監督 デビッド・ベンド 出演 オリバー・マスッチ
ヒトラーが現代のドイツにタイムスリップしてきて、現代の社会に対して苦情を言う。それは現代のドイツ人が内心思っていることと重なる部分がある。そのために、テレビ、ネットで大受けする、というストーリー。これを半分、ドキュメンタリーのようにして表現している。ヒトラーをとりまく市民が役者なのか、ほんとうの市民なのか、よくわからない。テレビの画像が揺れる、電波が乱れる、画像の一部にモザイクをかける。さらには、実在の党首とのインタビューまである(字幕から判断したのだが……)。虚実、入り乱れるのである。
そこから「わかる」ことは、人はだれもが「自分のことば」を持っているわけではないということだ。言いたいことがある。でも、どうやって言えばいいのかわからない。そのどうやって言えばいいのかわからないことを、誰かがことばにしてくれると、考えることをやめて、そのことばに頼ってしまう。
こういうことは言ってはいけないことになっているが、言っているひとのことばに触れると、そこに「真実」があるように気がしてくる。何よりも自分の言えないことを言ってくれている気がしてくる。自分の気持ちが「正しい」と言われた気になってしまう。
ヒトラーが犬を飼育している人とやりとりするシーンなど、何とも不気味である。もし、シェパードとダックスフントが交配して子犬が生まれる。そうすると、どうなる? すぐれたシェパードがいなくなる。犬を人間の「比喩」にすること自体、完全に間違っているのだが、「比喩」はとてもわかりやすい。わかりやすいから、それが「正しい」と勘違いもしてしまう。
そういうシーンを見つづけていると……。
ここに描かれていることが、ドイツの問題を通り越して、日本の問題にも見えてくる。情況が複雑になりすぎて、その情況を自分のことばでどう言えばいいのかわからないということが増えている。そういうとき、誰かが「大声」を出すと、それが「正しい」もののように思えてくる。「正しい」かどうかを吟味せずに、その「声」にしたがって、自分の「声」をあわせてしまう。
いまドイツは他のヨーロッパの国と動揺に難民(移民)問題をかかえている。日本の「難民/移民問題」は安倍政権が難民を受け入れていないせいもあって、それほど顕在化しているようにはみえない。しかし、ヘイトスピーチが問題かしているように、「異民族差別」には根深いものがある。
ヘイトスピーチの横行を見ると、他者(意見の異なる人間)への憎しみをあおることで、安倍は政治の失敗を隠そうとしているように思えてならない。アベノミクスが成功し、経済が順調に成長しつづけていれば、国内に中国人や韓国人が何人いようが、そんなことは気にならない。中国人、韓国人、さらには他の国から日本にきているひとが、どんな暮らしをしているか気にならない。多くの外国人が日本の経済を支えていることに感謝こそすれ、憎むというとはおきないだろう。
安倍政権は、ヘイトスピーチを広げることで、言論の「内戦」をあおっているように思える。ヘイトスピーチを拡大し、それを「内戦」から、外国との戦争にまで拡大しようとしているように思えてならない。
安倍政権が、中国、北朝鮮を「仮想敵国」として(安倍に言わせれば「仮装」ではないかもしれないが)戦争法を成立させるなど、差別をあおり、ヘイトスピーチを支援している側面があるので、問題は映画に描かれたドイツの「内情」より深刻かもしれない。(少なくとも、ヨーロッパでは「政権」が「難民/移民」を「積極的に拒絶する」という姿勢をとっていない。「どうやって受け入れるか」「受け入れを持続する」ためにどうするかが課題になっているように見える。)言論の「内戦」から武器をつかった「戦争」へと人間の対立を深刻化させ、同時に言論の自由、精神の自由を奪い、国民を支配を強化するという「作戦」が徐々に具体化している日本の方がはるかに危険かもしれないと思う。
安倍をヒトラーに見立てるイラストや写真はあふれているが、安倍をヒトラーとして映画化するという企画、テレビ化するという企画は、日本では成り立たないだろう。
あ、少し映画から離れすぎたかな?
