詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

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自民党憲法改正草案を読む(12/最終回)

2016-07-10 09:06:42 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党憲法改正草案を読む(12/最終回)(2016年07月10日)

 「第九章 緊急事態」については、さまざまなところで問題視されている。

(自民党憲法改正草案)
第九章緊急事態
第九十八条
内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

第九十九条
緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

4緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 この条項でいちばん問題なのは、「主語」が突然「内閣総理大臣」になることである。憲法は、常に「国民」を「主語」としてきた。

(現行憲法)
第六十七条
内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。
(改正草案)
第六十七条
内閣総理大臣は、国会議員の中から国会が指名する。

 現行憲法の「内閣総理大臣は」は「主語」ではなく「テーマ」。「テーマ」だからこそ「これを」という形で反復されている。実際の「主語」は「国会議員」。「国会議員」が「議決し」、その議決にしたがって指名される。そして「国会議員」というのは国民によって選ばれた存在であるから、そのときもほんとうの「主語」は「国民」である。国民が議員を選び、その議員が国民の「意思」をくみ取る形で総理大臣を指名する。
 内閣総理大臣は、憲法の「主語」にはなりえない存在なのである。そのことを「改正草案」は無視している。
 これにと同じことは、「改正草案」の第五十四条でも、あった。

(改正草案)
第五十四条
衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。

 「国会」のことを定めている条項に、突然「主語」として「内閣総理大臣」が闖入してきている。「教育の義務」を定めた条項(国民が主語の条項)に、突然「国」が「主語」として闖入してきたのにも通じる。
 私は憲法学者でも法律家(法律の専門家)でもないが、こんなおかしな「憲法」はありえないだろう。ひとつのことがらを「定める」とき、「主語」は常にひとつでないとことがらが複雑になりすぎる。
 「ひとつの文(条項)」に「ひとつの主語」というのは、「法」の基本なのではないか、と私は感じている。

 こういう乱暴な「文体」で「憲法」をつくるから、あとは、もうでたらめである。(現行の憲法の文章を「日本語ではない」というひとがいる。安倍もそう考えているかもしれないが、私の見るかぎりでは、改正草案の日本語の方が、まるででたらめである。非論理的で、法になじまない。「主語」が乱れ、「主語」があいまいに隠されている。法は主語と述語を明示し、論理的でないと、判断の「基準」になりえない。)

 改正草案は「でたらめな文体」と「ずるい文体」をかきまぜて、「あいまい」な部分を多くつくり出している。
 「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」とある。「緊急事態」は「法律で定める」とあるから、まだ何が緊急事態であるかは決まっていないのだが、「外部からの武力攻撃」と「地震等による大規模な自然災害」のあいだにはさまれた「内乱等による社会秩序の混乱」というのが、ずるくて、あいまいである。
 「外部からの武力攻撃」と「地震等による大規模な自然災害」は「社会の内部」で起きることではない。だから、それを「緊急事態」と定義するのは、わりと簡単である。しかし、「内部の変化」は定義しにくい。何を「内乱」と呼ぶかはとても難しい。「内部の変化」は当然、それまでの「秩序の変化」でもある。そうすると、それまでとは違った「秩序」が生まれたとき、それは「内乱」になってしまう。
 たとえば選挙で国会議員の自民党と共産党の議席数が逆転したとき、あるいは逆転しそうなとき、それは自民党にとっては「秩序の否定/混乱」になるだろう。そういう「結果」を引き起こす「選挙運動」が展開されたとき、それは「内乱」と呼ばれるかもしれない。選挙結果が自民党の敗北を引き起こしそうとわかったとき(予測されるとき)、「内閣総理大臣」は、それを「内乱」と定義し、「緊急事態」を「宣言」することができる。
 三月に安倍内閣は「共産党は破防法の調査対象である」と閣議決定したが、こういうことが「日常的」に、内閣総理大臣の「独断」で起きることになる。これは「思想及び良心の自由」を侵害する行為である。
 「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」や「衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。」は選挙の廃止であり、国民の基本的人権を侵すものだ。

 「緊急事態条項」の創設の影で、とんでもない「改正」もおこなわれている。

(現行憲法)
第十一章最高法規
第九十七条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 改正草案では「第九十七条」の全文削除されている。「憲法が基本的人権を保障する」という部分が全部削除されている。これは「基本的人権」を認めないということである。
 改正草案では「この憲法は、国の最高法規」という部分だけを踏襲している。
 「基本的人権」を認めない上に、

