向う側」とは「死んだら行くことになっている向う側」ということになる。「向う側」を強調して、ことばを重複させていることになる。あるいは「向う側の死」と言い直すこともできる。これも「向う側」を強調している。
でも、違うかもしれない。「向う側」ではなく、「向う側」ということばが隠していることばをこそ、強調しているのかもしれない。
二連目に、その、一連目では隠されていたことばが出てくる。
どんな記憶も生と共に消える
わたしたちは ただ
こちら側に記憶を残していくだけだ
「こちら側」。そして、その「こちら側」は「わたしたち」と同義である。
「わたしたちの側/わたしの側/こちら側」から、岩田は「向う側」へ行った。そして、そのとき岩田は「記憶/意味/ことば」を「こちら側/わたしの側/わたしたちの側」に残して行った。
これを渡辺は、さらに言い直している。
ひとりの詩人 言葉使いが
膨大な言葉の記憶を
わたしたちに託して去った
岩田という詩人が、膨大な言葉を「わたしたち/こちら側」に「託して」死んだ。このとき「こちら側」にいるのは渡辺だけではない。「わたしたち」だから他の人もいる。渡辺は常に誰かと一緒にいる。誰かと一緒という感覚が「こちら側」に含まれている。「共生感覚」とでもいうのだろうか。
読みながら、「あ、昔は、共同体だったのだ」と思い出すのだ。
で。
ここから、私は、唐突に詩の冒頭に戻る。
生に意味はない
この「意味」とはなんだろう。
どんな意味も死の向う側には行けない
どんな記憶も生と共に消える
これは、言い直しだろう。つまり、その二行は
どんな記憶も死の向う側には行けない
どんな意味も生と共に消える
なのだが、これは正確には、
岩田が作り上げた(岩田が語った)どんな意味も死の向う側には行けない
岩田が岩田自身のなかにもっているどんな記憶も生と共に消える
これは、さらに
岩田が作り上げた(岩田が語った)どんな意味も死の向う側には行けない
けれど、岩田が作り上げた意味はこちら側(わたしたちに)に記憶として残る
つまりわたしたちが生きるかぎり岩田は生き続ける
岩田が岩田自身のなかにもっているどんな記憶も生と共に消える
けれど、岩田が語ったことばは意味としてこちら側(わたしたち)に残る
つまりわたしたちが生きるかぎり岩田は生き続ける
と読み直すことができる。
こんなことは、私がわざわざ言い直したり、書き直したりしなくてもいいことなのだけれど、なぜ、こんなことを書いたかというと。
「死の向う側」ということばに思わず棒線を引いたとき、そしてそのことばが「こちら側」ということばと強く結びついていると感じたとき、私には、ふいに渡辺武信が見えた気がしたのである。
「ことば/意味/記憶」は「共同体」のなかで「詩」になって生きていたのだ、その「詩」を生きている渡辺が見えたのである。「共同体としての詩」を生きている渡辺の肉体が見えた気がして、とても懐かしくなったのである。
いま、現代詩はかつてのような「共同体」をもっているのだろうか。詩人は「共同体」を生きているだろうか。
「遠い木霊」の一連目。
死者への想いは遠い木霊に似ている
ここから呼びかけても
相手は答えず私の声だけが還ってくる
「ここ」ということばが出てくる。「側」を含まない。(二連目からは「ここ」が「“ここ”」とちょんちょんカッコで表記されている。) 「こちら側」と書いていた渡辺が「ここ」と書いている。それにともない「わたしたち」は「私」と言い直されている。(二連目に「私たち」が出てくるが、これは「私と恋人」である。)
この「こちら側」から「ここ」への変化は大きい。岩田を失って、渡辺は「ことばの共同体」を失ったことに気がついた。孤立しているのだと気がついた。その「孤独」が、強く感じられる。
詩は個人のものだが、そのときの「個人」というのは「共同体」のなかでの「個人」である。詩はそれぞれに孤立したものだが、それはあくまで「共同体」のなかでの孤立というのが、渡辺の「青春」なのだ。
補記
「共同体としての詩」は、たとえば、「どんな功績も宝石に変わらず」の「功績」と「宝石」の語呂合わせの形で「共同性」が書かれている。岩田の得意としたことばの運動だが、それを渡辺は「共有」することで岩田になろうとしている。ここから書きはじめると(あるいは読みはじめると)、また違う感想になるのだが。
続・渡辺武信詩集 (Shichosha現代詩文庫) | |
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