映画に戻って、私がいちばん驚いたのは、万年副編集局長だった男が策をろうしてテレビの編集局長になったあとのシーン。やることなすこと失敗して視聴率が落ちる。そして、いらだって側近に当たり散らす。そのシーンはブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた映画の、ヒトラーが側近に当たり散らすシーンの再現なのだが、そのシーンが始まる寸前から、劇場内に笑いが広がった。それまでは、あちらこちらで単発の笑い声が漏れただけだったのに、このシーンでは、方々で笑いが上がるのだ。ヒトラーの最期として有名な「事実」なのかもしれないが、こんなに笑い声が多いとは思ってもいなかった。ここで笑うなら、もっとほかで笑うシーンがあるだろうと思うのだが、どうしてだろう。私が見たときだけの観客の反応だろうか、それともどこでも同じなのだろうか。とても気になった。
(天神東宝6、2016年06月18日)
*
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映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
ヒトラーが現代のドイツにタイムスリップしてきて、現代の社会に対して苦情を言う。それは現代のドイツ人が内心思っていることと重なる部分がある。そのために、テレビ、ネットで大受けする、というストーリー。これを半分、ドキュメンタリーのようにして表現している。ヒトラーをとりまく市民が役者なのか、ほんとうの市民なのか、よくわからない。テレビの画像が揺れる、電波が乱れる、画像の一部にモザイクをかける。さらには、実在の党首とのインタビューまである(字幕から判断したのだが……)。虚実、入り乱れるのである。
そこから「わかる」ことは、人はだれもが「自分のことば」を持っているわけではないということだ。言いたいことがある。でも、どうやって言えばいいのかわからない。そのどうやって言えばいいのかわからないことを、誰かがことばにしてくれると、考えることをやめて、そのことばに頼ってしまう。
こういうことは言ってはいけないことになっているが、言っているひとのことばに触れると、そこに「真実」があるように気がしてくる。何よりも自分の言えないことを言ってくれている気がしてくる。自分の気持ちが「正しい」と言われた気になってしまう。
ヒトラーが犬を飼育している人とやりとりするシーンなど、何とも不気味である。もし、シェパードとダックスフントが交配して子犬が生まれる。そうすると、どうなる? すぐれたシェパードがいなくなる。犬を人間の「比喩」にすること自体、完全に間違っているのだが、「比喩」はとてもわかりやすい。わかりやすいから、それが「正しい」と勘違いもしてしまう。
そういうシーンを見つづけていると……。
ここに描かれていることが、ドイツの問題を通り越して、日本の問題にも見えてくる。情況が複雑になりすぎて、その情況を自分のことばでどう言えばいいのかわからないということが増えている。そういうとき、誰かが「大声」を出すと、それが「正しい」もののように思えてくる。「正しい」かどうかを吟味せずに、その「声」にしたがって、自分の「声」をあわせてしまう。
いまドイツは他のヨーロッパの国と動揺に難民(移民)問題をかかえている。日本の「難民/移民問題」は安倍政権が難民を受け入れていないせいもあって、それほど顕在化しているようにはみえない。しかし、ヘイトスピーチが問題かしているように、「異民族差別」には根深いものがある。
ヘイトスピーチの横行を見ると、他者(意見の異なる人間)への憎しみをあおることで、安倍は政治の失敗を隠そうとしているように思えてならない。アベノミクスが成功し、経済が順調に成長しつづけていれば、国内に中国人や韓国人が何人いようが、そんなことは気にならない。中国人、韓国人、さらには他の国から日本にきているひとが、どんな暮らしをしているか気にならない。多くの外国人が日本の経済を支えていることに感謝こそすれ、憎むというとはおきないだろう。
安倍政権は、ヘイトスピーチを広げることで、言論の「内戦」をあおっているように思える。ヘイトスピーチを拡大し、それを「内戦」から、外国との戦争にまで拡大しようとしているように思えてならない。
安倍政権が、中国、北朝鮮を「仮想敵国」として(安倍に言わせれば「仮装」ではないかもしれないが)戦争法を成立させるなど、差別をあおり、ヘイトスピーチを支援している側面があるので、問題は映画に描かれたドイツの「内情」より深刻かもしれない。(少なくとも、ヨーロッパでは「政権」が「難民/移民」を「積極的に拒絶する」という姿勢をとっていない。「どうやって受け入れるか」「受け入れを持続する」ためにどうするかが課題になっているように見える。)言論の「内戦」から武器をつかった「戦争」へと人間の対立を深刻化させ、同時に言論の自由、精神の自由を奪い、国民を支配を強化するという「作戦」が徐々に具体化している日本の方がはるかに危険かもしれないと思う。
安倍をヒトラーに見立てるイラストや写真はあふれているが、安倍をヒトラーとして映画化するという企画、テレビ化するという企画は、日本では成り立たないだろう。
あ、少し映画から離れすぎたかな?
映画に戻って、私がいちばん驚いたのは、万年副編集局長だった男が策をろうしてテレビの編集局長になったあとのシーン。やることなすこと失敗して視聴率が落ちる。そして、いらだって側近に当たり散らす。そのシーンはブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた映画の、ヒトラーが側近に当たり散らすシーンの再現なのだが、そのシーンが始まる寸前から、劇場内に笑いが広がった。それまでは、あちらこちらで単発の笑い声が漏れただけだったのに、このシーンでは、方々で笑いが上がるのだ。ヒトラーの最期として有名な「事実」なのかもしれないが、こんなに笑い声が多いとは思ってもいなかった。ここで笑うなら、もっとほかで笑うシーンがあるだろうと思うのだが、どうしてだろう。私が見たときだけの観客の反応だろうか、それともどこでも同じなのだろうか。とても気になった。
(天神東宝6、2016年06月18日)
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