(改正草案)
第百二条
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

 国民に憲法を尊重する義務を押しつけている。憲法は国民が守る(尊重する)ものではなく、権力が守らなければならないものである。
 国民は憲法を守らなくてもいい根拠として、現行憲法の第二十二条をあげることができる。

(現行憲法)
第二十二条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

 「国籍を離脱する」、つまり「日本国民でなくなる」 権利(自由)をもっており、それを「国」は「侵してはならない」。これは、憲法を守らなくていいという「証拠」である。「憲法」が気に食わない、「憲法」を遵守する気持ちがないなら、日本国籍を離脱し、自分の「理想の憲法」を持っている「国」へ行っていい、と言っているのである。

 では、憲法はだれが守るのか、尊重するのか。だれが憲法を守らなければならないのか。

(現行憲法)
第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
(改正草案)
第百二条
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

 現行憲法は、憲法を遵守しなければならない人間として「天皇、大臣、議員、裁判官」などの「公務員」(天皇は公務員ではないが)をあげているが、国民をあげていない。これは憲法が「国(権力)」を縛るものだからである。憲法は国民を縛るものではないから、国民に「遵守義務」はないのである。
 改正草案は、「国民」をつけくわえ、天皇を除外している。天皇は「元首」と定義されているから、憲法を超越した存在ということか。ここがいちばん違う。
 それと同時に注目したいのは、現行憲法の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官」という順序が、改正案では「国会議員、国務大臣、裁判官」となっていることだ。国務大臣(行政府)の方が国会議員(立法府)よりも憲法を遵守するよう求められている度合いが低い。言い換えると、内閣(行政府/大臣)は国会議員よりも遵守の度合いが低くていい(?)という感じなのだ。
 自民党の改正草案は、権力の実際の運用機関(内閣/大臣)を法で拘束する前に、国会議員を拘束する。第一項あわせて考えると、改正草案は、

 国民を拘束し(基本的人権を剥奪し)、次に国民が選挙で選んだ国会議員(国民の代表)を拘束し、内閣(行政府)が「独裁」をふるいやすいように改正しているのである。

 前後するが、「改正」の章の変更も見落としてはならない。

(現行憲法)
第九章改正
第九十六条
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
(改正草案)
第十章 改正
第九十六百条
この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で、国会が、これを議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民投票において、有効投票の過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。

 手順がかなり違う。現行憲法は「憲法改正」は「国会の三分の二以上の賛成」で「発議し」、国民が「承認する」。改正草案では、「発議する」ときの「条件」が明記されていない。「条件」がない。「ひとり」が「発議」してもいいことになる。それを「過半数の賛成」で「議決し」、その結果を国民が承認する。
 国会内での審議、議決が「改正草案」では簡単である。ハードルが低い。
 現行憲法では、あくまで国会は発議し、国民が承認する、過半数で「可決/承認」するのだが、改正案では国会が「議決」までしてしまう。「議決」した結果を国民が「承認」する。「承認させる」と言い直した方がいいかもしれない。「国会」が「議決」しているのに、それを否定するのは「公の秩序を乱す」ことになる。「内乱」になる。
 さらに成立の基準も、改正草案では「有効投票の過半数」と低くしている。無効票が大量にあれば、有効票が少なくなる。それだけ「過半数」の基準が低くなる。ここでも「改正」のハードルは低められている。
 公布について定めた第二項にも重大な変更がある。
 現行憲法には「国民の名で」という文言がある。これは「憲法は国民のもの」という意識があるから、そういう文言があるのだ。改正草案には、これがない。つまり、改正草案は憲法を「国民のもの」と考えていない証拠がここにもある。

 自民党は、憲法を改正するとき、まず「改正」の部分から手をつけるだろう。「戦争の放棄」や「緊急事態」に比較すると、激論になる度合いが低い。なによりも「手続き」の問題なので、国民には「自分の生活と直結する」という感じがしない。「反対」運動が起きにくい。
 しかし、ここに罠がある。
 いったん「改正」が、「衆議院又は参議院の議員の発議により」となってしまうと、先に書いたように「ひとり」の発議でも審議がはじまることになる。そして「過半数」で「議決」まで進んでしまう。「発議されたもの」を承認するというのと、「議決されたもの」承認するというのでは、国民の側の「議論/検討」にも差がでてきそうだ。「有効投票の過半数」というのも「接戦」になったとき、「過半数」の分母が小さくなるからハードルが低くなる。
 そして、いったん一部でも「改正」されると、あとは雪崩を打って、次々に「改正」がつづき、全面改正になる。

