詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

阪本順治監督「団地」(★★★)

2016-06-08 10:53:51 | 映画
阪本順治監督「団地」(★★★)

監督 阪本順治 出演 藤山直美、岸部一徳、大楠道代、石橋蓮司、斎藤工

 あ、困ったなあ。映画を見ている感じがしない。芝居を見ている感じ……。
 特に、ラストの方のクライマックス(?)の宇宙船が団地の上空にあらわれ、その後、藤山直美、岸部一徳が宇宙船に乗り込み、大楠道代、石橋蓮司が見えない相手に向かって大声で会話するシーン。舞台なら感動するだろうなあ。特に藤山直美の演技がすばらしい。山の中を「舞台(板の上)」に変えてしまっている。観客が見ている、その視線を感じながら、それを「肉体」で吸収し、ストーリーに転換し、「肉体」から発散する感じ。うーん、芝居小屋なら感動してしまうだろうなあ。でも、私は映画を見ている。スクリーンで、こんなふうに目の前に観客がいることを前提とした演技をされてもなあ。ちょっと、醒めてしまう。
 随所に、こういうシーンがある。
 藤山直美がパート先のスーパーの店長に叱られて、裏口でレジを打つ練習をするシーンは、とても好きだなあ。洋服の柄のボーダーをバーコードに見立て、「ぴっ」「細かいのをお持ちですか?(小銭をお持ちですか?)」「ありがとうございます」というような、動作をくりかえす。それを大楠道代が盗み見するのだが、見られていることを知らずに、無心に、淡々と、無表情にやっている。そのときの「全身感」がすごい。体のどの部分もしっかりスーパーのなれないレジ係のおばさんになっている。どうしてレジで働かなければならないのか、ということまで感じさせてくれる。このシーンなど、舞台が暗くとけてゆき、一点、スポットライトがあたったなかで藤山直美が演技する感じだなあ。
 団地で、みんなの噂話を聞いて、それから階段を上りはじめるシーンや、向かいの部屋の少年が「ガッチャマン」を歌うのを聞いて、「きれいな歌だったよ」と励ますときの感じも、アップなのだけれど、全身感がある。(アップだったせいか、ここは「映画」を見ている感じがした。観客に向かって演技をするのではなく、共演者に向かって演技をしている感じがした。その「共演」の「共」のなかに引き込まれていく感じ。--これが、「映画」の感じ。)
 で、この「共」の感じがいちばん出ているのが、漢方の薬をつくるシーン。岸部一徳とふたりで薬草を切ったり、煎じたりしながら、「丸薬」にする。その過程が、ことばで説明されるわけではなく、淡々と手作業がくりかえされる。「泥まんじゅう」のようなものをつくり、それを伸ばし、奇妙な洗濯板みたいなものに挟んで、一個一個にする。その作業がおもしろい。途中で、岸部一徳が部屋の温度、湿度を気にして除湿を指示したりするところなんかも、「無意味」になりきっていて、楽しい。「詩」になっている。ストーリーなのに、ストーリーを突き破って、二人の動きとものの変化が生きている。とても「濃密」な空間と動きがスクリーンを支配し、そこにのみ込まれていく。
 岸部一徳が疲れ切って、半分眠りながら、藤山直美にもたれかかるようにして薬をこねる(?)ところなども、真似してみたくなる。このひとは、こういうひとなんだ、と受けとめて、もたれかかる岸部一徳を受けとめながら、そのまま仕事をつづける藤山直美の姿は、あ、これがこの夫婦の「形」なのだ、と感じさせる。「歴史」というか、いっしょに暮らしてきた「時間」が、叩いてもこわれない感じで噴出してきている。
 でも、やっぱり全体が「芝居」だなあ。「映画」じゃないなあ。
 原因はなんだろう。登場人物が少なすぎる。いや、出演者が少ないというのではなく、そこには実際にスクリーンに映る人の数だけした人間がいない、というのが問題なのだと思う。姿をあらわさないけれど、そこにはたくさんのひとが生きている、という「団地感」が希薄なのである。それぞれの登場人物は「過去」を持ってい動いているけれど、その「過去」の持ち方が、「自分の過去(夫婦の過去)」という形でしかない。「噂話」という横のつながりがあるけれど、その「横」が登場している人物の外へ広がっていかない。テレビ局や警官も出てくるが、どうも「背後の組織」が感じられない。役者たちがみんな「映画」の演技ではなく、「芝居」の演技をしている。
 「芝居」というのは、それが「架空」のものであることを観客は了解済みである。限られたひとしか舞台の上にあらわれない。舞台の上の「現実」は架空のもの、書き割りである。「現実」を省略して、エッセンスをみせているということを、観客は了解している。
 でも、映画は違うね。そこに描かれる舞台、たとえば団地が「架空」の団地であったにしろ、その建物はセットではなく、本物。それぞれの部屋の中には、それぞれの生活があり、ひとが生きている。その感じが、どうも伝わってこない。
 藤山直美、岸部一徳は「いま/ここ」ではなく、「過去」そのものとつながって、たまたま「ここ」にいるだけだから、それはそれでいいのだが、周囲が、ずっーとそこに住んでいるという感じ、そのまわりに他人とのいろいろな関係がある、という感じがしない。藤山直美ショウと思えばいいのかもしれないが、どうも不全感が残る。
 不思議な青年の「ごぶさたしています」を「ごぶがりです」というギャグなども、舞台なら客席からの笑いの反応があり、その反応にあわせて役者が次の演技の呼吸(間合い)をはかるのだが、映画では役者と観客の呼吸のやりとりがないので、どうも醒めてしまう。私は藤山直美の舞台をみたことがないのだが、この映画は舞台にするととてもおもしろいと思う。舞台で、この映画を見てみたい。ぜひ、舞台化してもらいたい。
                      (KBCシネマ1、2016年06月05日)





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