 「緊急事態条項」だけではなく、細部に罠が張り巡らされていることを、憲法学者や法律家、さらには国会議員はもっともっと「街頭」に出てアピールしてほしい。「緊急事態条項」がなくても、国民を支配するための「改正」が随所におこなわれている。しかも、「保障」を「保証」に変えたり、「個人」を「人」に変えたりと、目をこらさないと見落としてしまいそうな「小さな文言」の変更がある。「文言」自体は「小さい変更」だが、「内容」ががらりと変わるものがある。
 参院選の報道のように、テレビを初めとするマスコミは、こういうことを報道しなくなっている。安倍の代弁者になっている。
 マスコミを通じてではなく、直接、国民に訴えることが「識者」に求められていると思う。「識者」の「声」を私は「街頭」で聞きたい。直接聞きたい。「対話」のなかで、私は私が見落としているものを学びたい。


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自民党憲法改正草案を読む(11)

2016-07-10 08:17:54 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党憲法改正草案を読む(11)(2016年07月10日)

 第四章国会
(現行憲法)
第四十一条
国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第四十二条
国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第四十三条
両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
(自民党憲法改正草案)
第四十一条
国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。
第四十二条
国会は、衆議院及び参議院の両議院で構成する。
第四十三条
両議院は、全国民を代表する選挙された議員で組織する。

 「改正」は字句に限られている。ここでも「これを」を改正草案は削除している。「これを」は何度も書くが、「主語」というよりも「テーマ」を明確にすることばである。改正草案は「テーマ」を意識させないように「これを」を削除している。
 現行憲法の「テーマ」性を強調して言い直すと、

第四十一条
国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である「と憲法は定める」。
第四十二条
国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する「と憲法は定める/構成されることを憲法は保障する/構成されなければ国会とは認めない」。

 ということになるだろう。そこに「国(権力)」が介入することを拒否している。
 で、この「国会」の部分の改正草案でいちばんびっくりしたのが、第五十四条である。

(現行憲法)
第五十四条
衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。
(改正草案)
第五十四条
衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。
2 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を
行い、その選挙の日から三十日以内に、特別国会が召集されなければならない。

 改正草案は「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。」と書いている。「解散」については、私の記憶では(中学校で憲法でならなっとき教わった記憶では)、第五章 内閣の第六十九条に定められている。

(現行憲法)
第六十九条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

 内閣が不信任されたときは、衆議院を解散し、選挙で信を問い直す(国民の信を確認して、不信任に対抗する)か、総辞職して内閣を他の党(他の人)に明け渡す。それはあくまで「不信任」に対抗する「手段」であると習った記憶がある。
 総理大臣が自分勝手に「解散」などしてはいけない。
 けれど、いつのまにか総理大臣が「解散権」を行使するようになった。その「根拠」は、私の読むかぎり「現行憲法」にはない。それを改正草案ではつけくわえている。つけくわえることで、いつでも総理大臣が自分の都合で「解散」できることになる。
 これは、「議院内閣制」に反しないのか。
 現行憲法「第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、」「第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」を無視することにならないのか。国民は選挙によって「国会」に意見を反映させる、「国会」は国民を意見を踏まえて「内閣」を構成するという「順序」が逆にならないか。内閣総理大臣が、恣意的に国会を操作してしまうことにならないか。
 次の改正案も、非常に気になる。

(現行憲法)
第六十三条
内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。
(改正草案)
第六十三条
内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、議案について発言するため議院に出席することができる。
2 内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。

 現行憲法は、答弁、説明を求められたときは総理大臣や他の大臣は「出席しなければならない。」と定めている。これに対して改正草案は「職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。」と追加している。つまり「出席しないこともある」ということ。「職務の遂行上」というのは便利なことばである。ほんとうに重大事が起きたときは、国会に出席していられない。たとえば、東日本大震災などの場合、国会に出席して答弁するよりも先に、事態に対応することの方が急務だろう。こういうときは、国会の方も理解して、議事などしないだろう。
 しかし。
 現実を見てみると、少し違う。熊本地震が起きたとき自民党が主導して国会を開き、「TPP」について審議しようとした。野党から批判を浴び、一日で審議は見送りになった。しなければならない「職務の遂行」をないがしろにした。地震で混乱している期間に、審議を強行し、批准まで持ち込もうとしたのだろう。国民よりも、「政策」を優先させたのである。
 そういう「運用」をみると「職務の遂行上」というのは、かなり恣意的に範囲を変更できる。ときには、「答弁してしまうと、職務が遂行できなくなるから、答弁しない。職務の遂行上、出席しない」ということも起きうる。
 戦争法にしろ、TPPにしろ、安倍は「丁寧に説明する」と口先では言うが、一度も説明などしていない。「秘密保護法」もある。その問題は秘密保護法の対象なので、職務の遂行上、答弁できない(出席しない)ということが、どんどん起きてしまうだろう。
 憲法は国(権力)の暴走をとめるためのものなのに、安倍は、権力を思うがままに動かす(独裁を進める)ために、憲法を改正しようとしている。 

 「内閣」で気になるのは、もう二点。

(現行憲法)
第六十五条
行政権は、内閣に属する。
(改正草案)
第六十五条
行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する。

 こちらを先に書くべきだったかもしれないが……。
 改正草案で「この憲法に特別の定めのある場合を除き、」とは何だろう。そして、この挿入は、「この憲法に特別の定めのある場合」は「内閣」以外のどこかに「行政権」が属することになるが、それは、どこ?
 国会? 裁判所(司法機関)? あるいは、警察?
 まさか。
 「内閣」というのは「ひとり」ではない。第六十六条にあるように「内閣総理大臣及びその他の国務大臣」によって組織される(現行憲法)。(改正草案は「組織」ではなく「構成」という表現をつかっている。)「内閣」とは「組織」(機関)である。そこには「複数」の人間がいる。その「複数」を「憲法に特別の定めのある場合」は「ひとり」にするということだろう。
 そして、その「憲法に特別の定めのある場合」というのが、これまでなかった「第九章 緊急事態」である。

(改正草案)
第九章緊急事態
第九十八条
内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

 これについては、後で書きたいが、これを参考にすると、「第六十五条 行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する。」は、「特別の場合」、行政権は「内閣」ではなく「内閣総理大臣に属する」と読むべきなのだろう。
 行政権が「ひとり」に集中する。「独裁」である。
 「この憲法に特別の定めのある場合を除き」がなければ、「独裁」はできない。「内閣」という「集団」に「行政権」がある。「独裁」を正当化するために、そのことばが挿入されている。

 もう一点は、第六十六条の第二項。

(現行憲法)
2 内閣総理大臣のその他の国務大臣は、文民でなければならない。
(改正草案)
2 内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。

 「文民でなければならない。」が「現役の軍人であってはならない。」と改正されている。「軍人経験者」であってもいい、ということ。軍人も大臣に起用できるということである。内閣に入る直前に「退役」すれば「軍人ではなくなる」から、入閣できる。「現役を退いて○年」というような「規定」がないから、そういうことが可能である。これでは単なる「肩書」の変更である。だれだって「軍人ではなくなる」。
 最近のニュースを見ていると、退役した自衛隊の幹部が、どうやって入手したのかわからない(自衛隊から情報提供を受けているとしか考えられない)情報で国際問題に言及している。「政治が空白になる参院選の期間を利用して、中国が日本領空へ接近している。そのために自衛隊機の緊急発進が増えている」云々というコメントが自衛隊の元幹部の立場で新聞に書かれていた。
 彼は「現役の軍人」ではない。しかし、「現役の軍人」と同様に自衛隊から情報を得ている。そして、その「思考」は、自衛隊にフィードバックされるだろう。そういうことが起きても「現役の軍人ではない」という「論理」になってしまうだろう。

 「第六章 司法」「第七章 財政」「第八章 地方自治」は自分自身の問題として考えてきたことがないので、何も書けない。
 一点気になったのが現行憲法にはない「第九十二条」

地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う。
2 住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。

 自治体の「提供を等しく受ける権利を有し」はいいのだけれど、「その負担を公平に分担する義務を負う。」というのは何? どういうこと? 金額的負担のこと? 税金があがるということ? それとも「身体的」に何かをしなければならないということ?
「義務」というのは、現行憲法では「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」と三つだったが、「納税」はすでに明記されているから、ここ書かれている「義務」は、もっと違ったものかもしれない。
 でも、どういうものか、わからない。
 わからない、明記されていないということは、それが恣意的に運用されるということでもあるだろう。


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